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第二十四章《 迷 宮 》

  空には、どんよりとした鉛色の雲がたれこめていた。
 ジュゼールの体は、川の近くに仰向けのまま倒れていた。
 数時間前から意識は戻っていたが、その意識も不明瞭で、何故自分がこの場所に何故いるのかさえも、まったく理解が出来なかった。
 長い間、闇の中で苦悶にのた打ち回っていたはずだった。
 けれど、それさえ夢なのか、現実なのか、もうわからない。 
 体は重く、全身から力はすべて失われ、指一本どころか、目さえ開けていることも困難だった。
 水の流れる音が、川のそばにいることを感じさせたが、ただそれだけのことだった。
 全ての力が失われ、激しい吐き気とめまい、頭痛と呼吸困難、そしてあらゆる器官が悲鳴をあげ、それらすべてが自分に迫りつつある死を宣告していた。
(陛下……、ロディ陛下……)
 ジュゼールは、ただその名を心の中で呼びながら、再び意識を失った。

 再び、意識が戻ったとき、ジュゼールは、自分の身に明らかな変化が起きていることに気がついた。
 体がうつぶせ状態で、馬の背に乗せられ、運ばれているのだ。
 顔を上げて、馬の持ち主を見ようと試みるが、やはり自分の体はピクリとも動かない。
 時折、風に吹かれて黒いマントが視界に見える程度だった。
 何者なのかを見定めることは困難であり、ただ馬の蹄が地面を蹴るのを捉えることが精一杯だった。
 ジュゼールを荷物のように乗せた黒装束の男と馬は、やがて高台にある大きな城門の扉を兼ねる跳ね橋の前に来た。
 石造りの堅固で高い外壁と、周囲をめぐらす広く深い縦溝が張り巡らされていた。
 門番は黒装束の男を確認すると、一礼をし、跳ね橋を下ろす。
 馬は慣れた様子でその橋を渡り始めた。
 城門をくぐり、落とし格子の備えられた塔門を潜り抜け、警護の兵士の敬礼を受けながら、奥へ奥へと進んでいく。
 中央に四角く高い城郭と、四方に外城壁と一体になった高い塔が築かれていた。
 (ここは……どこだ……?)
 ジュゼールはどこかの城へと運ばれていることを知り、緊張感に包まれていた。
 (ダーナンにいるのだろうか? それとも、別の場所なのか?)
 やがて城の正面玄関前で馬がいななくと、大勢の兵士たちの足音がジュゼールを乗せた馬を囲むよう集まり、その体を丁寧に馬 から下ろし、板に乗せ換え運び始めた。
 力なく薄れゆく意識を懸命にこらえて、ジュゼールは自分の置かれている状況を把握しようと努めた。
 自分がどこの国の、誰の城に運ばれたのか状況を知らなくてはいけなかった。
 扱いは、決して乱暴ではない。
 板から数人の手によって下ろされた場所は、軟らかな心地よい寝台の中だった。
 どうやら、今すぐ殺されるような気配ではないことだけは察することができた。
「意識はあるようです」
 変声期前独特の少年の高い声がすぐそばで聞こえてきた。
「闇の世界の通路とな?」
 今度は威厳に満ち、落ち着いた女性の声が響く。
「はい。この男は地上には存在するはずのない異界の通路から出て来たとヴァルツは言っています。その道を使えるものがいるとすると、よほどの力を持つ魔道士か……神、そう、ノストールのアウシュダール王子のような転身人……」
「しかし、ノストールの者の顔立ちではないな。西の者の面立ちとよう似ている。装束とてあの国のつくりと感じが良く似ている。同色の生地と糸で刺繍を施すあたり、このハリアにはないものだ」
 ジュゼールは、自分の身がハリア公国にあること。そして、女性がダーナンの事情に精通していることに危惧を覚えた。
 ピシリと扇を手のひらで打ち付ける音が部屋中に響く。
「ダーナンはリンセンテートスでのあの一件以来、ノストールの王子を恐れて自国に引きこもったままだというではないか。転身人の力の前になすすべもなかった国に、そのような力などあるはずがない。起きよ、男。名を名乗れ」
 いらだたしげな声がジュゼールに向けて、命じられた。
「起こせ」
 感情のない少年の声がそう命じると、その声と同時に、ジュゼールの体は数人の男たちの手に支えられながら強制的に上半身を起こさせられた。
 そこで、自分のそばにいるのが、ただならぬ人物であることに半分も瞼が開かない状態の中ではあったが、視界の中に認めることが出来た。
 豪華な衣装に身を包んだ威厳に満ちた貴婦人と、貴族の少年。
 背後には、大勢の兵士たちが部屋をとりまくように厳重に警護をしている。
「水を飲ませてやれ」
 線の細い、まだ十歳頃の少年が命じると、兵士がジュゼールの口元に水の入った器をあてがい、あごを上げて強引に飲ませる。
 乾ききった喉に注ぎ込まれる水を十分に飲み干す力もなく、また味わうことなく引き下げられた水飲みをやや未練ありげに目で追ったその時、首筋に冷たいものがピタリとあてがわれた。
「名を言え」
 少年の顔が間近に迫りジュゼールを見つめていた。
 両手は背後の兵士たちに締め上げられており、逃げることは不可能だった。
 もっとも、あらがう力などどこにもない。
「嘘偽りは通用しない。僕のそばには守護妖獣がつき従っている」
 首筋に鋭い痛みが走った。

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