19章 〈 22時00分 NEWS 〉 |
十時の時報と共に、テレビモニターにはキャスターが現れいつもどおりの挨拶をして、今日のニュース映像が流れ始めた。
トップニュースは当然のことながら、十三カ国首脳会議の様子。
そして、夜の首相主催の食事会を主要五カ国の代表がキャンセルしたこと。しかも、そのうちの数人の首相の動向が不明となっているといったものだ。中でも、体調不良で入院していたはずのサイゼ首相が病院から行方不明となっていることは、主催国としては大変危惧せざるを得なく、警察を含めた各関係方面では緊急警備を引いてその行方を捜しているといった、緊迫した内容のものだった。
「われわれマスコミはサイゼ首相の安全を考慮して報道を控えておりましたが、より広い情報を求めて今回の公開に踏み切りました。もし、万が一サイゼ首相を見かけられたという方はぜひお近くの警察にご連絡ください」
さらに、これらを含めた説明をするべくサワキ首相の記者会見が本日午後十時から行なわれるはずだったのだが、これが直前でキャンセルされたのだ。
会見室で待機していたマスコミ関係者たちが、姿を見せた報道官に詰め寄るシーンが繰り返し流れている。
キャスター自身も、「大変な事態になっております」と深刻な表情で解説者たちと、事態の流れを時間を追いながら話している。
「また、このような様々な事態から十三カ国首脳会議は、混乱を極め、日本国にとっては修復ならざるを得ない事態を招いたとしかいいようがありません。内閣不信任案、解散総選挙といった流れを阻止することは難しいでしょうな」
白髪交じりの元政治家がコメンテータとして、険しい顔を作り論評を語る。
そして、話題は国内で起こった各種事件、事故の話題へと移り、時計は十時三十分を示す。
キャスターは、自信に満ちた笑顔を作って次のコーナーを紹介しはじめる。
「さて、今日は特集を予定しておりましたが変更して、みなさんに特別なお時間をお届けしたいと思います。実は急遽、大変素晴らしいゲストをお招きすることができました。私自身が直接お会いできないのが大変残念ですが、先日WSS(ワールド・ソウル・シンガー)賞を獲得した世界の歌姫のケイリー・デイジーさんがこの番組で歌声をお届けしてくださることになりました。歌はもちろん「MOTHER〜マザー〜」です。桜道スタジオからお送りします」
やや紅潮した顔立ちでキャスターがスタジオのセットの前にたたずむケイリーに呼びかける。
通訳を介して話しが始まる。
「この歌は、十年前に、あなたの住んでいたユリアナ共和国や近隣各国が、超巨大ハリケーンに襲われた時に十二歳のあなたが作詞をされたとうかがいました」
「はい」
ケイリーは、モニターに向っていつになく潤んだ瞳でカメラを見つめていた。
「私の住んでいた町も川が氾濫し、一時は町が水の底に沈みました。母と二人暮らしだった私は、一緒に逃げる途中で母とはぐれ、孤児となりました。母がどこにいるのか、どうしているのか、どうして会いに来てくれないのか。それでもいつかは、母に会えると信じ、口ずさみながら、歌いながら、今日まで生きてきました」
「あなたのその魂の呼びかけが、世界中の多くの人々の心を動かしたのでしょうね。世界中であなたの作詞作曲した『マザー』が三年以上も支持され続け常に上位にランキングされているというのは、すごいことです」
「ありがとうございます」
ケリーは天使のスマイルと呼ばれる魅力的な微笑を浮べる。
「そして、今回はあなたが歌うバックに、あなたの大切な方の国の風景を用意させていただきました」
ケリーは、少しはにかんだように微笑む。
「野暮なことを申し上げるのもなんですので、ミレドニア国の美しい風景、とだけ視聴者の方にはお伝えしたいと思います。では、歌の準備をお願いできるでしょうか?」
「はい」
ケイリー・デイジーは画面に向って声を出さずに何事かをつぶやきセットの中央に歩き始めた。
イントロが流れ始めた。
「行きます」
ラグは自分自身に囁きながら、モニタールームでスライドを操作しはじめた。
モニタールームにはラグ一人しかいない。
窓の階下、正面のセットに歌姫ケイリー・デイジーが立っている。
その視線がモニタールームのラグを一瞬とらえた。
口元に笑みがこぼれる。
「OK」
ラグは、一枚目のスライドを映し始めた。
結局、電光パネルは修復が間に合わずにシーダが準備した巨大スクリーンが使用されることになった。
スライドを自動操作で任せることもできたが、万が一、歌の途中で機械に不備が生じて動かなくなる危険性も考えて、ラグ自身が操作すること申し出たのだ。
始めは素人に大事な作業をさせるとは言語道断と反対していた局の取締役たちも、ラグが自分が出来ないなら写真は使わせないと言ったものだから折れるしかなかった。
ライアン王子の怒りを解消する方法は、ラグの撮影した写真を使うのが条件だったからだ。
