第二十章《 失 月 夜 》
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研ぎ澄まされた鋭い半月刃のように、細く輝く上弦の三日月が夜空に浮かんでいた。
――いいか、ルナ。アル神の姿が見えない夜は、少し寂しいけど、アル神が光の神リーフィス神に会いに行く日なんだ。
だから哀しんだり、寂しく思ったりすることはないんだって、アルクメーネ兄上が言ってた。
光の神様は、アル神が訪ねてくるその日を毎日毎日ずーっと待ち焦がれていて、さ。
ずーっと待ってると、ある時、闇の神様がアル神を夜の空から連れ出して、光の神様のところに連れてきてくれるんだって。
でも、会える時間はほんのちょっとの時間だけ。少し不思議だよな。光の神様が寂しがるのって……さ。
――白昼月の時って会ってないの?
ルナは、青空に浮かぶ明け方の白い月を思い浮かべる。
――アル神がせっかく朝まで待ってくれていても、光の神様は自分の光が強すぎてアル神がいることに気がつかないらしいぞ。
――そうなの?
細くなる三日月の輪郭を見あげながら、ルナはクロトと一緒にアルティナ城の部屋の窓から見上げた夜空をおぼろげに思い出す。
心地よい風が、森の木々をざわめかせ、ルナは自分もまたその中の一部に溶け込んでいくような気持ちに満たされていた。
虫の音も競い合うように鳴き続ける山中の、ひときわ高い大木の枝の上でルナは太い幹に身をあずけるように眠りについた。
「ギルック、おい、ギルック」
盗賊団《ルーフの砦》の見張り台にいたギルックは、下から大きな声で呼びかけてくるカイトーゼに気づき、「またか」といった表情で困ったようにため息をつく。
縄をとりだし枝に巻きつける。先端が十分にきつく巻かれていることを確かめると、残りの縄を見張り台から下にほうり出してその縄をつたって降りていった。
ジーンが見張り台から縄を片手に鳥のように大きく弧を描いて地上に舞い降りる姿を見て以来、自分もできるようになりたいと練習をしてきた。
だが、なかなか上手くいったためしがない。
結局はいつもどおり、幹を何度も足で蹴りつけて下りなければ、下までたどり着くことができなかった。
地面に着地して、見張り台にいる仲間に縄を引き上げる合図を送りながら、ギルックはやや不機嫌な表情を浮かべて自分よりはるかに大きな体格をしているカイトーゼを見上げた。
「なんだよ?」
「見回りに行くぞ。俺だって気が進まねぇんだ」
赤みがかった金髪を大きな手でグシャグシャとかきながら、大きな体に見合わないなさけない表情を浮かべ、自分の胸までも背丈のないギルックを見下ろす。
カイトーゼがこんな表情を見せるようになったのは、ジーンたちが来てからだ。
と、いうよりジーンに関わる話の時だけに限られていた。
自分より遥かに小柄で子供のジーンに素手で手合わせする間もなく倒されてからだ。
よっぽどショックだったんだろうと思う一方で、やっぱり俺の英雄はすげえ、とギルックは内心幸せな気分に満たされる。
今までどれほどハーフノームの海賊の恩人の話をしても、誰も本気で取り合ってくれなかったのだ。
いつも作り話をしていると思われていた。
その筆頭だったのが目の前のカイトーゼ本人でもある。
「だったらほっとけよ。ジーンたちがどこで寝ていようが起きていようが、自由だろ。ルージンだってそう言ったじゃねえか」
ギルックは両手を腰に当てると、年上のカイトーゼを睨みつけた。
今までと立場が逆転したような錯覚に陥り、少しだけ嬉しい。
ジーンが来るまでは、さんざん馬鹿にされてきたのだ。
「何度も言わせるなよ」
カイトーゼはため息をつく。
ジーンとランレイは、この砦に客人として受け入れられ客室を与えられているが、二人がその部屋を使った形跡は一度もない。
