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第 九 章 《 禁 忌 の 指 輪 》

 アルティナ城の城内では、突然のカルザキア王逝去という出来事に直面し、騒然とした空気と殺人という事態に驚愕と緊張が満ちあふれていた。
「一刻も早くテセウス兄上にご帰還いただかなくては……」
 クロトは父の亡骸に突き刺さったままの短剣を自らの手で取り去り、血に染まったガウンを真新しいものに替えさせたあと、カルザキア王の遺体を別の寝室に移した。
 カルザキア王が倒れていた寝室は、王の大量の血と、守護妖獣のものらしき青い血が点在し、窓のガラスは粉々にくだけ、とても父の遺体を安置するわけにはいかない状態だったのだ。
 クロトは身体が小刻みに震えているのを止めようと努めたが、震えは収まることがなかった。
 信じたくない出来事に直面しながら、いま王子として城に留まっているのが自分一人であるという重圧に、クロトは自分の感情を表に出すことを必死に押さえ、耐えながら、出来る限りの指示を臣下たちに出し続けていた。
(もう少し……アルクメーネ兄上が来てくださるまで……)
 クロトはすぐにでも城から飛び出し、父を殺めたという子供を自分の手で捕まえたかった。
 ダイキの足であれば、どこへ逃げようとも必ず捕らえることは間違いないのだ。
 しかし――。
「どうしてなんだあぁ――!」
 クロトの突然の怒声に、そばにいた誰もがギョッとして身動きをとめた。
 懸命に押さえていた感情を、こらえ切れずに放ってしまったのだ。
「どうして……なんだ……」
 自分にも父王にも、守護妖獣がついている。
 王の身に危険が迫ればそれを感知し、その生命をかけて王を守護するイルダーグが、そしてその父の子であるクロトを守るダイキがいた。
 眠り続けるラマイネ王妃のネフタンが動きがとれないのは別としても、なぜ父を死なせてしまったのか。
 そんなことが起きてしまったのか、クロトは誰にぶつけていいのかわからない怒りに自制がきかなかった。
 なぜ、ダイキは何も感じなかったのか。
 なぜ、見張りの兵たちが眠り込んでしまったのか。
 なぜ、ほかの兄弟たちがいない時にこのようなことになってしまったのか。
 なぜ、自分が父の盾になることもできずに眠り込んだままだったのか。
 なぜ…なぜ……なぜ……なぜ?!
 父が殺されなければならなかったのか!
 心が怒りで支配されそうだった。
 それを避けるためにも、クロトは荒い呼吸を何度も繰り返す。
 目撃した兵士の話では、王を殺めたのは銀色の髪をした子供だったという。
 父の守護妖獣を操り、三階の部屋から飛び降り逃げ去ったと言うのだ。
(銀色の髪……)
 それは、クロトの心に少なからず説明しがたい動揺を与えた。
 決して触れてはいけないものに触れてしまったような気がする。
 しかし、ノストールの王カルザキア王を殺した者であれば、どのような不可解な感情が渦巻いても、その子供を絶対に捕らえ、断罪に処さなくてはならなかった。
 たとえ、どのような理由があろうとも許すわけにはいかないのだ。
(どうして……イルダーグは……父上から離れてしまったんだ……。〈アルティナ〉の指輪はなぜ消えたんだ。守護妖獣を操る人間?)
 謎は深まるばかりで、クロトは膨らみ続ける疑問に混乱し、わけがわからくなりそうだった。
 王の所持する指輪は、王の意志がなくてはその指からはずすことはできない。
 たとえ王が亡くなったとしても王の血統につながる者たちの守護妖獣たち、王の望んだ継承者にその指輪を渡すべく、あらゆる手段を講じて行動をおこすのだ。
 だが、カルザキア王の守護妖獣イルダーグは行方不明となり、ダイキは王を守るために動くことさえしなかった。
 わずかな望みと言えば、イルダーグが指輪を守り続けているか、自分以外の他の三人の兄弟の守護妖獣が指輪を受け取っているかもしれないという可能性だけだったが、それはないように思えた。
 仮に指輪が継承されたならば、なんらかの瑞相があってしかるべきなのだ。
 瑞相――指輪が王に継承されたとき、新王の誕生を告げるために現れる瑞獣が、一昼夜、国中に咆哮をとどろき渡らせるのだ。
 その時に出現した瑞獣は、新王の守護妖獣と融合し、新王の守護妖獣は次の段階へと成長を遂げる。
 一方、瑞獣の出現とともに、逝去した王の守護妖獣は守護者としての役目から解き放たれ、野へと帰って行く。
 なかには王の死とともに、自らの命を終える守護妖獣も少なくない。それほどまでに、王と守護妖獣のつながりは深い。
 だが、瑞獣はいまだ出現していない。
 それは、指輪の継承が行われていないということを意味した。
 このままでは、王位継承問題を引き起こすばかりではなく、国全体が守護神の加護を得られず、国に天変地異などの災いが起こることをも意味する。
「なんとしても……捕まえて、指輪を取り返すんだ! 国中をくまなく探し、絶対に見つけだせ!」
 クロトが怒りを込めて、城に残っていた全兵を出動させるように、留守の将軍たちに命を下した。
 自分が城から動けないもどかしさに、いらだちが頂点に達しようとしたそのとき、王妃付きの侍女長が顔色を変えてクロトの前に現れた。
「王妃様が……王妃様が……お目覚めになられました……!」
「母上が……!」
 怒りの心は一瞬にして喜びと、そして混乱、迷いへと変化を遂げた。
(どうする……)
 目覚めたばかりの母が父の死を知ればどうなってしまうのか、クロトには予想できなかった。
 夫が亡くなり、指輪は消えた。その上……。
(その上……? なんだ……)
 クロトは、自分が何を言いかけたのか戸惑った。
「どういたしましょう……」
 侍女長が助けを求めるように両手を胸の前で合わせながら、クロトの指示を仰ごうと声をかける。
 「ああ……」
 皆の前で感情にまかせて怒鳴ってしまったことで自己嫌悪にかられながら、兄たちやアウシュダールが城にいればこんなときも平然とこの混乱を静められるかもしれないと、クロトは考えながら天井を仰いだ。
 このところ、国の難事はアウシュダールがすべて解決へと導いていた。
 だが、そのアウシュダールさえ、このような事態を予想できなかったことになる。
 クロトは目を閉じると、服の下にいつも身に着けている首飾りのペンダントヘッドの小さな石に左手を当てて大きく深呼吸をした。
 その胸の奥がひどく痛む。
 信じられない悲しみと痛みの中、一人で決断し、この一大事を乗り越えないといけない。
 大声を張り上げて、父にすがって泣き伏すことは、まだ許されない。
「わかった。これから母上のところへ伺う」
 クロトはそう言うとカルザキア王の遺体から離れ、母ラマイネ妃の部屋へと歩きだした。
 城の外では雷鳴が轟いていた。
 大粒の雨が、ひと粒、ふた粒と窓を打ちはじめる。
(兄上、早く戻ってきてください)
 あふれそうになる涙を天井を見上げてこらえながら、クロトは呼びかける。
 ノル・シュナイダー城からもうすぐ戻るはずの、アルクメーネの一刻も早い帰りをただひたすら祈りながら。

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