しかも、局の管理職にある人間達の多くは、本番開始直前にとんでもない事態に自分達が巻き込まれたことを知り、パニックに襲われていたのでまともな思考回路が働かなかった。普段では到底ありえないことだが、一介の高校生に重要場面を任せるという暴挙を何故だか許してしまったのだ。
ラグは歌の歌詞に合わせてスライドを操作していく。
ミレドニア国の美しい湖、草原、昔からある小さな駅、町の人々の笑顔、働く母親とそばで走り回る子供たち。
ケイリー・デイジーの詩は、母への想いであふれていた。
突然引き裂かれた悲劇
どうしていなくなってしまったのか
元気で生きていてくれるのか
いい子にしていなかったから消えてしまったのか
叱られてあなたを嫌いだと叫んだ罰なのか
自分のことを怒ってはいないだろうか
憎んではいないだろうか
悲しんではいないだろうか
あなたの手を振り払った自分
どれほど悔やんだことか
許してくれるだろか
悲しそうな瞳が焼きついたまま記憶にこびりついた
並んであるく親子を見るたびに
その後姿を見るたびに
あなたからはぐれてしまった心が
呼吸できなくなる
裏切った心を
離してしまった手を
あなたは許してくれるだろうか
握り返してくれるだろうか
せめて夢でもいいから現れて欲しい
やさしく抱きしめて欲しい
厳しく怒って欲しい
顔をみせて欲しい
ケイリーの魂を揺さぶる悲しい歌は、聴く人の琴線に触れる。
「ラグ、ミハイルの準備ができた」
曲が中盤に入ったとき、ラグのヘッドホンとマイクが一体になっているインカムから、ユウの声が聞こえてきた。
「了解」
ラグは返事をした。
「あと、ロンに頼んで歌の頭から全国ネット、全チャンネル同時中継に切り替えてもらった。シーダがこんなの一局で独占中継したらあとが大変だって譲らないんだ。」
「…………」
一瞬、手が止まりそうになったがブンブンと頭を振って、耳から流れてくる曲に集中する。
別の意味で嫌な予感が走る。
歌は終盤に入った。
スイッチを切り替えていたラグの指が、最後の一枚を別の写真と入れ替える。
ミハイルが間に合ったら使おうと考えていた一枚。
ママ 私のマザー
ケイリーの詩の最後の一行で、ラグはそれを映した。
彼女が会いたいと願っていた、あの施設の婦人の横顔。
ケイリー・デイジーに良く似た横顔がスクリーンに大きく映し出される。
「…………」
歌が終った。
彼女を照らしていたスポットライトが切り替えられ、予定ではそのままスタジオのキャスターに画面が切り替えられるはずだった。
だが、画面はケイリーを映し出したままだった。
突然、拍手と共にスーツ姿の五人の人物が彼女のそばに歩み寄る。
局内でも、一部の上層幹部しか知らされていなかった事態に、カメラマンやスタッフ達が度肝を抜かれる。
日本のサワキ首相が、アメリカ合衆国大統領、ドイツィーニア国大統領、トワラ国首相、レルニアン首相を伴って拍手をしながら突如現れたのだ。
当のケイリーが戸惑ったように、だが嬉しそうに微笑を浮べて握手をしていく。
最後に彼女の視線に映らない場所に待機していたロシアナ共和国ミハイル大統領が現れた。
一人の女性を伴って。
「ケイリー・デイジー。素晴らしい歌をありがとう」
そう言って、一緒に現れた女性の背中ををそっと彼女の前に押し出す。
「君の会いたかった人を見つけてきた。私からのプレゼントだ」
ケイリー・デイジーは信じられないといった驚愕した表情を浮べて立ち尽くし、目の前の女性をじっと見つめた。
年配の優しそうな面差しの女性がぼんやりとした表情で、ミハイル大統領を見つめる。
ケイリーは、その横顔と、スクリーンに映り続けている女性の横顔を写したスライドを見つめ、再び目の前の女性を見つめる。
両手で口元を押さえると、涙が両方の瞳からあふれ出た。
「ママ……」
「…………」
「ママ」
そう呼ばれた女性は、ひどくあいまいな表情を浮べていたが、目の前のケイリーに呼びかけられるうちに徐々に瞳が見開かれていく。
「ママ」
耐え切れずにケイリーがその細い体を抱き寄せると、女性の瞳からも涙が流れ落ちた。
「ケイリー……、あなたなのね……」
「ママ……」
画面に二人の抱擁がアップになる。
ついで、ミハイル大統領の横に歩み寄ったサワキ首相がアップで映し出された。
飛び込んできたスタッフが、急いでマイクを手渡す。
「皆さんにこの場をおかりして状況を、私サワキカツヤよりご説明をさせて頂きたいと思います。ここにいらっしゃるケイリーさんの母、ダボナ・デイジーさんは十年前の大洪水で行方不明になっていました。その後、ロシアナ共和国のある町で保護されましたが、残念なことに記憶喪失であったために長い間身元もわからないまま、施設で生活を送っていました。このほど彼女の身元が判明し、今回のケイリー・デイジーさんの来日に合わせて、ミハイル大統領から是非一刻も早く会わせてあげたいとの熱心な要望があり、突然ではありますが再会の場を設けさせていただきました。」
水を打ったような静かなスタジオの中で、サワキの声だけが響き渡った。
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