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《第十六章 封 印 》

13

 翌日の早朝、ルナは皇都コリンズに向け帰路に就くアルクメーネとイズナを見送るために、ランレイとともに馬車の前に立っていた。
「本当に、私と一緒に行く気はないのですか?」
 アルクメーネは、ルナたちが旅を続けると聞いて、何度となく同じ質問を繰り返したが、ルナは小さく首を横にふるだけだった。
 ここでの別れが、もう二度と会えない別れになるかもしれないこともわかっていた。
 だから、一緒に行かないかと思いがけない言葉をアルクメーネからかけられたとき、ルナは驚きと嬉しさで泣き出したい衝動に駆られた。
 大好きな兄とそばにいられるのなら、ルナとしての自分を思い出してくれなくても、ジーンのままでもいいとさえ思った。
 差し出してくれるあたたかい手をとれば、母や二人の兄のいるノストールに帰れるかもしれない。
 心が引きちぎられそうになりながらも、ルナはその申し出を断った。
 父カルザキア王との約束を果たさなければいけなかった。
 死を前に父がルナに託した、ディアードを探してほしいという言葉だけは、何があっても絶対に果たすと自分に誓ったのだ。
 自分を死の淵から救い、アルクメーネと引き合わせてくれた父のためにも、やっとディアードのいるかもしれない場所を見つけたのに、それを逃したくはなかった。
(父上……)
 厳しくて温かい父の顔を脳裏に浮べ、兄と別れる道を選ぶ決意が揺るがぬように唇を噛みしめアルクメーネを見上げる。
 そして、手にした布をアルクメーネに差し出す。
「これは航海のお守りの旗です。国に帰る船の帆に一緒につけてください。きっと海の女神ドナ神が守ってくれ無事に故郷に帰れます」
 海の女神が守ってくれるその布は、広げると赤い生地の中央に、大きな円と砂時計が描かれていた。 
 ハーフノームの海賊ジーンとして、自分の操る小船につけていた旗だ。
 この旗が掲げてあればハーフノームの海賊達はアルクメーネの乗る船を襲うことはないだろう。同時にハーフノームの海賊の旗は、他の海賊への威嚇にもなる。
 一方、そばにいるイズナは軽い自己嫌悪に落ちながら、イズナは今またアルクメーネとジーンのやり取りを無関心を装いつつ、ひやひやしながら聞いていた。
 昨日の夕食のとき、アルクメーネが、自分がもうすぐ故郷に船で帰るという話を始めたとき、余計なことを話すなと制止しかけたのだが、ジーンにまた突然泣かれそうで途中で止めさせることができなかったのだ。
 しかも、今また身元のわからない子供を一緒に連れて行きたいと言い出した。
 内心、呆れ果ててて天を仰ぎたくなったほどだ。
 ジーンが断らなければ、イズナは強引にアルクメーネだけを連れて首都に戻る行動をとらざるを得ないところだったのだ。
「ありがとう」
 ルナから旗を手渡されてアルクメーネは笑顔を作ったものの、それと交換するように、ルナの手のひらに平打ちされた銀色の指輪を乗せた。
「お返しに受け取ってほしい。これは私からのお守りです。どうしてもお金が必要な時は、これを売って構いません。外からは細工がしてあり見えませんが中は純金です」
「でも……」
 ルナが返そうとするのを優しく押し返し、手の中に握らせてから、アルクメーネはルナとランレイの二人を抱き寄せる。
「いつかまた、必ず会えることを願っています。指輪はお金に困ることなく、無事だったらその時に返してください。本当に使ってくれていいのですよ。そして、二人にアル神の守護がありますように。私の故郷の守護神は月の女神です。いつも夜の空から見守ってくれるでしょう」
「……」
 ルナはアルクメーネの示してくれる優しさが、幼い時の自分に対するものと変わりなく示されているのを十分に感じ取っていた。
 自分を、そしてその名さえ忘れてしまっているはずなのに。
――兄上、ルナは父上との約束を守って、ディアードを絶対に探します。
 心の中でアルクメーネに呼びかける。
 ノストールの民を、自分と同い年の大勢の子供達を大虐殺したアウシュダールに、どう向き合うかはそれからだと思っている。
 自分を城から追い出し殺そうとした以上の、けっして許すことの出来ない大罪。
 それをアウシュダールは行なったのだ。
「ありがとうございます。お返しできるといいのですが」
 母ラマイネ妃似の美しい兄は、一瞬真剣な表情を薄い青色の瞳に浮べて微笑んだ。
「そうですね。でも、この指輪がジーンとランレイの旅に少しでも役立つことの方が私は嬉しいのです」
 やがてアルクメーネは馬車の中に先に乗ったイズナから、再三促されてやっと馬車の中に乗りこんだ。
「ジーン、泣かせてしまったわびに、この国で困ったことがあったら皇都コリンズの俺の館をたずねて来い。一回だけの条件付で、力になってやるからな」 
 イズナが苦笑いを浮べつつ声をかける。
 自分でも社交辞令なのか本気なのか計りかねる言葉だった。
 ただ、アルクメーネの申し出を断てくれたことに心底ほっとしていたのは間違いなかった。
「ジーン、ランレイ。体に気をつけるのですよ」
 アルクメーネは、馬車が出る間際までルナから視線を離さなかった。
(兄上……)
 ルナは心の中でそう呼びかけていた。
(兄上……兄上……)
 御者が鞭をふるい、馬がゆっくりと歩きだし、車輪が動き、馬車が進み出す。
「ジーン、ランレイ。アル神の加護があることを祈っています。いつか、また……」
 アルクメーネは小さくなる二人に呼びかけながら、いつかこうして別れてしまったことを後悔する自分がいるような奇妙な予感に駆られた。
「ジーン」
 遠ざかるルナとランレイの姿を目で追いながら、アルクメーネはふとノストールで耳にしたあの声を聞いたような気がした。
――兄上。
 クロトでも、アウシュダールのものでもない自分を呼ぶ声。
 アルクメーネは、はっとして胸に手を当てる。
 昨日の朝、自分はジーンのあの声で呼びかけてみてほしかったのだ。
「兄上」と。
 あの時、なぜだか、ただそうした衝動に駆り立てられた。イズナが現れて機会を逃し、今思い出すまでは。
 アルクメーネは一体ジーンに何を感じ、何を求めようとしていたのか、自分の感情に疑念を抱かずにはいられなかった。
 窓から顔を出して後方の景色を振り返る。
 だが、もう館も二人の姿も見えない。
(本当にこれで良かったのだろうか?)
 アルクメーネは、この時はまだ自分の心が訴えているものの意味に気がつくことはなかった。

「兄上ーっ!」
 ルナは、すでに見えなくなった馬車の方向に向かって、大きな声で叫んでいた。
「絶対……ディアードを見つけて、ノストールに帰る。帰るんだ」
 ルナは、カイチから聞かされた話から自分の進むべき道が、間違っていないことを言い聞かせた。
「強くなる……。父上との約束を果たすまで、もう……今日を最後に泣きません……」
 ルナは、そういいながらランレイの肩に顔をうずめ、辛い別れにいつまでも嗚咽を漏らしていた。

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