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《第十六章 封 印 》

 ルナから町が襲われた話を聞いた三人のアンナたちは一緒にブレアの町へ同行した。
 町は半壊状態だった。
 ケガ人も多数出していたが、幸い死者はなく、妖獣を退散させたアンナたちを連れて戻って帰って来たルナたちを町の人々は褒めたたえた。
 だが、ルナたちが世話になっていた宿は、元の姿が跡形もないほどの壊滅状態だった。
 呆然と立ち尽くすルナとランレイを、顔見知りの住人たちが、ネイと宿の女主人が運ばれたという家に案内してくれた。
 そこには、腕から足にかけて、全身を幾重にも布で傷口を覆われ、苦痛にうめいているネイの姿があった。
 家の主人は「ネイは、突然現れ襲ってきた黒い影に、逃げずに必死に町の人々を安全な場所に逃がすために働いてくれた」と、涙ながらにその時の状況を話してくれた。
 全身は血に染まり、蒼白な顔のネイの姿に、泣き崩れんばかりのルナを、アンナたちは口々に励ました。
 「マティスは療法術を心得ているんだ。旅の必需品の薬草もたっぷりある。痛みもすぐに消えるから安心していいよ」
 オージーの言葉にうなずき、マティスも術を行使すれば、翌日には意識も回復するとの太鼓判を押してくれた。
 また、負傷した多くの人々の為に、エディスも薬草でケガの手当てを行い、オージーは、今後妖獣が町を襲わないように、町の東西南北にラジ紫水晶石を用いての結界をはるなど、町の人々から少しでも恐怖を取り除こうと、全面的に協力をしてくれた。
 それでも人々の恐怖心は簡単に拭い去れるものでもなく、町の通り昼間になっても静まり返っていた。
 翌日の夕方、ルナはエディスに声をかけられて、町の高台にある一番高い樹の下に二人きりでやってきた。
「あの……エディ…ス…」
 ルナは、どう言葉を切り出していいかわからない不安な表情でエディスの名を呼んだ
 再会した後、エディスはほほ笑みかけてくれるもののルナの名を呼ぶことはなかった。
 もちろん、ヴァルツに襲われた人々を手当するのに寝る間もないほどの多忙さで、ルナは邪魔をしないように遠くから見ていることしかできなかったのだ。
 大木の下に共に並んで腰を下ろすと、エディスは優しい眼差しでルナを見つめた。
「ジーンという名前で呼ばれているのですね」
 その問いかけにルナはうなづく。
「ルナ様」
 エディスにそう名を呼ばれ、ルナの心臓の鼓動が全身に大きく響き渡った。
 ずっと誰かに、その名を呼んでほしかったのだ。
 願いが叶えられた喜びにルナは心が満ち足りていくようだった。
「私は、名付け子のあなたのことを忘れたことはありません」
 自分の名を呼んでくれる人がいることが、こんなにも嬉しいことなのだとルナは改めて知る。
 エディスを見つめるルナの翠の瞳から大粒の涙がこぼれ頬を伝う。
「教えてください。なにがあったのですか?」
 エディスの問いかけに、ルナは涙を拭いながら大きく頷いた。
 そして、これまで誰にも語ることの出来なかった話を、堰を切ったように話はじめた。
 シャンバリアの村での大火災の時、助けられた子供と城で出会ったこと。
 それがアウシュダールだったこと。
 アンナのメイベルにさらわれ、崖に追い詰められ、飛び降りたこと。
 ハーフノーム島で助けられ、海賊の頭夫妻の子供として育てられたこと。
 その母イリアの死後、ノストールへ帰されたものの、父カルザキア王がサトニに殺され、その殺害者と間違われたこと。
 エーツの山でアウシュダールの手にかかり死んでいった多くの子供たちと、その記憶をルナに見せ襲い掛かってきた妖獣ヴァルツのこと。
 砂漠で兄テセウスと出会い指輪を渡したが、テセウスの守護妖獣ザークスが「時が来るまで」と名乗るのを止めたこと。
 今は、父との約束である、カルザキア王の祖父に一族が追放されたディアードをノストールに呼び戻すために、父からの伝言を伝えるために旅をしていることを。
