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第十七章《 国境を越える時 》

 半年前――。
 ブレアの町に帰ったエリルは、見るべくもない姿に変わってしまった町の様子にただ茫然とするしかなかった。
 嵐の被害を受けたように何軒も軒並み破壊された建物と静まり返った人気のない町の光景。
 エリルたちが長い間逗留していた宿は跡形もないほどの壊滅状態で人の姿はどこにもなかった。
 顔なじみになった人の家を訪ねて、宿の主人やジーンたちのことを聞くと、エリルがアンナの一族だと信じていることもあり、すぐにネイたちが世話になっているという家を教えてくれた。
 そして、真っ黒な霧のような正体不明の妖獣が町を襲ってきたことや、ジーンたちが旅の途中のアンナの一族を連れて来て妖獣を追い払ってくれたこと。宿の女主人を守ろうとしてネイが大怪我を負ったことなどこの町で起こった出来事を話してくれたのだ。
 エリルは血の気を失った。
 動揺しながら、ネイのいる家を訪ねると、彼女は奥の部屋で、重傷を負った姿で横たわっていた。
 だがそこに、いるはずのジーンとランレイ、そしてアンナたちの姿はない。
「体の具合はいかがですか? 大丈夫なのですか?}
 エリルが現れ、心配そうに覗き込み声をかける。
 そしてその視線が、ジーンたちを目で探している様子に気がついて、ネイが口を開いた。
「ジーンとランレイはいないよ。あたしが旅に出した」 
「え? どういうことですか?」
 信じられない顔をするエリルを見ながら、ネイは口元に笑みを少しだけ浮べて、経緯を短く話をした。
「でもこんな状態のあなたを置いたまま行くなんて」
 重病人のネイを残して町を出るのは、ジーンらしくないように思えてしかたがなかった。
 ネイは静かに息を吐くと、エリルに口元に耳を寄せるように合図を送り、他の誰にも聞かれないように声を出さずに言った。
「あの化け物は、あたしらを追いかけて来たんだ。だから、ジーンは、あたしとこの町から一刻も早くあの化け物を引き離したかったんだよ」
 エリルの顔がハッとし、体を引いた。
 ネイはエーツ山脈でもヴァルツという妖獣に殺されそうになっている。そして、今回は瀕死の重傷を負わされた。
「でも、あたしがこのザマじゃ、あんたの言うとおりそばからなかなか離れようとしない。ジーンはさ、夜もずっと寝ないであたしのそばについていたよ。そんな時に、妖獣を追い払ってくれた三人のアンナの中の、エディスっていう女の子がいたんだけどさ。その子が、ジーンと知り合いだって言ったんだ」
「え?」
 エリルの瞳が大きくなる。
「驚くだろ。あたしだって冗談かと思った。だけど、その子がジーンがいないときにあたしに話しかけてきたんだ。ジーンの詳しい生い立ちは話してくれなかったけど、あいつには、兄貴以外にもう一人どうしても探さなくちゃいけない人間がもう一人いる。けど、手がかりがは名前だけ。それ以外にはまったく何もないから、あたしらにずっと話せずにいるって。そりゃそうだ。名前しか知らない人間を探したいから、なんて無茶な話だ。でも、エディスは言ったんだ。『ジーンならきっと探し出せる。その為にも、できれば、あなたの言葉でジーンの背中を押してやって欲しい』って」
「お兄さん以外の、探し人ですか?」
「ああ。でも、あたしはなんでかな、直感しちまったんだ。占術士が話してくれたせいもあるんだけろうけど、その人探しが、ジーンにとってすごく大切な意味を持つことなんだ、って」
「……?」
 エリルは、だまってネイの言葉に聞き入る。
「エディスってさ、物静かな子なんだけどどこか不思議な子だった。他の二人はいかにも占術士様っていうか、あたしらとは住む世界が全然違う空気をまとっているんだけど、あの子はなんだかふわっとしていて、こっちが逆に守ってやらなきゃ、って思う感じだった。だいたい、あたしみたいのがアンナのあんたらと知り合いになること自体ありえないから、どうこう言うのも変なんだけどさ」
 エリルはずっと疑問に思っていたことを口にした。
「ネイは、ジーンとずっと一緒にいたのではないのですか? 会うより以前って……」
 ネイは口が滑った、というように苦笑いをすると、少し言いにくそうに話し出した。
「あたしとジーンが出会ったのは、二年くらい前だ。親に売り飛ばされて、殺されかかったところをあいつが助けてくれたんだ。詳しくは話せないけどさ。その日から、あたしにとってジーンは命の恩人になった。でも、あたしはジーンのことを知っているようで、何一つ知らない。住んでいた場所を父親から追い出されるのを知って、追いかけて、強引にそばにいると決めた。兄貴がノストールにいるって聞いたのも島を出た時が初めてだったよ」
