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18章 〈 22時00分 混迷 〉

 生放送のニュース番組が始まった。
 トップは今日の首脳会議の様子。そして、五カ国の首脳がサワキ首相主催の食事会をキャンセルしたという前代未聞の出来事。
 政界が大騒ぎになっている内容を、男性キャスターが「大変な事態です」と、やや気色ばんだ口調で伝えている。
 当事者の大統領、首相達はどこにいるのか、午後六時以降は姿をまったく見せていないことも騒ぎの一因になっているようだ。
 首相官邸には国内外の記者がつめかけ、各党の代表や与党の派閥代表たちが質問攻めにあい、ちょっとしたパニックムードの場面が次々と映し出されている。
 これらの状況を説明するために、サワキ首相の会見が行なわれる準備が進んでいること、その模様が入り次第中継に切り替えますと、キャスターが冒頭で挨拶をした。

 各応接セットに設置されているテレビモニターから流れ続ける映像をルアシ、アミー、シーダ、ケイトの四人が引きつった表情で見つめる。
「番組始まっちゃったわね。ラグの方は準備間に合ったかなぁ?」
 ルアシが心配そうにため息を吐き出した。
「間に合わせたでしょう。ラグだもの」
 冷静な声とは裏腹に、やや頬を緊張させたアミーは軽くため息を吐きながら視線をテーブルに落とす。
「ラグも大変だろうけど、そっちより、こっちが、やべぇーよな。ちょー嫌な予感がする」
 シーダは、あきらめたように背もたれに体をあずけ、長いすの上で胡坐をかいた行儀の悪い格好で、残っていた紙コップのコーヒーを一気に飲み干す。
「どうなるの?」
「…………」
 ケイトの問いに誰もが無言になる。
「ねぇ」
 三人はケイトから視線を受けて、「うーん」とうなった。
「まず、首相主催のパーティをエスケープした偉いさんがここに登場するだろ」
「ここはフェニックステレビよね。テレビ局のスタジオ。ケイリー・デイジーの件で中継準備は完了しているでしょう。大スクープ間違いなしよね。独占中継よ、独占。局の人は喜ぶわよね。アミー」
「そしたらケイリー・デイジーの歌のお披露目は多分、中止になるでしょうね」
「あ、それってオレも想像できる。『緊急事態発生。緊急特別報道番組をお届けします。ただいま、姿を消していた首相がなんとこのフェニックステレビの桜道スタジオに現れました』『一体目的はなんでしょうか? われわれにもまったく想像外の出来事に困惑しております』 『あ、インタビューをしても大丈夫ですか?』 『通訳の準備が出来ておりません』『あ、帰ってしまいました』とかさ」
 一人芝居で複数のアナウンサーのやり取りを自演していたシーダは、自分の言葉に嫌な表情を浮べているルアシ、アミー、ケイトの三人の視線に気がついて、ハハハ、と苦笑いを浮べてうそぶく。
「だってそうなるだろう。首相、大統領たちがやってきたら、ケイリー・デイジーなんて片隅に追いやられる。歌どころじゃねぇだろう。フェニックステレビだって、何にも知らないんだから、びっくりしてる間に終っちゃって、あとから他のテレビ局に文句とか言われちゃうんだぜ。ひでーよな」
「あんたね」
 隣に座っていたルアシがシーダの頬をペシリと叩く。
「痛ってー」
「ラグの努力を台無しにする気?」
「オレのせいじゃねーもん。ひでぇー」
 右頬を手で押さえながら、アミーとケイトに助けを求めよう視線をさまよわせるが、冷たい視線にぶつかって「チェッ」と舌打ちをして、またルアシにペシッと頭を叩かれる。
「ねぇ、シーダ」
 さすがに少し気の毒になったのか、ケイトが声をかける。
「今の話、冗談には聞こえないわね。もし本当に例の方々がここに押し寄せたら……」
 一瞬の沈黙の後、ルアシがいいこと思いついた!と言う表情で両手を小さく合わせてパチンと鳴らした。
「リーダーは官邸に行きましたよ、って言うのはどう? 回れ右して消えてくれるかも」
「あ、それいーんじゃね。名案」
「同時に、私たちも拉致されるわよ」
「…………」
「…………」
 アミーの言葉にルアシとシーダは引きつった笑みのまま凍りついた。
「どうして?」
 ケイトだけが、疑問を口にする。
