第7章 〜妖獣の宿るペンダント〜 | ||
その考えが間違っていなかったとはっきりわかったのは、ある人物との出会いだった。 名前はモルバル。盗賊団メイハーナの頭だった。 両親の眠る墓を訪れた帰り、ひと気のない場所でいかにも賊とわかる人相の悪い数人の男たちに突然取り囲まれ、抵抗することも出来ずに、ある場所に連れて行かれた。 そこで全身に刀傷を負った七十歳代の髭だらけの男、モルバルが待っていた。 「ジェルファの娘だな」 彼は、アンネリーゼの父の名を親しみを込めて呼び、確認したいことがあってお前をここに連れてくるように命じたのだ、と話した。 恐怖と緊張に顔をこわばらせるアンネリーゼに、モルバルはじっとその首筋に見え隠れする金鎖を見つめる。 「お前のその首にかかっているペンダントは金貨のコインだろう。それはジェルファから譲り受けたのものか?」 「ほしいならあげるわ」 アンネリーゼは、無表情のままおもむろにペンダントを首から外すと、モルバルに差し出した。 「あの人の亡骸と一緒に埋葬したものよ。でも、気がついたら翌朝私の首にかかっていたわ。外しても、箱に入れて鍵を掛けて閉まっても、朝になるとこの胸元に戻っている。ずっと気味が悪かったの。ちょうどいいから、あなたにあげる」 モルバルはしばらくアンネリーゼの顔をじっと見つめたあと、部下にそのペンダントを受け取らせ、座ったままの自分の手元に届けさせた。 「三度試そう」 「え?」 「明日になればわかる」 奇妙な言葉の意味がわかったのは、翌朝だった。 目覚めてすぐに気がついた。 渡したはずのペンダント、金貨のコインがアンネリーゼの胸元にあったのだ。 アンネリーゼは深いため息を吐き出した。 今度こそはペンダントを手放し、怪盗まがいの生活も終わると思っていたのに、コインは戻ってきていた。 父の葬儀の翌朝と同じように。 アンネリーゼは身支度を済ませると、両親の墓を訪れた。 モルバルから三日間は連絡係を置くので、自分に会いたければ墓に来るように言われていたからだ。 モルバルの手下が現れると、アンネリーゼは蒼ざめながらペンダントを渡した。 「知っているの? このペンダントのこと」 使いの男は神妙な顔をして受け取った金貨のコインを見つめながら、首を横に振った。 「あと二度、試せば答えは得られます」 そして、その翌日も、翌々日も盗賊団に渡したペンダントは朝になるとアンネリーゼの元に戻ってきた。 「やはり、メイハーナの意志がお前を選んだのだな」 対面し、アンネリーゼの胸元のペンダントを見たモルバルは納得したようにしばらく目を閉じて動かなかった。 「メイハーナってあなたたち盗賊団のことでしょう?」 長い沈黙を破るように、探るようにアンネリーゼは静かに問いかける。 「ジェルファは、そのペンダントのコインに宿るメイハーナという化け物に殺された」 「え?」 アンネリーゼの顔が凍りつく。 胸元のペンダントに触れていた指先が止まる。 モルバルはそんなアンネリーゼを凝視しながら、ペンダントの秘密を話をはじめた。 昔、自分が盗賊稼業を始めた頃、ある館に忍び込み逃げ出す際に誤って崖道から転落し、死にかけていたところを旅をしていたジェルファに助けられたこと。 その後、偶然再会したジェルファに、盗んだ宝石を一時的に貸して欲しいと頼まれたこと。 宝石は常に約束どおり必ずモルバルの手元に戻ってきたが、やがてジェルファ本人も盗賊仲間に加わったこと。 ある頃から、その胸元に金貨のコインが見られるようになった時、モルバルたちは奇妙な体験をした。 「警備隊の盗賊団一掃の罠にかかり、追い詰められ、袋のねずみ状態となった時のことだ。突然、ジェルファが誰かに何かを命じた。おかしな奴だと思った次の瞬間、声に呼応するように、あいつのペンダントから目もくらむような光が放たれた。わしらは目を開けていることができずに顔を覆い隠してうずくまるしかなかった。しばらくそうしていると、空気が変わった。恐る恐る目を開けるとまったく別の場所にいたんだ。あの時は、ずいぶんと市中から外れた丘の上だった。夜中だったからどこにいるのかまったくわからないまま、その晩は身動きできずに朝を待ったものだ」 空間を移動したという事実はわかったが、一体何が起こったのかはジェルファ以外は誰にもわからなかったと、どこか遠くを見るようにモルバルは視線をさまよわせる。 「ジェルファは、何も聞かないでくれ、とその秘密を誰に問われても話さなかった。あれほどの神がかった容貌の人間の口からそう言われれば、荒くれ共たちも従うしかなかった。誰もがジェルファといられるだけで嬉しそうだったからな。