第6章 〜父の記憶〜 | ||
アンネリーゼは父親のことを本当は話したくないのだ、と前置きをした。 「私には生まれた時から、母しかいなかったの。肉親もいなくて、生まれつき目の悪かった母は、私に父と呼べる人がいるのか、いないのかさえ話してこなかったし、私も聞こうとはしなかったわ」 静かな声が物語を読むようにたんたんと語る。 「父と出会ったのは七歳の時よ。それまでは、今も下請けをしている仕立屋で住み込みながら働いてた。母も私も、仕事だけじゃなくて、掃除、水汲み、店の下働き、なんでもしてきたわ。陽が昇る前から暮れるまで働き通しだった。それが、ある日あの人が突然店に現れたの」 アンネリーゼは静かに、何度目かのため息を吐き出した。 「見知らぬ一人の男が現れてから生活が一変したの」 シャルゼルトを見て、少し寂しげに笑う。 「初めて見たときは天使がいるのかと思ったわ。この世のものとは思えないほど美しすぎて眩しくて、人間だなんて思えなかった。幻を、夢を見ている気がしたもの。なのに、その天使は、いきなり私をいとおしそうに見て腕の中に抱き上げると、母の名を呼んだの。あの時の混乱は今でも忘れられないわ。何が起きたのか理解できなかったから」 アンネリーゼは彼が父親なのだと知らされたときの衝撃を言葉少なに語った。 「母はとても嬉しそうだった。でも、私にとってはすべてが崩れたわ」 それまで大変だったが平穏だった暮らしが、急転直下、常に人の視線を気にしなければいけない生活へ変化した。 店での住み込みはなくなり、家を借りて、親子三人での生活が始まった。 けれど美しすぎるその容貌をひと目見ようと、家の狭い路地には、昼夜問わず女性があふれ返り、用もないのに来客が現れ、どこに出かけるのも容易ではなかった。 「やがて病弱だった母親の病が重くなり亡くなった。二年後、父親も亡くなった。それだけの話し」 アンネリーゼはつまらなさそうに小さくため息を吐くとシャルゼルトを見つめた。 「あなたが知りたがっているような、王妃様に関しての話は聞いたことはないわ。前にも城からの使いが来て、王妃様に関しての話はどんなささいなことも人に話さないようにと言って、無理やり金貨も置いていったけど、話せるようなことは最初からないの」 シャルゼルトは期待していた話は聞けなかったものの、アンネリーゼの静かで魅力的な声をもっと聞いていたい気持ちに駆られた。 「君の父親は、どうして一緒に暮らしていなかったの? 生き別れになる理由が?」 「わからないわ。母とは同じ町の出身で、身分は違ったけれど親しくなったと。でも、あの人の一族が行商の長旅に出た時に母は町を出て、この町で私を産んだらしいの。母は私に父がいるという話しをしたこともなかったから、私は聞かなかった」 「君の父親が生きていた時、城から人は訪ねてこなかった?」 「来ていたみたい。見たこともないような料理や果物を口にすることもできたわ。でも、あの人は何度もここには来ないで欲しいと言っていたのを覚えている。いいことと言ったら、母が幸せそうだったことくらい」 「会ってみたかったよ。ココ王妃が信頼していた人物に」 「これであの人の話は終わり。もう帰って」 「亡くなった理由は?」 アンネリーゼはゆっくりと両目を閉じた。 長い沈黙の末に、ゆっくりと息を吐き出して答える。 「寿命だったのよ。きっと。毎日通っていた町外れにある母の墓前で眠るように亡くなっていたから」 感情を見せない声が静かに響く。 「見た目は美しいままで何も変わらなかったけど、心が日一日と年老いていくように見えた。母が亡くなってからはずっと」 「新しい恋人は?」 「いたかもしれないけど、知らないわ。知りたくもなかったし」 完璧な容姿を持ち、王侯貴族とつながりがあったはずなのに、存在が抹殺されてしまっている。しかも、王妃ココや、妻と過ごした時間はあまりにも短い。 望めばあらゆるものが得られただろうに、彼は望まなかった。 ココ王妃の真の恋人だったのかも謎のまま。 ただ、その恋人といわれる人物が幻ではなかった、ただそれだけがシャルゼルトのココ王妃像に追記されただけだった。 