「彼らはちゃんとわかってるの。あたし達が人質にあたいする価値があるっていうことをね。まぁ、リーダー限定なんだけど」
「それって……」
 ケイトが目を瞬かせ、ポカンと口をあけてアミー、ルアシ、シーダを見る。
「この場を逃げ出せないってこと?」
「ううん」
 アミーがニヤリと笑う。
「逃げ出すつもりはない、かな?」
「だって、あたしは悪いことしてないもの。なのに逃げ出すのは嫌じゃない? だって追っかけられているのはリーダーだし」
 ルアシがペロリと舌を出してみせる。
「う〜、先が見えなさ過ぎて、やばすぎ。ゾクゾクするぜー」
 シーダが武者震いをした時、
「あ……」
 アミーの発した声に、三人がびくりとする。
 玄関のエントランスから車の到着した音とドアを開く音、数人の足音が響いてきたのだ。
 四人はおもむろに椅子から立ち上がると、応接セットの仕切り板越しに、玄関エントランスからロビーに現れるだろう人物を注視しする。
 最初にのほほんとした風情でロビーに姿を見せたのはアミーの双子の兄、サミーだった。
「兄さん!!」
「サミー!」
「こっち、こっち!!」
 誰から見咎められ、怪しまれて警備員の人間に呼び止められる前に、アミーとルアシとシーダの三人は慌てて飛び出した。
 サミーに続いて、次々と現れたスーツ姿の男女が、ルアシ、アミー、シーダの三人を見て「おお!」と感動の挨拶をしようと口を開きかけたのを、口元に人差し指を立てて制すると、一番奥の応接セットに誘導する。
 ただじっと、その状況を見ていたケイトは、ゴクリと咽をならした。
 中肉中背の立派な口髭をたくわえた陽気な六十五歳のトワラ国サイゼ首相と、レルニアン国女性首相のニア首相の二人が目の前に歩み寄ってきたからだ。
 その後ろには、前総理大臣マツヤマの側近を務めていたこともあるキースがボディガードさながら控えている。
 突然、奥の狭い応接セットに通された二人の国家首長は少し戸惑ったような顔をしたが、ルアシ、シーダに改めて挨拶をされて、満面の笑顔になった。
 「可愛らしいお嬢さん方と、若く未来ある小さな紳士!」
 サイゼ首相が嬉しそうにルアシとシーダにハグしようとしたが、二人から「めっ」とにらまれて、しかたなさそうに肩をすくませる。
 ニア首相は「あらあら」と魅力的な微笑み――国民達はニア・スマイルと呼ぶ――を浮べて、薦められたソファに腰をおろす。
「彼はいるの?」
母なる君≠ニ国民から慕われるニア首相は、シーダの肩にそっと手を置いて、元気だった? と問いかけながら微笑んだ。
「ライラ姫も一緒なのだろう」
 よっこらしょ、とサイゼ首相も一人かけのソファに腰をおろして、キョロキョロとあたりを見渡す。
「それがさぁ」
 シーダは、隣のニア首相の顔をチラリと見て、へへへと顔を引きつらせた笑顔を浮べた。
「二人とも、休憩中」

 一方、そんな彼らのいる応接セットから少し離れた別の応接セットで、アミーは脂汗を流して自分の前に立っている二メートル近い長身のキースを、両方の腰に手をおいて厳しい視線で睨み上げていた。
「キース」
「はい」
 十四歳の少女に睨まれて、大木のような男は気まずそうに弱々しい声で返事をし、しおれた花のように頭を垂れた。
「状況わかってる? これからここで世界中で注目されている歌姫の生中継があるのよ。そんなところに病院抜け出して行方不明になって騒がれているサイゼ首相と、施設見学に出かけたまま所在不明になったと騒がれ出したニア首相がテレビ局のスタジオに現れたら、どうなると思っているの? あなたともあろう人が」
「申し訳ありません」
「簡略に説明して」
「はい……」
 キースは、アミーに深々と頭を下げる。
 彼は、医者から、宇宙飛行士、そして首相側近という奇妙な経歴をもつ、ある意味華麗なる転身を遂げた人物だった。
 ブラウンの髪にダークブルーの瞳、冷酷にみえる端正な顔立ちに銀縁のメガネをかけたエリートの中のエリートといった風貌の美青年は、飼い主に叱られた犬のように、二十歳も年下のアミーを前に萎縮してしまっていた。
 そして、二人の首相に逆らいきれずに、彼らを連れてサミーと会うことになった経緯を何度も詫びながら話した。
