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第二十四章《 迷 宮 》

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 グリトニルの握り締めた拳は血の気を失い白くなっていた。 
「陛下」
 グリトニルの体がびくりと震える。
 メイヴはなだめるように優しい声で言葉をかけた。
「私はいつも陛下の御身を第一に考えております。つまらぬ出来事で、陛下のお心を煩わせることのないよう務めるのは、私の役割でございます。陛下にハリア公国の一切を担う王になっていただくためのこと。お分かり下さい」
 だが、グリトニルは首を弱々しく横にふった。
「メイヴ。この国の王は私なのだろう。この城の主も、兵達を従える主人も私なのだろう。メイヴの主人は、私ではないのか」
 言葉の内容とは裏腹に、グリトニルの声は今にも消え入りそうだった。
「サトニ。ヴァルツは私の守護妖獣ではないのか? お前が指輪を探し出し、ヴァルツを連れてきたとはいえ、主人は私ではないのか? お前のものではないはずだ。いつまでも自分のもののような顔をするな。そしてお前達もだ。私の知らないところで勝手に動くなと言っただろう。すべてを報告しろと命じたはずだ」
 グリトニルは、唇を噛み締めながら部屋中の全員に向って泣きそうな顔で訴えた。
 部屋中が緊迫感で満たされ、静まり返る。
 悲鳴を聞いているようだと、ベッドの上でジュゼールはそう思った。
「陛下」
 メイヴがにこやかに微笑んだ。
「この男は陛下におまかせ致します。名をジュゼールと名乗っております。ダーナンの将校で、ボルヘス前王を殺害し逃げてきた様子。ダーナンにとっては反逆者といえるでしょう。皆の者。今後、この男は陛下の監視下におきます。今後は、陛下と、私の許しもなく接するのを禁じる。これでよろしいでしょうか? 陛下」
「うん……」
 少し安心したようにグリトニルは弱々しく微笑んだ。
「陛下は、私たちの大切なお方です。ハリアの真の公王であり、指輪の継承者、そして守護妖獣の主人です。ただ、いつも危険と隣りあわせでいらっしゃるので、私どもは陛下をお守りすることだけを第一と考えております。そのことをお忘れになりませんよう」
「わかってる」
 緊張から放たれ、頬にうっすらと血の気が戻ってくる。
「下がっていい」
「仰せに従います。それでは、失礼いたします」
 メイヴは、にこやかに返事をすると、側近達を従えて部屋から出て行った。
「ジュゼールと言ったな」
 グリトニルは静かにジュゼールに話しかけた。
 メイヴがいなくなったことで緊張を解いたのが明らかに見て取れる。
「私の守護妖獣は、お前の言葉に偽りはないと認めた。お前の身体からは、闇と忌まわしい血の臭いがするらしい」
 寂しい幸の薄さをジュゼールは、この少年に感じていた。
 王といわれながら、権力の要ではない立場にいるのは、一目瞭然だった。
ジュゼールはハリアに関する情報を記憶の中から手繰り寄せる。
 ハリア公国は、行方不明となっていた十六歳の弟エリル王太子の帰国後、ミレーゼ女王が王位を譲り、今はエリルが公王の地位についている。しかし、もう一人の弟、十二歳のグリトニル王太子が王位継承の指輪の所有を明かし、王位の正当性を主張した為に、国は二分され内紛状態にあるはずだった。
 自分がどうしてこのような状態に置かれているのかはわからないが。目の前のグリトニルが哀れに見えた。
 ロディは十歳で、ダーナン帝国の帝位に就いた。 幼すぎると周囲も心配はしたが、驚くべき判断力と統率力、人材登用、その魅力で秩序の乱れた国を立て直し、他国と戦い勝利をおさめてきた。いまや誰もが認める立派な国の統治者だ。
 グリトニルには、彼を守る側近がいないのだろうか、とジュゼールは思う。
 もしも、グリトニルがロディならば、自分は決してこのような場面を他国の人間や部下達に見せることはさせない、と思ったからだ。
 このような惨めな場面を。
 だが、グリトニルはそんなジュゼールの様子を見て、奇妙な笑みを浮べていた。
「お前が来るのはわかっていたんだ」
「え?」
 ジュゼールはグリトニルと視線を合わせた。
「夢の中で私は神の言葉を受けた。ハリアとそなたの為に、レイダル河にある人間を使わせる。手足として用いるがいい、と。その声の告げた具体的な場所に従って部下に河を探索させた。この城に連れ帰ったその部下が言っていた、お前は空に突然現れた巨大な穴から、舞うようにして川辺に落ちたそうだ」
――神の言葉。
 その言葉にジュゼールは、ある言葉を思い出した。
――お前の目的を果たすために道を開き、力を貸そう。私の声が聞こえなくとも、私はお前と共にある。それを忘れるな。
 ジュゼールは凍りついた。
 自分は誰かに誓いを立てた。それを漠然と思い出したのだ。
「お前をどうするかは、この国の王である私が決める。名誉と思え」
 ジュゼールの反応をどうとらえたのか、グリトニルは満足そうに小さく笑い、うなずくと、サトニの名を呼び命じた。
「監視を」
「はい」
「常時見張りをつけ、この者の体力が回復次第、剣の腕がどれだけ実力があるかを試してみろ。ただ、私の命令なく身の上に関する一切の問いかけをすることは禁じる」
「はい」
 無感情な返事だったが、なれているのかグリトニルは気にする様子はなかった。
 そして、立ち去ろうとしたグリトニルは、何かを思い出したように振り返りジュゼールを見た。
「ダーナン帝国の代々の王には、守護妖獣はいないと聞く。本当なのか?」
 ジュゼールは顔を強張らせた。

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