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第十九章《見えざる手》

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 気がつくとジュゼールは長椅子の上に横たわっていた。
(夢……?)
 そう思いたかった。
「…………」
 だが、明るい燭台に灯された部屋の中で、両手をかざすとうっすらと血のあとが両手に残っていた。
「…………」
 力なくそのまま手を下ろすと同時に、全身から力が抜け落ちた。
 めまいはまだ残っていた。
「なかなかきれいには落ちなくて」
 声があまりにもそばで聞こえたことに驚いてゆっくりと見ると、そこにリリアの姿があった。
「ここは……」
 声が自分のものではないような気がした。
「私の部屋よ」
 ジュゼールは、ひどく驚いた表情で自分を見ていたリリアを思い出す。
「なぜ私は捕らえられていないのです? ああ、もうすぐ警備のものたちが駆けつけてくるのか……」
 リリアはあの現場を見たのだ。なにをどう説明しても言い訳はきかない。
 今になってルキアや、夢の声の警告をすべて無意味にしてしまった自分に気がつく。
 前王を、ロディの父を殺害したのだ。処刑は免れない。
 きっとこの先、ロディの声を聞くことも、顔を見ることも許されないだろう。
 すべては混沌の中に呑み込まれて、自分の意志など無関係に、なにをどうあがいてもどうすることもできない力に引きずり回され、押し倒され、踏みにじられているのだと漠然と感じる。
 なにもかもが失われたという現実をまだ冷静に分析している自分の存在だけが、ジュゼールに自分がまだ狂っていないことを知らしめる。
 いっそのこと、狂ってしまえば楽なのかもしれない。
「ルキナがいなくなったことで病身のあなたが休む間も惜しんで必死で城中を探していると、あなたの部下が早馬で私のもとまで知らせに来てくれたのよ。あなたの身に万が一のことがあれば陛下に合わせる顔がない、と。あなたは陛下の命令がなければ自分のことなど省みないことをよく知っているから。もちろん、ルキナにもしものことがあれば、ボルヘス様の治療は難しくなることも考えてのことよ」
 ジュゼールはリリアの言葉をぼんやりと聞きながら、自分の部下にそんなにも心配をかけていたことを初めて知った。
 自分の指示を受けずにリリアのもとに走ったほど、部下はジュゼール自身では気づかない異常さを感じていたのかもしれない。
 部屋の扉が開き、人が入室してくる気配がした。
 どんな状況もすべて甘んじて受ける覚悟をしなければならない、とそう言い聞かせる。
「ジュゼール」
 それはロディの声だった。
 思いがけなく自分の名を呼ぶ主の声に、ジュゼールは力の入らない体で起き上がろうとした。
 けれど、一瞬ぴくりと動いただけで鉛のような体は起き上がることもできなかった。
「陛下……私は……」
 かすれた声で、自分は謝るべきなのだろうかと躊躇した。
 自分は殺してはいない。殺そうと思ったことも、ただ守ろうとしたはずだった。
 ならば謝る必要はないのでは、と思うのだが、どんな言葉も見つからないまま言葉は途切れた。
「わからないんだ」
 ジュゼールの横たわる長椅子に近づいたロディの顔は、ジュゼール以上に苦しそうな表情だった。
「どうしていいか、わからない」
 ロディはそう言うと苦しそうに天を仰いだ。
「何があったか、話してくれ」
 その言葉にジュゼールの目から涙があふれ流れ落ちた。
 たとえ信じてはもらえなくても、自分の身に起こったことを直接語ることができる機会をロディが与えてくれたことが信じられなかったのだ。
 ロディが大切に守り続けて来た、その父を手に掛けたかもしれない人物は、断固として厳罰を、怒りをもって処分すべきが常道だ。
 ジュゼールは、悪夢を見た話、そしてこの夜我が身に起こったことを、とぎれとぎれに話した。
 それを聞き終えると、ロディとリリアは言葉を失ったように黙り込んだ。
 そして、ロディが部屋を出て行く後ろ姿だけがジュゼールの目に映った。
 ジュゼールは満足だった。
 たとえ処刑される身となっても、信じてもらえなくても、ロディに直接伝えられたことで十分だと思った。
 しばらくして部屋に入って来たのは、警備兵ではなく土の魔道士・ザキ一族のルキナをともなったロディだった。
「ルキナは昨日の夜以降の記憶がないといっている」
 ロディの横でルキナが申し訳なさそうにうなだれる。
「部屋にいた。気が付いたとき、ボルヘス様の部屋にいた」 
「私は……」
 ロディはリリアに向かって、ジュゼールにとっては意外な言葉を口にした。
「ジュゼールを助けたい」
「陛下……信じて……くださるのですか?」
 ジュゼールは信じられない奇跡が起こったように、ロディを見上げた。
「父上が私にとり、とても大切な方なのはジュゼールが一番良く知っている。その父を失ったことは悲しいのは事実だ。けれど、今お前を失うことは、それ以上の苦しみだということを私は改めて初めて気づいた。ならば、ジュゼールの言葉を信じたい。助けてやりたい」
 絞り出すようなロディの言葉に、ジュゼールは涙が止まらなかった。
「だが、父が殺されたのは隠しようがない事実だ。幸いというべきか、父の回復はごく一部の者しか知らせていない。病気が回復せずそのまま亡くなったと公布できる。しかし、それでは通じない者もいる」
 ロディは固く目を閉じて大きく息を吐き出した。
「ジュゼールは、私の命を受けて父を殺した者を追っていったことにする。これは命令だ。いいな」
 ジュゼールは黙ってロディを見上げていた。
「もともとこの身は陛下の為に捧げた身。どのような決断を下されようとも覚悟はできております。身の潔白など証明できないとわかってる今、どのようなお言葉にでも従います」
 鉛のように重く動かない体では、涙さえぬぐえなかった。
 リリアがジュゼールの涙を柔らかな布でそっとぬぐい取ってくれる。
「陛下は、ルキナの術でジュゼールを逃がしたいといって下さってるの。だけど、ルキナは土の精霊の力を借りて人を別の移動させる術は随分昔に使っただけで、危険な賭けになるかもしれないって……」
「おまかせします」
 ジュゼールはそれでいいと思った。
 それが死に直結しようとも、それも運命だと思おう、と。
 処刑台が待っていて当然の身の上なのだ。
 その後、リリアが中心となって、ジュゼールの身支度が行われた。
 当分の間の着替えや食料。
 一年は戻らなくてもいいが、連絡だけは必ずすること。
 内容はカラギやその他の側近も見ることをふまえた内容にすることなど。
 細かい指示も、リリアが整えた。
 そして夜が明けるころ、ルキナの術が行使され、ジュゼールはリレイン城から忽然と姿を消したのだった。

 第十九章《見えざる手》(終)

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