 ネイは目を閉じて、ハーフノーム島を出たあの日を思い出す。
 楽しかった海賊島での暮らしはジーンがいてくれたからこそだった。
 頭のジルと、ジーンが実の親子でないことは島の人間達にとっては暗黙の秘密のようなものだった。
 島で暮らすようになったネイは徐々にそうした話を知るようになった。
 複雑な事情があったようだが、ジルの妻であるイリアのために、誰もが何も言わずに、ジーンを受け入れたことを。
「ジーンはさ、あんなにチビなのに深い傷を抱えている。あの大きくて綺麗な翠色の瞳であたしにはわからない闇を見ている。あいつに関してはさ、正直、いろいろ奇妙だと思うことはあるんだ。けど、あたしは聞かないと決めてる。話してくれなくてもいいんだ。命の恩人だからね。あいつがいなかったら、あたしはもうこの世にいない。だから、ジーンのために力になれることならなんでもする。理由なんていらないんだ」
 命に関わる重傷を負っても尚、力になりたいと言い切るネイの強い意志に触れたとき、エリルは、何かが自分の中で変化するのを感じた。
「兄貴がいるから、会いたいって言うから助けになりたくて着いてきた。でも、なんでかわからないけど、化け物に二度も襲われちまった。そのあたしが足かせになって、あいつが身動きが取れなくなるのは嫌なんだ。あたしはジーンを守りたいだけなんだ。兄貴に会うためにも、探したい人間を探すためにも、あいつを自由にしてやらなきゃいけない。なにもかも、万が一、あいつの言葉のすべてが嘘だとしても、いいんだ」
 エリルは心が震えるのを感じた。
「ジーンは?」
「あいつは嫌だって言ったよ。でも、アンナがいなくなってまたあの妖獣が来るかもしれないことを話したら、泣きそうな顔してた。だから、あたしの怪我が治るまでの間、探したい奴がいるなら、手がかりだけでも探しておいでって、言ったんだ。もちろん、兄貴に会いに行ってきてもいいからって」
「でも、あの妖獣はジーンを狙っていたんじゃ……」
「エディスはわかっていたみたいだ。だから、あの妖獣すべての気配が消えるまでアンナたちがジーンたちと一緒に旅をするって言ってくれた。町のあちこちにも結界とかいうのを張ってくれたみたいだし」
 ネイは話し疲れたように、少し咳き込んで、大きく息を吐き出した。
「とにかく、そんなこんなな事情だ」
「アンナは……」
 言いかけてエリルは口を閉じた。
 アンナの一族は王族に仕える占術士であり、ジーンと面識があること自体が考えにくいのだ。
 仮に、旅の途中で出会った可能があったとしても、二人の年齢は幼すぎる。
 それに、アンナが一個人にかかわり、旅の保護を申し出るほなど考えられない。
 また、《星守りの旅》の途中、妖獣に襲われた町の人々を助け、緊急事態として撃退したとしても、その国の王の許しなく町に結界を張ったり、人々に薬草を与えたり、町の住民に関わること自体が奇妙だった。
 その日、エリルは町を歩き回り、惨状を確認するように目に焼きつけ、夜はネイのそばにもどった。

 ネイの体は、顔や肌の露出している部分は、あの事件から日も経過し、かなり腫れはおさまっているものの、どす黒いアザや傷の痕がいたるところに残っていてひどく痛々しげだった。
 旅人のアンナが置いていたという、薬草を煎じて布に塗りつけ、患部に張り替えてやる。
「怖かったでしょう」
 昼間は気が動転して、ねぎらう余裕にかけていたがネイの傷は深部まで達しているものもあり、痛々しかった。
 正体のわからない妖しのものに二度も命をねらわれて、平静でいられるはずがないのだ。
 自分も城で命を狙われたときは、一日も生きた心地がしなかった。
「あたしなら、どうってことないよ……。あんたが戻って来てくれたしさ。さっき久々にちょっと眠れたんだ」
 ネイは力のない声でため息混じりにそう言った。
 アンナが施した夢見薬をのみ続けていたが、その薬が切れた後は、ネイは一睡もしていなかったようだ、と世話になっている家の人間が言っていた。
 本人の自覚以上に心についた傷痕は深いことはエリルには手に取るようにわかった。
「ばかだな、そんな目で見ないでおくれよ。あたしのことは本当にいいんだ。それよりジーンが心配だ。あいつは、自分が傷つくことより、自分と関わると人が死ぬと思い込んでいる。極力誰にも関わらないように気をつけているのは知ってるだろう。いつも脅えているのはそのせいだ」
