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第十四章 《 守護を得る者 》


                      (イラスト・ゆきの)

 :結婚式を翌日に控えたその夜、ユク・セルピヌス大聖堂の居館の一室ではフェリエスが、皇議院議長のウイルシップ、ロロノア、オルロー、イズナら数名の側近らとともにいた。
 そこは結婚式を控えた皇帝の部屋とは、思えないほどのものものしい雰囲気が漂よう。
「ダーナンがカヒローネと協定を結んだというのは、ほぼ確実のようです」
 トルク材質の豪華な彫刻が施されている肘あて付の椅子に座り、ゆったりと背もたれに体ををあずけているフェリエスは、探索部隊長ロロノアが報告するのを、両手の指を組んで聞いていた。
「その協定が、リンセンテートス急襲を可能にしたようです。ですが、どのような条件のもと協定が可能となったのかは、現在のところ皆目検討がつきません。まるで砂嵐の中の向こう側の出来事のように見ることさえ困難かと」
「砂嵐の中の向こう側」という表現は、ナイアデスでもよく「何も見えない」との譬喩として使われる言葉だったが、フェリエスの片方の眉がピクリと動いた。
 時折、ロロノアは意識せずに、相手にとっては皮肉となる言葉を使い、抗する言葉を封じてしまうことがあった。
 今回の情報収集に関しても、わからないで済むものではなかった。
 以前のフェリエスであれば、そうした言葉を報告とは認めず、厳しく叱責してきた。
 だが、ほぼ二年という年月を砂嵐の中に閉じ込められたフェリエスは、「砂嵐」という言葉を耳にした瞬間、責任を問うべき言葉を呑み込んだ。
「わかった。ダーナンとカヒローネの関係については続けて調査しろ。カヒローネが組んだとなれば、ダーナンがいつまたリンセンテートスに現れてもおかしくはない。入ってくる情勢は逐次知らせてくれ。式の最中であろうと、ほかの者に気づかれなければ構わん」
「はい」
「しばらくは静かにしていると思ったが」
 ロロノアの返事に、イズナの声が重なった。
「ダーナンの坊やの眠りは浅いらしいな。わが国きっての精鋭探索査部隊が、砂漠で砂遊びをしていると知ったらさぞかし喜ぶだろうな」
 フェリエスが言葉を詰まらせた様子を察知したイズナが、わかりやすい嫌みでロロノアをちらりと見る。
「そうだな。砂で目がやられるなら、海から乗り込めばいいだけだ。今後は『砂嵐』という比喩は禁止するとしよう」
 オルローが応じ、冷たい視線で突き刺すように睨みつけると、ロロノアは自分の過ちに気がついたのか、はっとしたように蒼ざめた表情を浮かべ、ソファから立ち上がった。
「も、申し訳ございません。陛下、うかつでした……」
 フェリエスに頭を下げる。
 フェリエスは黙ってうなずくと、ため息を吐いて先を促した。
 ロロノアは、自分の失態に唇を噛みながらノストールに関する報告に移った。
「ノストールの災害のほうは、かなり落ち着いたようすです。ですが、港、城や町、川の土塀の修復など、地震後の完全復旧には少なくとも五年は要すると思われます。いまラウ王家は、王族自らが国の村々に出向き直接指示を行なうことさえしている様子。アウシュダール王子が国外訪問をするようなことは、当面は難しい状態であるかと思われます」
「そうか」
 フェリエスは、この報告に自然に笑みを浮かべた。
「あとは、アルクメーネ皇太子の到着を待つばかりだが、入国はしたのだろう?」
 フェリエスが、ロロノアを見る。
 ロロノが返事をしかけた時、ユクタス将軍の来訪が告げられた。
 ここ数週間姿を見せていなかった老将軍が姿を現すと、フェリエスとロロノア以外は意外そうな表情をする。
「陛下の命で、アルクメーネ皇太子をエルナン公国まで出迎えに赴いており、ただ今帰還しました。皇太子は、約束通り、一年の留学の件を快諾しておられ、すべて準備も整っております。到着が大変遅れましたことはおわび申し上げます。エルナン公国のカーディス公王の病が重く、縁戚関係にあたるアルクメーネ殿下とエルナン公国のたっての願いで出立がぎりぎりとなってしまいました」
「では、エルナンから王族の出席はないのですか?」
 オルローが、ユクタス将軍に一礼をする。
 エルナン公国はナイアデス皇国の南に下った砂漠と海を有した隣国になる。
 ユクタス将軍はオルローの質問にうなずくと、フェリエスに向き直った。
「陛下、それに関しては問題はありません。予定どおり、オルニック皇太子夫妻も一緒に到着されましたので、リージュ宮にご案内をいたしました。ただし、式が終わり祝宴に顔を出して後、そのまま帰国したいとの申し出を受けております」
「わかった。止むを得ないだろう。了承したと伝えてくれ」
 フェリエスは、満足気にうなずきつつも、大きなため息をつき、天井を仰ぐ。 
 リンセンテートスでの二年の閉鎖された日々から解放された日を思い浮かべる。
 砂嵐を止めるために、フェリエスの要請に応じてリンセンテートスを訪れたノストールのアウシュダール王子と再会した日を。

