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第 九 章 《 禁 忌 の 指 輪 》

 暗闇のなかで不気味に光り続ける雷雲と、轟きわたる豪雨のなか、ずぶ濡れになったアルクメーネが城にたどり着いた。
 守護妖獣カイチの力で全速力で城に帰って来たために、供は誰ひとりとしてつけていない。
 アルティナ城から最も離れたシャンバリア村からでは、供の者たちが城にたどり着くのは当分先の話だった。
「兄上!」
 全身、雨に打たれて水をしたたらせたまま、臣下の案内でカルザキア王の寝室にたどりついたアルクメーネを、クロトの声が迎えた。
 その声には、絶望的な悲しみと、わずかな安堵、そして救いを求める響きが含まれていた。
「…………」
 アルクメーネはうなずくと、カルザキア王の遺体を横たえたベッドに歩み寄る。
 そこには、アルクメーネの覚悟と予想を越え、あまりに穏やかな表情をした父王の死顔があった。
「父上……」
 微笑さえ浮べているような表情は、いまにも目を覚ましそうだった。
 暴漢に襲われ命を落としたとは到底考えられないほど、穏やかな空気をまとっているように感じてしまいアルクメーネは戸惑う。
 生前の父は、こんなふうに微笑んだことがあっただろうか……と、アルクメーネは知らず知らずのうちに記憶をたどっていた。
 どうしても厳しい表情をたたえた父の顔だけが印象に残っているせいかもしれない。
「クロト……」
 兄は弟を呼び寄せると、その耳にそっとささやきかけた。
「指輪はどうしました?」
「兄上……」
 父の突然の死の報に接して帰って来た兄の口から飛び出した最初の言葉に、クロトは一瞬たじろいだ。
 自分のように取り乱すのを期待していたわけではなかったが、クロトがみた限り兄は普段の冷静沈着な兄とかわらないようにみえる。
「クロト」
 叱るような囁きに、クロトはハッとして申しわけなさそうにうつむいた。
「わたしが駆けつけたときには……すでにありませんでした。盗まれたのかも……」
「…………」
 アルクメーネはあごに親指と人差し指をあてて、なにごとかを思い巡らしているようだった。
「アルクメーネ殿下」
 数人の侍女が部屋の前で、雨に濡れたアルクメーネのために軟らかな厚手の織物布を山ほど抱えて立っていた。
 アルクメーネは、視線をあげる。
「お風邪を召されては大変です。お着替えを…」
 気遣わしげに小声でそうつぶやく侍女の声に、アルクメーネは小さくうなずいた。
「すまない」
 そして目でクロトにも、共に部屋の外へ出るようにと促す。
 アルクメーネは、着替える余裕すらなかったクロトとともに喪に服すための服に着替え、目覚めたという母ラマイネ王妃の部屋へと出向いた。
「母上のご様子は?」
 アルクメーネに問いを投げかけられるたびに、クロトは複雑な気持ちにかられる。
 なぜ兄は、こうも冷静でいられるのか理解できなかった。
 父の死が悲しくないはずがないのに。  
「窓辺にたたずみ、外を見つめらたまま動かれません」
「…………」
 アルクメーネは無言だった。
 そして、二人はラマイネ王妃の部屋を訪れた。
 そこには、クロトの言葉どおり窓辺に立つ母の姿があった。
「母上……」
 アルクメーネの表情が一瞬だけゆるむ。
 そして、振り返らないままの母に近づき、その手を取って、母の見つめる視線の先を追う。
 それは、カルザキア王の部屋の真下だった。
 外は止むことのない雨が激しく降り続ける。
 アルクメーネは、窓の外に父を襲ったという銀色の髪をした子供が窓を破り飛び降りる場面を思い浮かべてみようとした。
 だが、三階の部屋からではアルクメーネさえ無傷で飛び降りるのは無理に思えた。
 しかも、その子供が見張りの兵士達が見つける間もなく姿を消したというのも、妙な話だった。
 城は外部からの侵入はもちろん、中から闘争することさえ出来ないまで堅固な造りとなっている。
 ましてや、父には守護妖獣イルダーグがいた。
 子供が侵入と脱出を容易に成し遂げられるはずがないのだ。
 しかも。
(母上は、その子供の姿をを見たのでは……けれど、なぜこうして、ずっと見続けていらっしゃるのだろうか……)
 母が目覚めたということは、守護妖獣ネフタンもその出来事に接しながら、父を助けなかったことになる。
「母上」
 アルクメーネの背は、すでに母を見下ろすほど高くなっていた。
 ラマイネ王妃の瞳が、約三年ぶりにアルクメーネをとらえる。
 その碧い瞳が悲しげに揺れる。
「え……?」
 一緒にいたクロトも思わず、兄のそばで母の顔を見つめる。
 ラマイネ王妃はそのクロトにも視線を移すと、一筋の涙をこぼした。
 その瞳は、何かを訴えているようでもあった。
「母上……」
 クロトは声を詰まらせた。
 母は父のことを知ってるのだ。だから、長い眠りから目覚められたのだ。
 クロトの瞳からも涙が流れ落ちる。
 アルクメーネはそんな弟王子の肩をそっと抱いた。
 再び窓の外に視線を投げかける母の横顔を見つめながら。 

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