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《第十六章 封 印 》

12

 病み上がりではあったものの、埃だらけの体ではよけいにいけないからと、ルナとランレイは使用人たちに付き添われて着替えに連れて行かれた。
 やがて、二人はイズナ、アルクメーネの待つ朝食をとるための部屋に案内された。
 使用人たちの手によって、汚れがふき取られ、髪の毛には櫛が通された。
 ルナの肩まで真っすぐに伸びた銀色の髪には輝きが増し、垢で汚れていた肌からは透明な白い肌が現れ、大きな緑色の瞳が実に印象深いものであることに気がついて、イズナはやや驚きをもって迎えた。
 まだ背も低く体の線も細い少年のように見えるが、成長して娘らしくなるとどう変化していくのか自然に興味をさそった。
 だが中性的な感じが強い原因に気がつくと、イズナはジーンに横の椅子を進めているアルクメーネに問いかける。
「なんで、騎士見習いの服なんかを着せているんだ?」
「なんでって……。どうしてですか?」
 イズナの質問の意味がわからないという表情でアルクメーネは真顔で聞き返した。
 ランレイと席を並べて座ったジーンも、不思議そうにイズナを見ている。
 女だと主張しておきながら、当たり前のように男児の服を用意させたアルクメーネと、当たり前のようにそれを着ているジーンの様子がイズナには理解できないほど奇妙だった。
「この館には女児の長衣だってあるのに、ランレイと同じ服を用意するように使用人に言っただろう」
「そうですよ」
 イズナは、アルクメーネに、にこりとほほ笑まれてうなった。
「そいつが女なら、女物の長衣を着せないのかと、聞いているんだ」
「そうなんですか? でも旅着には適していないですからね」
 初めて気づいたようなアルクメーネに、イズナは話を続ける気を失ったようにグラスに入った水を一気に飲み干した。  
 一方、ルナはアルクメーネの隣の席について食事ができることが夢のようで、その優しい眼差しと時折、髪にふれてくる懐かしいその手の温もりに、ぼーっとしてしまい久々に食べ物を目の前にしても、なかなか手をつけられないでいた。
 それを優しく食べるように促すアルクメーネとルナの姿は、イズナの目からは、どうみても昨日今日出会った者同士には見えない。
 初対面のはずなのに、まるでよく知っている者のような空気が二人を包んでいるのだ。
 イズナはふと、アルクメーネはあのアウシュダールともこのように接するのだろうかと考えてみたが、どうしてもその場面を想像することができなかった。

 その日は、アルクメーネのたっての願いで、首都へ帰る予定を一日延ばすことになり、イズナの予定は狂う一方だった。
 そのおかげで、ルナは丸一日アルクメーネのそばで過ごすことができることになった。
 カード遊びをしたり、プーガ犬とじゃれあったりと無邪気な様子に、何ががそんなに楽しいのだろうとイズナは三人を見ていたが、気がつくと自分も一緒にその和の中に入ってしまっているのに気づいて苦笑する。
「ジーン、おまえさ」
 アルクメーネが席を離れた隙をみて、イズナは話しかける。
「なに?」
 館で一番獰猛な番犬のプーガ犬とすっかり仲良くなり、戯れているルナから屈託のない笑顔を向けられて少々気が引けたが、これも役目と問いかける。
「故郷はどこだ? 帰る場所はどこだ?」
 その言葉にルナから一瞬にして笑顔が消える。
 そして、まとわりつく大きなプーガ犬を従えるようにイズナの前までやってくると、意を決したような表情をした。
「助けていただいてありがとうございます。僕たちは元気になったので、ご迷惑をおかけしましたが、すぐに館を出て行きます。ありがとうございました」
 今にも身を翻してこの場を立ち去ってしまいそうな空気を察して、イズナがあわててその言葉をさえぎる。
「おいおい、別にすぐに出て行けとか、追い出したいとか言うわけじゃないんだ。ただ、戻る場所や家族はいるのか心配しただけだ。もう一晩泊まっていけ。どうせ明日は俺たちも帰ることになってる」
 イズナは心にもない言葉を口走っていた。
 アルクメーネとの親しげな様子に、一線を引いておかなければと思っていたのだが、あまりの引き際のよさに、さすがに焦ってしまったのだ。
「アルクメーネが、あんなに楽しそうに笑うのは初めて見たんだ。あまりに自然なので知り合いなのかとも思ってな」
 イズナは、ふたりの関係に探りを入れてみる方向に質問を切り替えた。
 ルナはその意図をすぐに悟った。
 そして、すでに素性不明の上、人目には身分のまったく違う自分が、ほんの少しでも昔に戻ったように錯覚して兄に接したことを悔やんだ。
 他国に身を置くアルクメーネに迷惑をかけることは、いけないことだとルナは気がついた。
 イズナが変だと疑うのは当然だった。
 それに、もしも、と別の人物の顔を思い浮かべる。
 アルクメーネが帰国したとき、その口から自分のことがアウシュダールの耳に入れば、なにがどうなるのか想像がつかなかった。
 ルナは自分が何者なのか、危険な存在なのか、迷惑をかける存在なのか、わからなくなくなりそうだった。
――お兄様方との新しい絆を、ルナ様ご自身がつくってくださいそして、これから兄上様方にお会いするときが巡り来ても、ルナ様が逃げ出す必要がないためにも。『ジーン』として……旅をお続けください。
 エディスの言葉が、励ますように耳朶に響く。
「兄さんに……」
 ルナは名乗ることの出来ない辛さに唇を強く噛んだ。
 自分は、ジーンなのだと言い聞かせる。
 海賊の頭の息子ジーン、なのだと。
 だが、「兄」という言葉を発した時、沸き上がる感情を止められなくなっていた。
「兄さんに……故郷の兄さんによく似ていたので、つい甘えてしまいました。ごめんなさい」
 そう口にしたルナの緑色の瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「お、おい。どうした?」
 自分の言葉になぜ突然泣き出したのかわからずに、イズナはうろたえる。
「どうしたんだ? 兄さんを思い出したからなのか? 気分でも悪いのか?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 泣き続けるルナをどうすることもできずにオロオロしていると、アルクメーネの声がしてイズナはさらに冷汗を流した。
「イズナ! ジーンに何をしたんですか?」
 叱責のような声がイズナに飛ぶ。
 アルクメーネは二人のそばにやってくると泣き続けるルナをなだめるように抱き上げ、鋭い視線でイズナを睨みつけた。
「いや、まて……俺はなにも……」
 自分が何を聞こうとしていたのかすっかり忘れてしまい、ただ子供を泣かしてしまったばつの悪さに口ごもっていると、アルクメーネはそんなイズナに背を向けて館の中へと入って行った。
「なあ……」
 イズナは、そばで黙ってことのなり行きを見ていたランレイに助けを求めるようにつぶやいた。
「俺が悪いのか?」
 ランレイが、やや気の毒そうな表情を浮かべて、テーブルの上の果実水をイズナに差し出した。

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