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第十四章 《 守護を得る者 》


                      (イラスト・ゆきの)

 リンセンテートスでの結婚式から数日後、ナイアデス皇国の皇帝フェリエスにさらわれるようにナイアデスへ向うため、ミゼア砂漠を馬車に乗せられ揺られていたフェリエスとシーラの馬車は突然何者かの襲撃を受けた。
 だが、御者に扮していたガーゼフにシーラとアインは救い出され、リンセンテートス領内の古城・ベーリントン城にかくまわれる。
 シーラはそこで、ガーゼフの言葉通り母国ハリアからの迎えを待ちながら、アインと共に静かで穏やかな日々を過ごしていたのだ。
 ところが、ある日突然、前触れもなくフェリエス皇帝からの迎えだと名乗るナイアデス皇国の将校と魔道士たちが現れ、シーラとアインを強引に城から連れ出した。
「あなたには約束どおり、わたしの妃、ナイアデスの正妃となっていただきます」
 二年ぶりに再会したフェリエスは、ラシル王との結婚式の後、初夜を過ごすはずの寝室に現れたときと同様、耳を疑うような言葉を繰り返しシーラに告げた。
 何故フェリエスがいまだリンセンテートスにいるのか、その表情がひどくやつれて見えるのか、どうして自分に執着するのか、なにも知らないシーラには理解できなかった。
「お言葉の意味がわかりません」
 シーラは理由さえ説明しない乱暴な申し出に首を横に振った。
「わたしは、ラシル王と結婚をした身。あなたの国に嫁ぐことなどできません」
 だが、フェリエスは何も説明をしないまま、シーラをリンセンテートスから連れ去った。
 そして、ナイアデス皇国に連れて来たのだ。
 ハリア公国の人間はもとより、リンセンテートスの者もいない見知らぬ異郷の地。
 シーラになす術はなにもなかった。
 せめてガーゼフがこの事態に気がついて、ミレーゼに知らせて救出してくれることを一縷の希望として託すだけだったが、すべてがあのガーゼフの仕業ではないという理由も考えらなかった。
 ナイアデスに到着したシーラは、ロマーヌ皇太后の居城に身を移され、その監視下におかれた。
 そして、結婚式の挙式の日程を告げに訪れたフェリエスに対し、シーラは三度否定の言葉を繰り返したとき、皇帝は初めてシーラの言葉に答えた。
 黄金に輝く美しい瞳は彼女をじっと見つめながら自信に満ちたほほ笑みを浮べる。
「王族の婚儀は国同士の結婚と言える、だが、その一方で神々が交わる儀式であることはあなたも当然ご存じのはず。当然そこには、神の言葉を告げるアンナの一族をはじめとする占術士らの存在は不可欠。しかし、覚えておいでだろうか。あなたとラシル王の婚儀の場にアンナの姿はなかった。占術士、魔道士の類の者の姿もだ。当然《祝福の儀》そのものが執り行われてはいない。神よりもたらされる指輪を護持する王の后は、たとえ側妃であろうとも子をなし指輪を守る責務を担うことから、アンナの一族により《祝福の儀》を受け守護妖獣を得る。あなたはあの式で、いつ、ラシル王から守護妖獣を得ましたか?」 
 やさしい口調とは裏腹に、あの婚儀は正式なものではなかったのだとフェリエスは告げる。
「あの式は、表向きは婚姻のためのもの。しかし、実際にはあなたがラシル王の養女となる契約の儀式だったのです。シーラ姫、あなたはその契約同意書に自らの手で署名をしたのですよ」
 シーラはフェリエスの口から語られる言葉に言葉を失う。
 結婚式当日のさまざまな出来事が次々と思い浮かぶ。
(そんなことはありえないわ。ハリア公国とリンセンテートスとの正式な、国同士の婚礼なのだから……)
 しかし、アンナの一族と思われる者と出合った記憶はなかった。
 もちろん、シーラは守護妖獣を得てもいない。
 曾祖父の王の時代に指輪を失ったハリアでは、指輪と守護妖獣に関しては書物の上での知識であり、リンセンテートスに国入りしてからは、《祝福の儀》に関することを誰からも告げられなかったために、フェリエスに指摘されるこの時まで、すっかり失念していたのだ。
 結婚式のことは繰り返し思い出すことはあったのに、守護妖獣に関してはその存在そのものが記憶から抜け落ちていた。
 徐々に、その指摘が正しいことに気がついた時、足元がぐらつき、天地が逆転したような錯覚に見舞われ、思わず悲鳴を上げそうになった。
 口元を押さえた重ねた両手の指が震える。
 もっと冷静であったならば、シーラはそのことに気がついたはずだった。 
 だが結婚式の朝、シーラは、自分の乗る馬車が森の中で襲われ命を落としかけた。
 危ういところを助けられたものの、その恐怖ですっかり気が動転してしまい、冷静な状態ではいられなかったのだ。
 シーラはラシル王との結婚式の間、人形のようにただ指示されるままに歩き、うなずき、行動しただけだった。
 目の前に現れては去って行く人々を、絵でも眺めているようにぼんやりと見つめ、儀礼的なほほ笑みを浮かべて見つめていただけだったのだ。
 アンナの一族やそれにかわる占術士の不在も、《祝福の儀》が執り行われなかったことも、フェリエスに指摘されるまで気がつきもしなかった。
 もっと冷静だったならば、もっと婚礼に際して注意を払っていれば当然気がつくべき事柄だったのだ。
 たとえ、リンセンテートスの策略にせよ、婚姻の署名の文章にしっかり目をとおしていれば、式が終わった時、異変をミレーゼやメイヴに知らせることができれば、ハリア国が動くことはまだ可能だったのだ。
 いや、書面は前もってハリア公国側でも厳重に確認を行なっているはずだ。
 シーラが署名をするのは、あくまでも形式的なこと。たとえ異議があってもその場で、申し立てすら許されない状況だったはずだ。
 そしてもうひとつ、シーラは冷静さを失った原因が、まさに自分自身にあることを知っていた。
 あの時、ノストール皇太子テセウスの存在がシーラの心を大きく揺らしていたのだ。
 シーラは、自分たちを暴徒の手から間一髪、救い出してくれたテセウスの馬で送られ、無事結婚式を行なう大聖堂に到着することが出来た。
 あの時――
 シーラは口元にあてた手を、胸元に落としそっと押さえる。
 走り続ける馬から落ちないように、テセウスの体にしがみつくようにしてつかまっていた緊張と不安の中、身をすくめていたシーラに、テセウスは温かな眼差しをたたえてほほ笑みかけてくれた。
「そんなに脅えられると、まるで私が花嫁のあなたをさらったみたいだ」
「え?」
 シーラは驚いて、テセウスに脅えているわけではないことを、誤解を解こうと、どう言葉にしていいかわからなくて何度も首を横に振った。
 それを見たテセウスは真面目な表情で、シーラに聞こえるように独り言を口にした。
「それとも、本当にさらっていこうかな。エーツ山脈の向こうの小国までは誰も追ってこないだろうから」
 あまりの唐突な言葉にシーラは目を丸くする。
「でもその前に、花嫁に断られそうだ。『豪華な馬車のない男はだめです』って」
 間近にある端正な顔はそう言ったあと、驚くシーラの顔を見て破顔した。
「まあ…」
 それが、テセウスの冗談であると知ってシーラも思わず声を上げて笑った。
 揺れる馬上で、青ざめたままのシーラの緊張をほぐそうとしての言葉だったのだ。
 その後は短い会話をかわしながら、シーラはテセウスの体につかまったまま、胸に頬をあずけ目を閉じた。
 しがみついているその体の温かな体温と鼓動、そして触れている体から直接響いてくる低い声に、今まで出会ったこともない不思議な感情が自分の心の中に沸き出すのを知った。
 頬が上気し、鼓動が高鳴った。
 この道が永遠に続いてくれたならばいいのにと、いつしか願っている自分に気づき戸惑った。
 式典を行う大聖堂についてからも、その後の盛大な晩餐会の時もシーラの視線は、気がつけば、ただテセウスの姿だけを追っていた。
 それが恋だと気づいたのは、ベーリントン城に来て、しばらくたってからだった。
 ガーゼフに連れられて二年を過ごしたベーリント城でも、テセウスが現れることがあるかものしれないという現実には起こりえない期待に胸をときめかせ、芽生えたばかりの淡い恋心をあたため、夢見る日々を過ごしていた。
 ガーゼフ以外、訪れる者のほとんどいない心寂しい古城で、アインと過ごす日々の中、その想いはシーラを慰める優しい木漏れ日の光のようだった。
 今でも目を閉じると、あの馬上でのひと時を、テセウスの広い胸のあたたかさ逞しさとともに、その誠実な焦茶の瞳をあざやかに思い出すことができた。
 だからこそ、シーラはその想いが、自分から二重三重に冷静さを失わせる結果となったことに激しい衝撃を受けずにはいられなかった。
「あなたは正式な結婚などしてはいない。おわかりいただけましたか」
 フェリエスの念を押す言葉に、シーラはぼう然としたまま目の前の黄金の瞳を見つめていた。

