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第二十四章《 迷 宮 》

 無表情な少年は、ジュゼールの首から短刀を離して、刃についた彼の血を突きつけるようにして見せると、次に切っ先を喉もとに突きつけた。
(主……? 守護妖獣……?)
 突然襲いかかった身の危険に、ジュゼールは声を出す力もないまま、頭の中で少年の言葉をなぞっていた。
「答えなければここで死ぬだけだ。異国の地で死んだところで、誰も気にはかけない。名は? 何者だ?」
 少年の茶色の瞳には、ジュゼールがこれまでに出会ったことのない虚無感が宿っていた。
 子供なのに、廃人のような眼差し。人の生き死になど関心を持っていない表情。
 殺す。という言葉は決して脅しではないことは、その瞳が告げていた。
(人を殺したことがある目をしている。そして、死を見ることに馴れた目)
「……ジュゼール」
 自分でも驚くほどの、息を吐くようなかすれた声が弱々しく名を告げた。
「国は?」
「…………」
 口を開いてはみるが、声が出ない。
 少年はジュゼールから剣を離すと、兵士に命じて再度水を与えるように命じた。
 今度は、器の水すべてを飲み干せるだけの時間が充分に与えられる。
 水が体の中に染み込み、わずかではあるが力が入るようになった。
「どこの国の者だ」
 少年は同じ質問を繰り返した。
 けれど、まだ手にした剣を鞘に戻す気配はない。
「ダーナン帝国……」
 その言葉に部屋の空気が静まり返る。
 不思議なことに、祖国の名を告げることに抵抗はなかった。
「見たところ将校だな。身分は?」
「階級は剥奪された……」
 ロディの側近だったことは出来る限り知られたくなかった。
「何をしに来た」
 問われて、ジュゼールはしばらく言葉につまった。
 だが、やがて思いもかけず力なく笑っている自分を知った。
「何がおかしい」
 少年の鋭い眼差しが、ジュゼールをにらみつけていた。
「私は……病で床についていたボルヘス前王をこの手で殺めた……。土の魔道士の力を借りて、ここまで逃れることが出来たが、もう国に戻れる立場ではない。しょせん裁かれる身だ。構わない。このままひと思いに殺してくれ」
 同じ言葉をどこかで語ったことがある気がした。しかし、それがいつのことなのか、誰に対して話したのか思い出せなかった。
 部屋の中にいる人間たちの間からどよめきがしばらく続く。
 どう考えても、いまも、ボルヘス前王の死になぜ自分が関わってしまったのか、まったく理解できなかった。
 敬愛するダーナン帝国の帝王ロディ・ザイネスと、病に伏す前王ボルヘス。その二人を助けようとしただけだった。
 いや、同時に守ったはずだったのだ。
 だが、そこにいたのは血まみれで絶命している前王と、血に染まった剣を手にし返り血に染まっている自分。そして自分の姿を茫然と見つめているロディとリリアの姿だった。
 極刑を免れないと覚悟を決めた。
 けれどその自分を、ロディは逃がしてくれたのだ。土の魔道士ルキナに命じ、土の精霊の力で城から身を消すために、闇の通路を開いてくれた。
 だが、逃げ込んだ闇に出口は存在しなかった。
 長く暗い闇の中を果てしなくさまよい続け、気がついたときには、沼地に入り込んだもののように体の自由を奪われ、ひたすらあがき続けている自分がいた。ほんのわずかに上に出ている顔が沈みきらないように、沈んでは浮かび、呼吸をしては沼から這い上がろうともがきあがいた。
 闇の中で、何も見えない闇の中で、ただ果てしのない罪の意識と地獄の苦しみの中で、ジュゼールは光に出あうことだけを望み続けていた。
 その闇からどうやって抜け出すことが出来たのか、記憶がなかった。
「殺してくれ」
 瞼を閉じてジュゼールはそう言った。
 その時、あわただしい数人の足音と声が部屋の外から響いてきた。
 驚き制止しようとする声と、扉が荒々しく音を立てて開くのが同時だった。
 ジュゼールの目の前に、もう一人、別の少年が現れた。
 人々が慌てて深々と頭を下げながら、その少年のために道をつくる。
「陛下……」
 それまでこの部屋の支配者であった貴婦人が、曇った顔で現れた少年を見て腰を低くし臣下の礼をとった。
 ジュゼールに詰問をしていた少年も慌てて持っていた剣を背後に隠し、ひざを折る。
 体を押さえつけていた兵士たちも、彼の身体から手を離して静かに離れた。
「メイヴ。この者が城に運ばれたことを私は聞いていない。どういうことだ?」
 陛下と呼ばれた少年は、やや青白い顔でおどおどしたように、それでも深呼吸を繰り返しながらメイヴに向って問いかけた。
 あとから部屋に飛びこんで来た数人の側近らは、困ったように立ち尽くしている。
 メイヴは顔を上げると、一瞬意外そうな表情をつくったものの、余裕にみちた穏やかな表情を浮べてグリトニルに説明を始めた。
「グリトニル陛下。誤解をなされませぬように。まだこの者の正体がわかりません状態ではお引き合わせすることは危険と判断いたしました。それゆえ、身元がはっきりとしてから、と考えておりました」
「でも、剣で脅し、殺そうとしていたのではないのか? サトニ」
 グリトニルは、剣を後ろ手に隠した少年、サトニを見つめる。
 サトニは黙ったまま答えない。
「それに」
 グリトニルは、胸に手を当てて呼吸を繰り返して息を整えたあと、メイヴに言葉を投げる。
「今までだって、私には報告もない、内緒にしていたことが多いではないか。今回は、私が使いをやって調べさせ、探させたことだ。それなのに、どうして私に一言の知らせもないのか」
 声が震え、決死の思いで抗議をしている様子が部屋中に伝わり、水をうったような静けさが広がる。

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