 話を聞き終わったエディスは、ルナの頬を両手でそっと包み込んだ。
「大変なことばかりでしたのね」
 ルナはずっと胸の奥にしまっていた苦しい思いを打ち明けることが出来たことで、救われたように安堵の表情を浮かべていた。
「エディスも……ぼくのこと忘れてると思った」 
「忘れはいたしません。ただ、ノストールへ入国したのは、ルナ様とお別れしたあの時が最後でした。あれから私たちはノストールから入国要請を求められていませんし、使いの者さえ受け入れられなかったと長サーザキアは話しています。ルナ様がいらっしゃらなくなってからのノストールの様子は風の便りでしかわかりませんでした」
 ルナは、初めて聞く話にじっと耳をすませた。
「ある時期から、シルク・トトゥ神の転身人と名乗るアウシュダール王子の存在が聞こえるようになった時、奇妙な胸騒ぎを私達一族の者は誰もが感じておりました。私たち一族の知らない王子の名前があらゆる国に広まっていくばかりで、ルナ様がどうしていらっしゃるのかと、私はずっとルナ様の身を案じていました」
 アウシュダールのことに話が及んだとき、ルナは自分の顔がこわばるのがわかった。
「エディは知ってたの? ぼくが本当は捨てられていた子どもだったっていうこと」
 ルナは、アウシュダールに告げられ、父カルザキア王から聞いた真実を、どうしても確認せずにはいらずに意を決して問いかけた。
「捨てられていた子ではありませんよ」
 エディスは、夜空に輝く満天の星空と、煌々と輝く銀盤の月を見上げながら、ルナの言葉をそっと否定する。
「四番目の王子様が生後間もなく亡くなられた時、クロト様は大切な弟王子を返してくださいとアル神にお願いをされました。大好きなおやつを抜いて、弟を返してくださいと。その姿を見て、アルクメーネ様も、テセウス様もお兄様方は三人で共にアル神に祈られ続けたとお伺いしました。そして、私が初めてノストールへ行ったその日の夜。アル神の光りに導かれて、森の中の湖で、私たち四人はルナ様と出会うことができました」
「ドルワーフ湖?」
「はい」
 ルナは、満月の夜や、何かあったときには必ず兄たちが城を抜け出してドルワーフ湖に連れて行ってくれたことを思い出す。
「お兄様方は、アル神が大切な弟を返してくれたととても喜ばれていました」
「でも、ぼくは……男の子じゃない……」
 複雑そうなルナの表情にエディスは首を横に振る。
「クロト様は『男の子の体が死んでしまったから、女の子の体になったんだ』『銀色の髪はアル神が帰してくれた証だ』って言われていました」
「クロト兄上が……?」
 ルナの脳裏に、大好きな兄たちと過ごした日々が津波のように押し寄せて来る。
「カルザキア王もラマイネ王妃も、あなたをあたたかく迎え入れられたと、テセウス様から伺いました」
「みんな知ってたんだ……」
 不思議なことにエディスが語った言葉は、いままで重くのしかかっていた出生の秘密という戒めから、ルナを解放した。
「でも……本当は生きていたんだよね。死んだと思っていた弟の王子が……。だから……あいつ、すごく怒っていたんだ」
 ルナはアウシュダールと初めて出会ったとき、自分がなぜ憎しみを込めた瞳で見つめられるのか理解が出来なかった。
『僕のを……返せ』
『返せ! 返せ! 返せ!』
 耳から離れない怒声。
「アウシュダール……あいつが王子だったのに、ぼくが全部自分のものだと思っていたから怒ってたんだ……。そっか……そうだよね。だからルナ、罰があたったんだ。アウシュダールがずっとみんなから忘れられていたみたいに、今度はルナがみんなから忘れられる番だったんだ」
 自分を納得させようとするように、そう言って固く唇を噛み締めるルナにエディスはささやく。
「逃げないで下さいね」
「?」
 ルナは、アウシュダールの存在を認めようとしている自分に対して、なぜエディスがそう言うのかわからず、その顔を見つめ返した。

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