けれど、ある時わしはペンダントについて話しておきたいことがあるとジェルファに呼び出された」 アンネリーゼは、じっと耳をすませた。 ペンダントはある貴族の家に代々伝わる由緒ある家宝で、その血筋にあたる人物が身につけていたという。 しかし、ある事件が起きて、魔道士が妖獣を魔石に封じようとしたところ、魂だけが寸前に逃げ出しコインの中に身を隠した。 やがてペンダントの持ち主が亡くなると、コインはジェルファのもとに現れた。持ち主の棺に入れたはずの金貨のペンダントが。 「一緒だわ……」 「コインに宿る妖獣はジェルファに語りかけた。命を永らえる為に光石――宝石に宿る力――が必要だと。体を取り戻すために生きながらえる為にその体を借りる。代りに望みがあるなら叶えてやろうと」 「交換条件だったの?」 「いや、ペンダントがその首にかけられた段階で、妖獣はジェルファに取り憑いていたようだ。わしには望んで虜になったようにも思えたが」 アンネリーゼは背筋が寒くなるのを感じた。頭の中に響く、高圧的に命じたあの声を思い出す。 自分も気がついた時には、意識のないまま体をのっとられ、命じられた。問われたのは、宝石の後始末に関してだけだった。 「妖獣は宝石の力を吸い取り生命を続ける力に換える。宝石を手に入れるためにジェルファの身を守ってはくれるが、寿命をも吸い取っていく。外見は変わらなかったがひどく衰弱していると打ち明けた。生きている限り、妖獣が望みどおり体を取り戻すまでは宝石をまるでエサのように与え続けなくてはならない、と」 「死ぬまで?」 「死んだだろう。ジェルファは。そしてお前も老い始めた」 「…………」 「ジェルファは、自分の願いは叶えられたから妖獣の望みも叶えてやりたいと言っていた。けれど、自分が死んでも、魂を生きながらえる為に妖獣が次の生贄を求めるのではないかと、ひどく危惧していた。あの時は、ジェルファと共に盗みに入り、ペンダントの力を知っていたわしに取り憑くのではと心配していたようだ。それで、ペンダントの秘密を話してくれたのだろう」 すべてが信じ難い話だった。けれど、今の自分の身の上に起きていることに深く関係しているのは間違いなかった。 「ジェルファと盗みに入れば、脱出は容易だった。ある時は全員同じ場所に、ある時は別々に、ジェルファが望んだ場所に移動させてもらえた。大胆不敵にして神出鬼没。しかも、ジェルファの意向で時には貧しい人々に宝石を分け与えたことで、わしらはいつの間にか義賊としてもてはやされていた」 「魔道士に封印されるような危険な妖獣なのでしょう? どうしてその魔道士にコインを渡して魂も封じてもらわなかったの?」 「それは知らん。言っただろう。ジェルファは望んで妖獣に身を捧げたようにみえた、と」 「もしかして」 アンネリーゼはあることに思い至った。何度も城から父に使いが来ていたことと、人々の噂。 「妖獣って、まさか亡くなった王妃様の守護妖獣なの?」 それなら見えなかったものがつながるような気がしたのだ。 「いきさつは知らんと言っただろう。それにどうして王妃の守護妖獣が魔道士の手にかかるんだ? ありえんだろう」 モルバルは興味なさそうに一蹴する。 「問題なのは、妖獣に取り憑かれたら最後、自分の意志とは関係なく宝石を与え続けなくてはならんということだ。しかも、コインが放つ光を浴びれば浴びるだけ、体は急激に年を取り衰えていくということだ。わしは四十歳半ばだがそうは見えんだろう」 アンネリーゼは目を瞬かせた。モルバルは七十歳過ぎにしか見えなかった。 「あなたも?」 「妖獣の光を浴びるだけでも、死は近づく。ペンダントの持ち主よりは少しゆっくりと、普通の人間よりは早く」 「……」 絶句するアンネリーゼを気の毒そうな哀れみをもった視線でモルバルは見つめ、大きく息を吐き出した。 「メイハーナという名の妖獣だと、ジェルファは言った」 「メイハーナ……」 「妖獣の名を盗賊団の名にしようと提案したのはジェルファだ。盗賊団メイハーナ。今はわしらの名にあやかって国内にメイハーナと名乗る盗賊や、強盗集団が有象無象にいるが、真の盗賊団メイハーナは、わしらのことだ」 アンネリーゼは意識が遠のきそうになり、座った椅子の肘掛を強くつかんだ。 妖獣の力は、とてつもないものだとモルバルは眉間にシワを寄せてため息のようにつぶやいた。 「最初はまさか生命に関わるとはジェルファさえ気づいていなかった。だから、忍び込んだ館からあっという間に、望んだ場所に移動できる力に、理由はともかく皆喜んだ。盗み放題だからな。ジェルファは数人の貴族の館には、盗賊団メイハーナの名を記したカードを残したことがある。