「それで、ゴッドは……どこに?」
 やや期待に満ちた瞳で、一番聞きたかったことを囁くように口にする。
 キースが『ゴッド』と呼びかける相手はたった一人、ユウ・マサオカを意味する。
 キースは出会ってからずっとユウのことをそう呼んでいた。
 例え、当の本人から「それはやめろ」と嫌がられても、拒絶されても、命令をされても止める気配は一向になさそうだった。
「教えてあげない」
 アミーがプイっと横を向くと、キースは泣きそうな表情になった。
「アミー!! お願いです。ゴッドに会わせてください」
 アミーの最悪に不機嫌そうな横顔に、キースが両手を胸元で組んでうろたえる。
「お願いします。まだ、これから他の首相たちがここに……」
「自分で責任をとりなさい」
 クールな顔立ちの大男が、線の細い少女にピシリとそう突き放されて、思わず床に膝をついてアミーの両手をとって哀願する。
「アミー、許してください。非常事態だったのです。出来る限りの努力はしたのですが」
「自分で責任をとりなさい」
 怒りに満ちた声が静かに響く。
 その二人の横を躊躇することもなく軽い足取りで通り過ぎていった人物がいた。アミーはその人物に視線を向ける。
「兄さんもよ」
 給湯装置の前に行き、紙コップを取り出して、お茶と水とコーヒーとどれを選ぼうか考えていたサミーは、アミーに呼ばれてキョトンとした顔をした。
「なんで? なかなか日本に来れない人たちでしょ? みんなにミーティングやりたいってお願いされたから連れてきたのに……。アミー、怒ってるの?」
 「いいことしたのに……」と小声でつぶやきながらコーヒーを入れると、来たときと同じように二人のそばを通り過ぎて、奥の応接セットに座って、ニコニコと談笑している二人の首相に紙コップを手渡しつつ、「ね」と無邪気な顔を向ける。
 アミーはため息を吐き出した。
「で、あと、ここに来るのは誰なの?」
 アミーは、自分とキースのやり取りさえ、懐かしい光景ね、といった表情で楽しげに覗き見ているサイゼ首相とニア首相に内心天を仰ぎたくなった。
(自分達の起こしたハプニングを絶対に楽しんでいるんだから……手に負えないったら……)
「先ほど、アミーがおっしゃっていた三人の方々です。あとは運転手と二人の側近兼通訳」
「SPは?」
 その言葉にサミーが戻ってくる。
「上手くまいたって、喜んでたよ。ボクもちょっとだけ手伝ってあげたんだ。ほら追跡装置のダミーを一斉に放って、本体は隠れるように出来ちゃう奴。この間シーダと改良して遊んでいたプログラムを使って助けてあげたんだ」
「兄さん……」
 無邪気に親指を立てて誇らしげにウインクしてみせるサミーに、アミーは気が遠くなりそうだった。
 そうしてもう一人、目の前でルアシたちと楽しそうに会話をしている二人の首相を見ているケイトもまた、現実離れした状況に気が遠くなりそうだった。
 その時、スタジオ内の通路から複数の人の声が聞こえてきた。
「ちょっと、やっぱりこっちにいるんじゃないの?」
「そう聞いたけどな。一緒かもな」
 聞き覚えのある声に、ルアシとシーダがぎょっとして立ち上がった。
「お、いたいた」
 応接コーナーを覗き込んできた人物は、クロサキとトモヤだった。
「やばー」
 ルアシが可愛らしい顔立ちをゆがませる。
「アミー、局のスタッフだ」
「…………!!」
 シーダの囁くような声に、キースを睨み付けていたアミーも口元になんともいえない笑みを作った。
 状況を咄嗟に呑み込んだものの予想外の出来事に身動きが取れなかったのだ。
「いたいた、ルアシちゃん。ラグいるかい?」
 クロサキとトモヤが、一番奥の応接セットに向って歩いてきた。
「ま、待って」
 二人の首相達を見られてはいけないとルアシとシーダが自分達から二人のほうに飛び出す。
「ラグがどうしたの?」
「ラグはここにはいねぇよ」
「お、その態度怪しいねぇ」
 クロサキが二人の制止を聞かずに奥へと突き進む。
「いくら作業が終ったからって、休憩はないよ。最後までつきあってもらわなくっちゃ…………」
 奥の応接セットを覗き込んだクロサキの動きが止まった。
「……………」
 ルアシ、アミー、シーダ、キースが天を仰ぐ。
