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第二十五章《 霧 の 中 の ア ン ナ 》

 セルジーニが家族達の出迎えを受け、ユク一族の家長の天幕をくぐると、代行を務めていたロイスが、他の家長たちと話し込んでいるところだった。
 互いに挨拶とねぎらいの言葉を交わし、絨毯に円陣を描いて座っている家長たちに習いセルジーニもその輪に加わる。  
 儀式の前に、それぞれがセルジーニに状況を説明するために集まっていたのだ。
「このゴラ全体を覆っている妙な霧は誰の仕業か、まだわからないということか」
「その通りです」
 もの静かなロイスが、顔を曇らせる。
 セルジーニはゴラに入国する前から、国全体に立ち込めている霧を認識していたが、ルジーニ自身はじめて出会う現象に、すぐにはそれが結界に近い効力を有するものだと気づくのにしばらく時間がかかったのだ。
「仮に、ばらばらになっているすべてのアンナの一族が大結集して行なったとしても国全体に結界をはることは不可能だ。桁外れの能力をもつ闇の魔道士か、あとは神……いや、転身人の力かと……」
「セルジーニ」
 長よりも、はるかに年を重ねているミズヌ老が、かすれた声でたしなめる。
「安易にその名を出してはならぬ」
「ってことは、家長の総意はそっちの方向でまとまりつつあるってわけですね」
「セルジーニ!」
 今度は、その場の全員から叱責をうけて、さすがのセルジーニも首をすくめる。
「長の安全を考えれば、現在の状況が不利になるような発言はさけなさい。万が一そうだとすれば、名を呼べばこちらに意識が向けられることは、承知しているだろう」
 ロイスが年下の家長に、言い聞かせるようにゆっくり話す。
 セルジーニにとってロイスは、幼い頃から面倒を見てくれた年の離れた兄のような存在だった。
「これまで長の様子を調べるために、空間の儀を行なったが霧が邪魔をして、様子がかすかにしかわからなかった。ご存命なのは感じるが、交信が出来ないのだ」
「ご無事なら、あっちでも同じことをしているはず。霧が邪魔をしているのは間違いないとしても、まさか俺たちの邪魔をするための霧ではないでしょう」
「この国はつい最近、王が殺害され、甥が王座についた。自分の父親も含めて、血の濃い男子は殺害か、国外追放をしたという」
「粛清したって奴か。へぇー」
 そう言ったセルジーニの目が、すっと細くなった。
 ドクン。
「……っ」
 突然、鼓動が体を揺らす。
 セルジーニは、右手で左の胸元を押さえた。
 急に視野が暗転する。
 ドクン
 意識が別の場所に吸い込まれそうになり、肉体の感覚が消え去る。
 自分を取り巻くすべてが宇宙に溶け込み、闇と星々、静寂だけが存在し、回転をし始める。
(これは……)
 セルジーニは、流れ込んで来るそれを感じて凍りついた。迎い入れる準備がまったくできていなかった。
 予期せぬ〈先読み〉が訪れたのだ。

「神々が最後の目覚めの時を待つ
 契約の神イルホが目をそらし
 天空の父 大地の母
 しばし 時を見つめん
 人の世の惨劇避けがたく
 巷に屍あふれ返りし時
 砕けしエボルの涙は 闇を映し出す」

 前触れも無く起こった先読みにセルジーニ自身が驚き、瞼をあけても尚、微動だにできないまま放心状態で、ロイス、ミズヌ、ホーミの三人を見つめていた。
「なんと……」
 ミズヌ老もまた、白い顎鬚に手を当てたまま驚愕の表情を浮べていた。
 重たい沈黙がその場を包み込む。
「そなた……大丈夫なのか?」
 鼓動が早鐘のように打ち付けてはいるが、冷静な自分もまた存在していた。
「……大丈夫です。ただ自分でも何がなんだか」
 セルジーニの〈先読み〉は、多くのアンナたちと同様、事前に読み取るものの方向性を決めてから行なう。
 自分の周囲に結界をはり、身の安全を確保した上で、目的を定め、念じるのだ。
 その為、受け手でありながらも常に能動的であり、どのような内容の〈先読み〉が訪れても自身の心を平静に保つことができるのだ。
 長やイリューシアのように、前触れもなく、突然〈先読み〉が訪れることはなかった。
 自分の意志とは無関係に〈先読み〉が訪れれば、心が無防備であるため受ける衝撃が凄まじく、時に受け手のアンナ自身が壊れてしまうことがあった。
 イリューシアが幼くして高位にいるのは、言葉を覚えるか覚えないかという年齢の時に、〈先読み〉を受け、それを誤ることなく伝え、見事に真を得たからだ。
 その能力なくして、長の後継とは呼ばれない。
 セルジーニは、じっと自分の手を見た。
 思えば、ハリア公国のエリルと旅宿で出会い、手を重ねた時から奇妙な感覚は宿り続けていた。
 エリルの過去・現在・未来すべてを見通した瞬間、同時にそのすべてを消失してしまった衝撃を忘れることはなかった。
 光と闇の凝縮した空間に、自分の存在などいとも容易く呑み込まれてしまった驚愕も、心に焼きついた『聖域』という言葉も。
 その衝撃は、日を追うにつれ存在感を増し、自分の中の何かを変えつつあった。
「不意打ちすぎて、笑えませんね」
 セルジーニの手を、隣に座っていたホーミがとり、そっと両手で包み込む。
 あの時の、経験したことのない異常なまでの恐怖感にくらべれば、この〈先読み〉などまだ充分に耐えられるものだった。
「あなたは昔から強く、秀でていましたからね」
 母親に近い年齢の家長の言葉と、同時に温かいぬくもりがその手を伝わって全身に満ち溢れてくる。
 ホーミは癒しの術を使えば右に出るものがいなかった。
「しかし、今の〈先読み〉の意味するところは一体……」
 ロイスがミズヌの老の意見を仰ごうと老人の言葉を待つ。 
「…………」
 だが、ミズヌはセルジーニをじっと見つめたまま、やがて視線を落とすと深いため息を吐き出した。
「ミズヌ殿?」
「いや、遠い昔に似たような〈先読み〉をした者がいたことを思い出してな」
「え?」
「誰ですか?」
 三人の視線がミズヌ老に集まる。
「もう、ここにはいない者。ずっと昔のことだ」
 皺が刻まれた目元に、遠い日を見つめる眼差しが宿り、悔いるような表情が浮かぶ。
「わしも今、そなたの言葉を耳にするまで忘れておった。あの時は、誰もあの言葉に耳を傾けなかったからな。まさかお前に同じような〈先読み〉が降りるとは……。長でも、イリューシア殿にではなく、お前に……」
「何故、その時、その〈先読み〉に誰も耳を傾けなかったのですか? この〈先読み〉は、神々に関する重大な内容に相違ないはず」
 セルジーニは、もやもやするものを抱えながら問いかける。

――神々が最後の目覚めの時を待つ

『聖域』という言葉が、焼印のようにセルジーニの中でうずく。
「それは……わしからは話せない」
「何故ですか?」
「長が話されるべきことだからだ」
 その言葉に、セルジーニも口をつぐむ。
 もうひとつの傷口がうずき始めそうだった。
 自分の手を包むホーミの手の温もりは、今だけではなく、心のどこかに突き刺さったままの棘から、幼い日よりこれまでも、ずっと自分を守って来てくれた気がした。
「では、必ずや長をお助けいたしましょう」
 セルジーニは静かに立ち上がると、ひとり天幕の外に出た。
「しばらくの間、一人にさせて下さい」
 そう言い残して。

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