おかしなことにその貴族は盗まれた被害を表ざたにすることはなかったが、名前は広まった。城の貴族だけではなく、地方や田舎の貴族の館にも忍び込んだ。あまりにわしらが神出鬼没すぎていくつも組織化してあちこちに点在していると思われたものだ」 ジェルファが衰弱を自覚し、モルバルに話したことで彼らは妖獣の放つ光の恐ろしさを知り、対策を考え始めたのだ。 「奴の死後、ペンダントはわしのもとには現れなかった。それなのに最近、貴族の館に宝石専門の賊が出没していると知った。痕跡も残さず追い詰めても捕まえることの出来ない怪盗がいると耳にしてな。探していた。まさか、ジェルファの娘に取り憑くとは想像もしていなかったが」 モルバルはジェルファへの恩に報いるために、少しでも手助けをしたいのだと言った。 「このまま妖獣の力に身を任せていれば、お前は人の何倍という速さで年を取り、短期間で死を迎えるだろう。ジェルファはわしに言い残した。もしも妖獣に取り憑かれるようなことになったら、アンナの一族を探し、ペンダントを渡すようにと。それで解決するかはわからないが、人の力で妖獣から逃げることは出来ない。もし次々と人に取り憑き、生命を奪うことになれば、亡くなった持ち主が嘆き悲しむだろうと。そして、不幸な人々が増えることだけは避けたいのだと」 アンネリーゼは体が冷たくなっていく錯覚にとらわれた。 (逃れられない運命に取り憑かれたということ?) モルバルはアンネリーゼに、宝石を集めることと必要なときは手助けをすることを約束した。 そして、盗みを行なうために必要な知識や、技術を手ほどきしてくれ、妖獣に光石を与えるとき以外は出来るだけ妖獣の力を使う事態を避けるようにと助言した。 「娘にコインの化け物が取り付くとはあいつも考えてもいなかったに違いない。自分の宝石は妻と娘だと自慢していたからな」 父のことは本当に何も知らなかった。 知ったのは、死んでから。 アンネリーゼが自分の意志のもと、本格的に宝石を盗み出すことを選んだのはモルバルと出会ってからだった。 ペンダントのコインに宿る妖獣に体や意志を支配されずに、空間移動を避け、光を浴びる数を減らすことが生命を少しでも永らえる道だと知ったからだ。 けれど、シャルゼルトと出会った時はすでに実際の年齢の二倍の外見となり、見知らぬ人々は彼女が二十四歳の娘だとは思うことはなかった。 父の娘だという理由で、妖獣が自分に取り憑いたのかはわからなかったが、なんとかしてこのペンダントを手放したいと願わない日はなかった。 「今日も夢で会えたよ。この体が耐えてくれたら、会えるのになぁ」 時々、アンネリーゼは、そう話した父のことをふと思い出す。 彼女が逃げないように無理やり抱きしめながら、口にしていた不思議な言葉。 病人でもないのに、死期を感じさせる言葉を耳にした時は、聞こえなかったふりをしてアンネリーゼは話しをそらした。 「また、運命の人とかいう夢の中の登場人物?」 「今は、そうだよ。でもずっと昔から友人だったような気もする。私を見てはいつも可笑しそうに笑うんだ。そしていつも私が抱えている不安を取り去ってくれた」 「運命の人って、ママのことじゃないの?」 「最愛の人とは異なる、運命にかかわる重要な存在。きっと姿かたちは異なっていても、会えばひと目でわかる。けれど、どうやら会えそうにない」 ジェルファは逃げ出そうとするアンネリーゼの背後から腰に腕を回して再びソファに座っている自分の膝の上に座らせると、いつもその頭に顎を乗せて話をしていた。 だから、その時どんな表情だったのかは見たことがなかった。 ただひどく寂しげだったことは声とため息でわかった。 突然現れた父の存在は受け入れ難い一方で、母以外の誰かを想い続ける父を不愉快にも思った。揺れる心を知られたくなくて、再び逃げ出そうと試みるが、がっちり固定された体は動かない。抵抗できないかわりにアンネリーゼは無言を貫いた。 「もしも私の運命の人と会ったら、私が会いたがっていたと伝えて欲しい」 「…………」 「でも、お前がもしも会えたら。それはそれで心配かもしれないな。同じ時代に生まれないことを望もうか……。いや、きっとそれは……」 そのままいつも黙り込み、ますますアンネリーゼは気まずい思いになった。 美しく謎に包まれた父ジェルファ。 アンネリーゼはふと、シャルゼルトが運命の人なのかと考えてみた。 誰よりも彼女に踏み込んできた人物。 けれど、彼が求めていたのはココ王妃の話。 目的は達せられたのだから、二度と会うこともないはずだった。 |
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