 シーラは、黄金の縁取りで飾られた白く美しい馬車の中から、歓声に沸き返る群衆に小さく手をふりながら、結婚式を明日に迎えた今となっては、リンセンテートスでの出来事をすべて忘れなくてはいけないと思い始めていた。
「これからは私が直接、あなたをナイアデス皇妃の名に恥じることのないよう教育をします。あなたは私の言葉に従い、立派な男子を産んでくれさえすればよいのですよ」
 ナイアデスへ来てから、何度となく繰り返されたロマーヌ皇太后の言葉にも、シーラはただほほ笑みを浮かべ、うなずくことしかできない。
 求められているのは従順な皇太子妃――。
 よき皇妃として、子を生み、国民に愛されること。
 それはどの国や貴族の家に嫁いでも変わらないことなのだろうと、シーラは心を定める。
 リンセンテートスでラシル王の側妃として、敵国の中で非難と中傷、あざけりの中で過ごすことを考えれば、ナイアデス皇国の正妃としての地位は求めて得られるものではないと、シーラは自分に言い聞かせる。
 だが、同時に宝石をちりばめた豪華な純白の花嫁衣裳に身につける時、シーラの心の奥底に封じようと努力し続けた淡い想いを孤独の中でよみがえらせるに違いなかった。
 結婚式の日に出会ったあたたかな木漏れ日の想い。
 誰も助け出してくれる者のいない異国の地で、思い浮かんでしまう面影。
 あの時のように、救い出してくれたらと、起こるはずのない幻を、叶うはずのないなにかを望んでいる自分を感じている。
 それでもシーラはいま、花嫁となるべく場所へ向う馬車の中で繰り返し儚い想いを懸命に封じ込めようとしていた。
 自らの意では何も望んではいけない――。
 それが皇女として生まれた自分の道なのだと。
 何度となく自らに言い聞かせながらも、淡い初恋を断ち切らなければいけない瞬間が刻一刻と近づくにつれ、シーラは震える体を、その手を懸命に押さえつけていた。
 決して流してはいけない涙が心の奥底に染み込んでいく痛みに耐えながら。

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