 ネイの意外な言葉にエリルは驚きながらも、自分が隣町に旅立つ朝、見送りに出て来たジーンの深刻そうな顔を思い出す。
――エリルはアンナだから大丈夫だよね。ちゃんと〈先読み〉して、安全な道を選んで。そして無事に早く帰って来て。危険を感じたら逃げてよ。
 何度も何度も念押しをするので、ひどく心配屋さんだねと、エリルはからかうように笑って手をふり、背を向けたのだ。
 確かにエーツ山脈での「死の行進」とも言うべき大勢の少年たちの死と、ヴァルツという妖獣との遭遇が「死」への恐怖を植え付けたとしても、おかしくはない。だが、それはエリルも同様で、あの時見た地獄の光景を一日たりとも忘れた日はない。だからといって自分のせいで人が死んだとは思いもよらない発想だった。
 エリル自身、王宮にあっては父の側后や母違いの兄たちの相次ぐ死に出会っている。
 けれど、それを自分と結び付けて考えたことなどなかった。
 考えてみれば、ランレイを死体の山の中から捜し出したジーンの、異常と思えるほどの他者に対する生への執着はエリルには理解しえないものだった。あの場面では、仮に生きている者がいると聞かされても、信じられなかっただろう。まして黒焦げになった遺体を抱きしめるように横たえ続ける行為など、気が触れたと思われても仕方の無い行動といってよかった。
 戸惑うエリルに追い討ちをかけるようにネイは、言葉を続ける。
「あのエーツの雪山の子供達が死んで行く光景さ、あの化け物はジーンに見せたんだ。あたしは途中から耐えられなくて気を失っちまったけど、あいつは最後まで目をそらさなかったみたいだ。殺された子供らのことを……どうしてそう考えるのか正直わかんないけど、あいつはあの子供達の死も、自分のせいだと思っている」
「そんな馬鹿な……」
 エリルは普段ほとんど会話をしないジーンの、心の闇の部分を覗き見たようで絶句する。
「本当に馬鹿な話だろ。もちろんジーンはそんなことあたしにも話さない。でも夜になると、うわ言で謝り続けるんだ。『みんなごめん』『助けられなくてごめんなさい』『ぼくのせいだ』って、繰り返し繰り返し、そりゃあひどく苦しそうにね。悲鳴に近い時もある。あの化け物は、あたしの見なかった何かを見せて、すべてジーンのせいだとか言ったのかもしれない」
「だから……あの死体の中から、死んでいない誰か、生きてる誰かを見つけずにはいられなかった……? そうなのでしょうか?」
 エリルは、月の明かりを頼りに、闇の中、一面の死体の中からランレイを見つけだした後のジーンの表情を思い出す。
 ランレイを助けたことで、救われたのはジーンの方だったのかもしれない、と。
「いつも誰かが死んでしまう、自分といると誰かが死んでしまうって……。あの年でそんなこと考えてるなんて、悲しすぎるだろう。だから、あたしはあいつのそばで生き続ける。簡単には死なないって、決めている。だけど、今回はそのあたしがこのザマだろ。おかげでジーンを傷つけて、見ていられないほどひどく落ち込ませちまった。だからさ、ちょうどいい機会だし、その人捜しの旅に行っておいでって目いっぱい明るく振舞って、すすめたんだ。エディスからも頼まれていたからね。あたしはそれまでに絶対にケガを治す。治ったらまたあんたが嫌でも、一緒に旅をしる。離れない、って約束をしてね」
「そうでしたか。そんなことが……」
 ジーンの正体も気になり続けていたが、当初感じていたとおりヴァルツという妖獣がジーンを狙い続けるという自分の勘が当たっていたことを知った。
(それに、あの禍々しいまでの妖気はただの妖獣とは思えない)
 ダーナン公国にあったという《エボルの指輪》とどう関係があるのか、一番知りたいのはそのことだった。
 アンナの一族の長・ジーシュから学んだ知識から考えると、妖獣は王族の守護妖獣を除いては、存在を確認すること自体が難しいとされている。
 王族の守護妖獣と単独で存在する妖獣がどのように違うのかまだ明確には判明していない。人里には現れず、住まず、群れず、小動物を餌として命を永らえる、と。
 ヴァルツは話に聞いていた迷い妖獣とはかけ離れた存在であり、邪悪さと知能をもっていた。
 守護妖獣を有したことがないエリルは、実感として守護妖獣がどんなものなのか想像ができない。
 けれど、いつまでもそこにこだわっていられない時が来たことをエリルは感じていた。

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