『あの時あなたは、わたしが神に背く行為を行ったならば国には帰れないと告げた。わたしの犯した罪を教えてほしい』
 フェリエスはリンセンテートス城で、砂嵐終息の感謝を述べるために、まだ回復していなかった病身の体でアウシュダールの部屋をたずねた時に、二年間抱き続けた疑問を口にしたのだ。
 そのフェリエスを見て、アウシュダールは大人びた表情に笑みを浮かべながら答えた。
『それはね。ビアンの花嫁を奪ったからだよ』
 フェリエスは瞬時、体が凍りつくような気がした。
『リンセンテートスの神ビアンの前で誓いを交わした花嫁を、あなたは略奪した。そして、結婚式という偽りの儀式のために、僕らを招いた。雪のエーツ山脈を越え、ビアンの眠っている過酷な砂漠を越えさせ、呼び寄せた。シルク・トトゥ神の転身人に会いたいなら、自らがノストールに足を運べばいいだけだ。人間のこざかしい真似には、眠りを妨げられたビアンも怒っている。そして僕もね。それが、理由だよ』
 アウシュダールは、すべてを見通していた。
 リンセンテートスとナイアデスの密約を。
 結婚式が偽りのものであり、それを利用し招待させれば、ノストールは必ず列席する。
 ノストールに誕生したシルク・トトゥ神の転身人がどのような人物なのかと自分の目で確認しておこうと考えていたことも。
 そして、出来うるならばナイアデス皇国に従わせようとしていたフェリエスの策謀を、アウシュダールは看過していたのだ。
 神を侮った行為。
 それが、ビアン神と、シルク・トトゥ神の転身人である自分の怒りに触れたとアウシュダールは明言した。
 その強烈な光をもつ瞳にじっと見つめられると、フェリエスは自分の中の芯が焼ききられ、消えていきそうな恐怖を感じた。
 瞳の放つ力に逆らえなくなり、命じられるままに従いそうになるのだ。
 自分がリーフィス神の転身人であるのだと告げられていなければ、あの時アウシュダールに従う身となっていたかもしれないと、正直なところフェリエスは思っている。
 神の転身人がアウシュダールだけではない。
 自分にもその力が宿っているのだと知らされていたからこそ、フェリエスはアウシュダールの言葉とあの瞳にあらがうことが出来たのだと思う。
 ひょっとするとアウシュダールは、すでにフェリエスの中に眠る転身人の気配を感じ取っていたのかもしれなかった。
 もしも、フェリエスがあの砂嵐から脱出し、国に帰っていたなら、アウシュダールは、フェリエスを疑い、自分以外の転身人が目覚めるのを許そうとはしなかったに違いないと。
 フェリエスはアウシュダールの目をごまかすためにも、自分が転身人であるというディルムッドの言葉を、極秘事項として固く伏した。
 また、それを知っている部下にも決して他言しないことを誓わせた。  
 なによりフェリエス自身にまだその自覚がなかった。
 当分の間は、アウシュダールに恭順をみせるふりをしながら、ノストールの地に留まってもらおうと考えたのだ。
 その間にフェリエスはリーフィス神としての記憶と力を蘇らせ、アウシュダールに対抗するべき力を得なければいけなかった。
――アウシュダールは、いつか必ずナイアデスに対して牙を向ける。
 それはフェリエスの確信となっていた。
 アウシュダールがノストールを出ることもなく一生を終えるなら、目をつぶるのもかまわなかった。
 だが、あの野心を秘めた瞳はいつかフェリエスに向かい、再び牙をむくに違いない。
 その前に、すべての局面で慎重に手を打っておかなくてはならなかった。