 ソファに座っていたケイトは、笑顔を張り付かせて「ハーイ」と初対面のクロサキに小さく手を振った。
 二人の首相は、ニッコリ笑うと英語で答えた。
「ラグは、ここにはいない」と。
 クロサキはくるりと体を反転させると、トモヤに救いを求めるように親指で背後にいる人物を示した。
 無表情に見えるが、大パニックに陥っていのは明らかだ。、
「どうし………」
 不思議そうに奥を覗き込んだトモヤもまた、絶句した。
「あ、あのね」
 ルアシが両の手の平を胸の前で組んで二人に笑顔で話しかける。
「ラグがどうしたの? お仕事中でしょ?」
「そ、そうよ。彼はここにはいないわ」
 ケイトは、おもむろに立ち上がると二人の視線から、奥の人物をさえぎるように立ち上がり、フロアのほうへ押し戻そうと彼等の背中をさりげなく押す。
 自分がなんとかしなくてはと、体が自然に動いていたのだ。
 それを見てキースも見た目は冷静沈着な表情でケイトの後ろに回る。
「いかがいたしましたか?」
「いや、あれ、今の人、あの……」
 クロサキとトモヤは、自分達が見たものを信じられない様子で、口をパクパクさせる。
「ラグがどうしたの?」
 ルアシが困惑したようにトモヤを見上げる。
 団子状態で、応接セットからジリジリと二人を押し出したとき、もう一人別の人物が受付の奥のスタジオの通路から現れた。
「彼は、いたのかい?」
 現れたのは、ドラマのピンチヒッターとしてスタジオに訪れていたアイドル界のトップスター、ショウ・ストラウドだった。
「いや、それが、さ」
 トモヤが呆然と、ショウの顔を見る。
「あ、彼女」
 ショウがルアシを見つけて微笑みかけた。
「ラグが編集室からいなくなったんだって、みんな大騒ぎで探しているんだけど、ここに来ているんじゃ……」
 そのショウの動きが止まった。
「会長」
 視線がケイトに向けられる。
「あれ、会長だ。チョー久しぶり」
 喜色満面になって、ショウは駆け出したかと思うとケイトに抱きついた。
「ショウ!」
 ケイトがショウの肩を両手で押さえつける。
「役職名で呼ぶなって、いつも言っているでしょう」
「だってさ、事務所に来ないでしょ。ずっと顔見てないしさ。寂しかった」
 そう言って、再度抱きしめる。
「あんたね」
 ケイトは、全員の視線が自分たちに集中しているのに気がついて慌ててショウを突き飛ばすと、咳払いをする。
「会長……って、バッド・ボーイズ事務所の会長? あの、幻の人物?」
 クロサキが目を何度も瞬かせてケイトを見る。
「もう……」
 ケイトは、悪びれなく笑っているショウを見てあきれた顔をする。
「お、なるほどね。会長が俺を動かしたわけか。二日分の仕事を調整してドラマの代理にねじ込むなんて技、会長以外に出来ないよな。これで貸し一個ね」
 さわやかな笑顔でケイトの肩をポンと叩くショウは、ふと、応接セットから自分達を立ち上がってみている人物に目をとめた。
「うわっ、トワラ国のサイゼ首相と、レルニアン国のニア首相のそっくりさんだ。チョーくりそつ」
 アイドルスターの口から、海外首相の名前がよどみなく出て、ケイトが深いため息を吐き出した。
 クロサキとトモヤが腑に落ちたという顔で、二人の首相のほうを見つめる。
「どういうことなんだ? 行方不明になっているはずじゃ……」
「どうして、あの、お二人が、ここ……のスタジオに……?」
 二人が、思わず一番年長者のケイトに問いかける。
「…………」
 ケイトはなんとも言えない表情を作った。
 しかも、その時スタジオの門の外から車が数台入ってくるのがライトでわかる。
「来た」
 アミー、そしてキースが、おもむろに玄関の外のエントランスに向って駆け出した。
「来ちゃったの?」
 ケイトは、ルアシとシーダを見た。
 二人は無言で、コクコクとうなずく。
「でも、リーダーいないんだよね」
 どうしよー、といいながらサミーがアミーたちの後ろをついていく。
「そんな」
 ケイトは、これから現れるだろう人物を思い浮かべ、「絶体絶命」という四文字熟語が目の前を横切っていくのを見たような気がした。

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