さらに、ギルックと見回りにでると約束した日以外は、決められた顔見せの時以外はなかなか姿を見ることもなかった。
どうやら二人は、近隣の町や村、森小屋の人々や、遠出をして牧草地帯まで探し人ディアードに関する情報を集めているらしいのだが、ジーンらがどこを寝所にしているのかがさっぱりわからなかったのだ。
「どうして用意した部屋で寝ないんだ? 夜はどこを寝床にしている?」
ギルックはジーンにそう問いかけたことがあったのだが、ジーンは「月の見えるところの方が安心して眠れるから」と真面目な顔でそう答えたので、その雰囲気に押されて、ギルックはそれ以上追求できなかった。
それを報告すると、今度は、客人の安全を保障するためにも、居場所を知っておくことは大切だから、しっかり把握しておくようにというセインからの命令がおりた。
「俺たちの奪った金貨や宝石を横取りするかも知れないって思ってんのかよ」
「おまえはジーン崇拝者だからあいつを信じきっているんだろうが、忘れちゃいねえよな、あいつはハーフノームの海賊なんだ。海賊だ。海の盗賊、盗人だ。探し人がいるといって油断させておいて、お宝奪ってとんずらするかもしれねぇぞ。あいつの合図で、海賊が山賊を襲うために身を潜ませているかも知れねぇ」
「あのねぇ」
ギルックはあきれたようにカイトーゼを嫌な顔で見る。
「海賊にアジトを襲われる山賊なんて、まぬけすぎて首つって死んだほうがいいじゃねぇの?」
「冗談だよ、冗談。だが、何事も用心するにこしたことはねぇ。用心は必要だろうが」
「そりゃあ、わかってるけどさ」
ギルックは唇を尖らせると、不承不承の風体でカイトーゼに促されて歩を進めた。
「まぁ、ジーンを信じてるおまえと、昼間でさえジーンに近づくのが恐い俺に探索を命じるぐらいなんだから、そんなにぶんむくれんなよ。居場所さえわかっていればいいことなんだから」
「ま、そうだろうけどさ。闇雲に探して見つかるわけも……」
「お前には印を置いていってるんだろう」
「…………」
ギルックは言葉につまる。
「リゲルが言っていた」
ギルックの脳裏に、涼しげな顔をしてあらゆる情報を手にしている男の微笑が浮かぶ。
地獄耳と天上の眼をもつ男……と、ルージンが裏で呼んでいるのはあながち嘘じゃない。
「お前は《ルーフの砦》の住民。ジーンは客人。それをわきまえろって、言っておけってさ」
「ちぇっ」
カイトーゼは、がっかりしたように舌打ちするギルックを見下ろしながら大きな口を開いてカッカッと笑うと、ギルックの背中をバシリとたたいた。
だが、しばらくしてその顔が真顔になる。
「それに、客の安全を考えているって言うのはあながち嘘じゃねぇ」
「うん?」
「もうすぐ失月夜が来るからな」
「失月夜?」
ギルックは、カイトーゼの緊張と神妙さ、やや不安そうな複雑な様子に、またひとつ珍しいものを見た、と目を瞬かせる。
「おまえは見たことがないんだったな。夜空から満月があっと言う間に闇の中に吸い込まれて消えてしまうんだ。蝕ともいうらしいけど、すっげー怖いぞ。月が消える夜。それが失月夜だ」
「………」
ギルックは立ち止まると、カイトーゼの顔をまじまじと見てから、笑い顔を作る。
「そんなウソ話で俺がびびると思ってんのかよ」
「いいや」
カイトーゼは何かを思い出したように、真顔で顔を強ばらせた。
「失月夜に出会うと、それが何度目でも恐怖でびびるぞ。だがな」
言いながら、ためらうように下唇を一度噛む。
「この《ルーフの砦》ではある意味、失月夜は本当にやばいってことは事実だ。お前も絶対出歩くなよ。もしも、その日を忘れて外に出てしまっていたら明け方になるまでは山に帰って来るな。山を下りて町でびびってろ」
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