 まず、帰国したフェリエスはノストールにビアン神との仲介を行ってくれたことに感謝を述べる親書とともに、リンセンテートスに至る間にかかった経費をすべてナイアデス皇国が負担するむね申し出で、支払った。
 対ダーナン戦に関する助勢に対しても、リンセンテートスにかわり、ナイアデス側が謝礼金を支払うことも申し出た。
 さらに、フェリエスにとって幸いだったのは、テセウス不在の間に、ノストールではカルザキア王が急死し、また大地震に見舞われ大勢の死傷者を出すなどの混乱があったことだった。
 そのことが一年以上経過した現在も、国内の安定に心血を注いでいるノストール及び、アウシュダールが他国へ進出する機会を失わせているように思えた。
 この機会を逃すことなく、フェリエスは、困窮する新王テセウスに、多額の見舞金と食料を船で届けさせた上で、二回目の食料支援の時に王の親族、兄弟の留学を求めたのだ。
 フェリエスは、新王となったテセウスに対し、より強固な絆を深めるためにと、フェリエスの末の妹で十九歳のルディーナとの婚約も考えてもいる。
「テセウスとわが妹ルディーナを結婚させ、男子が生まれさえすれば王位継承権優先順位は移行する。仮に、王位争いが起きれば、あのアウシュダールはどちらにつくだろうな。内側の守りが固い場合は、外からどれだけ責めても崩れないが、中から崩せば案外もろいものだ」
 フェリエスの黄金の瞳が獲物を捕らえたように鋭く光る。
 まだ覚醒というまではいかないものの、フェリエスの中にも確実な変化は起こり始めている。
 自分に対し悪意をもった人間を峻別することが容易になっていた。
「アルクメーネ皇太子が留学で過ごす一年の間に、できるだけ自然に野心を吹き込み、国から心を離し、最初の突破口を作ってもらう」
 フェリエスはイズナを見る。
「予定通り、イズナにはこれからの一年、アルクメーネ皇太子のよき友人役を努めてもらう。頼んだぞ」
「わかりました。」
 悪戯っ子のような視線でイズナはフェリエスに応じる。
 そして、
「陛下におかせられましては、明日からの結婚式を無事終えられ、美しい花嫁を奪われませんよう十分にお気をつけください」
 リンセンテートスで、フェリエスが寝室からシーラを連れ出した一件を聞いたイズナが、深いエメラルドグリーンの瞳に楽しげな口調で、からかう。 
「十分気をつけるとしよう」
 フェリエスも笑顔で応じると、なにやら一人笑っているウイルシップに発言を促した。
「どうした?」
「その、シーラ姫の守護妖獣が楽しみですな」
 ウイルシップが顎にたくわえた豊かな口ひげをなでつけながらにこやかにほほ笑む。
「稀なる姫君、との〈先読み〉ですからな。ロマーヌ皇太后陛下のご決断には恐れ入りました。まさか、本当にあのハリアからわがナイアデスにお連れ出来るとは」
「ああ」
 フェリエスは黄金色の瞳で、じっと見えないものを見るように宙を仰いだ。
――ディルムッドは、類稀なる『闇と光に守られし姫』を得たものが大いなる力を得る、と〈先読み〉を行ないました。その姫は、どのような手段を使ってでも、フェリエス、あなたの妃にしなければなりません。それが、母としての私の務めです。諸国の占術士や魔道士に気づかれてからではことをおこすのが、むずかしくなります。
 母ロマーヌ皇太后の決断が、シーラをフェリエスの手の中に捉えさせた。
「私も楽しみにしている」
 力ある言葉に、フェリエスを眩しげにあおぐ、その場の誰もがうなずいていた。 

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