アンネリーゼはシャルゼルトの帰っていった部屋の中で床に座り込むと壁にもたれて天井を仰ぎ見ていた。 ひどい脱力感が襲ってきて立っていられなかった。 ベッドのある部屋まで行く気力も尽きていた。 いつもなら家に戻ってきて、そのまま眠るだけなのに、昨夜はシャルゼルトがいたことで、崩れそうになる心と体を支えて表情を見せないのが精一杯だったのだ。 早く帰って欲しいあまり、少し余計なことまで話してしまったのではないかと思うものの、今は頭に霧がかかったようで何も考えられない。 ――光石を。 頭の中で声が命じる。 「うん……」 アンネリーゼはあらい呼吸をしながらうなずくと両手で床を這うようにして棚までたどり着き、布でくるんだ荷物をそのまま床に引きずるように下ろした。 そして、一番奥にくるんだ布袋を大切そうに取り出すと両手の中にそれをのせる。 そこには高価な宝石の装飾品があった。 赤い宝石の指輪。七色の宝石で作られた首飾り、碧く美しい宝石が揺れるイヤリング。 アンネリーゼがそれを包み込んだ時、その手から部屋全体を照らすほどの光が発光し、彼女を包み込んだ。 宝石から吸い上げられるエネルギーがアンネリーゼを満たし、ひどく高められていく恍惚感に意識が飛ぶ。 ――ご苦労。 失われていく意識の中でもその声はいつも聞こえていた。 もう、何年もそうしてきた。 目が覚めれば彼女の体はベッドの中に納まっている。 宝石は、ある人物のもとに届けられ、アンネリーゼが望んだとおり、貧しい人々の枕元に装飾は外され宝石だけとなって運ばれるのだ。 そして、目が覚めれば、体はまた昨日の自分よりも老いていく。 アンネリーゼは父の葬儀のあとの出来事をを久しぶりに夢で見た。 父親の葬儀が終った翌朝、目覚めると不思議なことに父の棺の中に一緒に入れた小さな金貨のついた金鎖の首飾りが、アンネリーゼにの胸元に輝いていた。 驚くアンネリーゼの頭の中に声が響いた。 ――お前の役割は、光石を集めること。私はその光石の力を必要としている。 アンネリーゼは突然の事態に混乱して、断固として拒否をした。 しかし、日が経つにつれて食事も睡眠もとっているのに、乾き飢えていく自分に抗えなくなり始めた。 最初は「飢え」の正体がわからなかったが、 ある夜気がつくと彼女は何故か、見知らぬ貴族の館の一室で宝石箱を手にしている自分に気がついた。 誰かの寝室のようだったが、ひと気はなかった。 あわてて宝石箱から手を離すと、箱の中からはいくつもの宝石が輝く指輪が転がり落ちた。 何が起きているのかまったくわからないのに、体は勝手に動く。手にしていた布の袋に宝石を一つ残らず収め、両手で包み込んだ。 ――了。 布の中から光が放たれ、徐々に部屋全体を包み込み、その光がアンネリーゼを呑み込んだ。 全身が解放され、光が放たれ、光で満ち、味わったことのない恍惚感が彼女を満たした。 ぼうっとする意識の中で、目を開けたとき、彼女は自分の家のベッドの上に横になっていた。 ――光石の力は、宝石。抜け殻となった石でも人間は好む。ジェルファは貧しい民に与えろと言った。石の始末はお前の希望を叶えよう。 ジェルファとは、アンネリーゼの父の名前だった。 この時を境にアンネリーゼは父の隠された一面に出会うことになる。 ジェルファもまた、何者かの意思のもと貴族の屋敷から宝石を盗み、石の光を自分の中に取り付いた「何者」かに与え、抜け殻となった宝石を貧しい人々に与えていたのだと。 そして、それがメイハーナと呼ばれる義賊だったのだと知るまでにはもう少し時間が必要だった。 最初の頃は「何者か」が勝手にアンネリーゼの体を支配して、盗みを行なっていたが、徐々にアンネリーゼは意志をもって行なうようになっていった。 夜中に突然、見知らぬ館で宝石を手にした自分に気がつく恐怖に耐えられなかったからだ。 また、宝石の力を得た後は「何者か」の力が瞬時に彼女の体を部屋へと戻したが、奇妙なことにその光を受けるたびに自分の体が急速に年をとっていくことに気がついたのだ。 特に、宝石を手に入れた翌日は顕著に体に、顔に、手に老いが表れた。 |
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