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第 九 章 《 禁 忌 の 指 輪 》

 父の血の気のない顔をじっと見つめるうちに、ルナの脳裏に突然ハーフノームの海賊島で亡くなった育ての母、イリアの死の瞬間が蘇り、父の姿と重なる。
 悲鳴を上げそうになる心を懸命にこらえながら、ルナはそれから逃れようとするかのように父の手をとり、すがるように強く強く握りしめた。
「それから……ルナ、昔……祖父の側近をしていた男に……わたしと同い年の息子がいた」
 カルザキア王は遠い目をした。
「名はディアード……。ディアードだ。彼を探して、国に戻るようにと伝えてほしい……。国の行く末を案じ……そのために……父親が祖父の怒りをかい……親族ともに国を追放された男だ……」
 ルナは戸惑いながらも、父が語る言葉を一言でも聞き漏らさないようじっと声に聞き入った。
「私はディアードと約束をしていた……私が王になった時には……呼び戻すと誓った……。だが……わかっているのは……ミゼア砂漠かセルグ……で、一族の者を見かけたという噂だけだ……」
「ディアード……」
 ルナは初めて聞くその名を声に出してつぶやいた。
「子どものくせに、きまじめな奴だった……そういえば……」
 カルザキア王は、ふと言葉をとぎらせた。
 苦しい息づかいの中で、忘れかけていた記憶の糸をたぐり寄せようとするかのように、目を細め、眉間にしわを寄せる。と、その瞳がカッと突然見開かれた。
「……ルナ」
 弱々しく息の狭間に自分の名を呼ぶ父の声に、ルナは涙声で「はい」と返事をする。
「私は……どうして……忘れてしまっていたのだろう……。だが……思い出していても……あの言葉を信じることなど……到底、できなかっただろう……。今ならば……。いや……もう遅い……」
「ディアードの言葉……?」
 ルナは、なぜだか父がその言葉を告げることを、ひどくためらっているように思えた。
「『アンナの……一族を……用いてはならん……その神の言葉を……信じては……ならん……』と……。ディアードの父が別れ際に祖父に言い残した言葉だ……」
「アンナを信じてはいけないの?」
 それは衝撃的な言葉だった。
 ノストールは長い間、アンナの一族たちの言葉を礎として歩んで来たのだ。
「それが……国を救う道だ……とな」
 ルナは、大きく息を吐き出し瞼をゆっくりと綴じる父の顔を、食い入るように見つめ、その手を握り締めた。
「父上……」
「ルナ……最後にお前の……その髪の輝きを見たかったな……葉で染めたのか?」
 カルザキア王が力なくつぶやいた瞬間、部屋の端で倒れていたイルダーグの体が発光し、部屋中に雷電を放った。
 青白い光や銀色の光がパチパチという音を立てながら縦横に走る。
 やがて、その突然の光が消えたとき、カルザキア王の瞳にルナの銀色の髪が映し出されていた。
「イルダーグか……すまんな……」
 王は死に瀕した自分の守護妖獣が、主の望みをかなえるために放った光だった。
 それは、ルナの緑色に染めた色を取り去り、見事な銀色の髪をよみがえらせたのだ。
「ルナ……」
 カルザキア王は満足したような笑みを浮かべていた。
「民を……この国を……そして…母を……頼んだぞ……」
「はい……父上……」
「……………………」
「父上?」
 ルナは呼びかけても返事をしない、カルザキア王の手を両手で握り叫んだ。
 しかし、その大きな手は二度とルナの手を握りかえすことはなかった。
「父上! いやだ……いやだ、父上! ルナは……ルナは、まだ、帰りましたのごあいさつをしてません。父上! 父上!」
 どれほど体をゆさぶっても、カルザキア王はルナの叫びにこたえてはくれなかった。
 あまりに突然すぎる出来事に、ルナは茫然とするしかなかった。
 イリアの死から、三日とたたない間に、今度は父の死を受け入れなければいけなくなったのだ。
 突きつけられる死という見えない力の前で、ルナは体中から何かが失われていくのを感じていた。
 その時、ルナの背後で突然、男の叫び声が上がった。
 それは、意識をとりもどしてあわてて王の部屋へ戻った警備の兵士が上げた叫び声だった。
「だれかー! だれか来てくれぇーっ! 陛下が、陛下が大変だぁー! 陛下が襲われた!! だれかー! 誰か来てくれ!!」
 兵士はその場の様子で、ルナがカルザキア王を襲ったと思い込んだのだ。
 兵士は、ルナが子どもであることで一人で取り押さえられると判断したのか、部屋に飛び込むと床に座り込んでいるルナに背後からつかみかかった。
 しかし、その手は空を切った。
 急にルナの体が、操り人形のように王の体を飛び越えて部屋の窓辺まで跳躍したのだ。
「待てぇ!」
 兵士は逃がすものかといった必死の形相でルナに詰め寄る。
 だが、当のルナにはその兵士の声すら耳に届いていなかった。
 自分の体が見えない力で父のそばから引き離されたときに、初めてその力の存在に気がついたのだ。
「いやだ! 父上のそばからはなれない!」
 ルナの叫びに兵士はギョッとしたように一瞬立ちすくんだ。
『ご辛抱ください……このままでは……あなたは王殺しの罪人として捕らえられます』
 低い声がルナの耳元でささやく。
「もういいんだ! 離れない! 父上から離れるのは、もういやだ!」
『指輪を……テセウス様にお渡しする約束を、ディアード殿を探す約束は、どうされるのか?』
 その言葉にルナは、指輪を握ったままの手を見つめた。
『王の指輪、〈アルディナの指輪〉は邪悪なものの手に落ちれば……国は滅びます』
 厳しく叱責する声にルナは、父と交わした約束を思い出した。
「指輪を兄上に渡して……。ディアードを探す……?」
『そうです……このまま捕らえられれば……約束は守れません…それでもよろしいのか?』
 ルナは首を横に大きく振った。
 声は、それを確認すると、間を置かずにルナの体をいきなり王の部屋の窓辺の厚いカーテンに体当たりさせた。窓ガラスは砕け散り、ルナの体が三階の部屋から外へと飛び降りていった。
「イルダーグ」
 ルナは飛びながら叫んでいた。
 父の守護妖獣の名を。
『お気づきでしたか……』
 守護妖獣はルナの体を少しも傷つけることなく地面に着地させると、姿を現した。
 それは部屋で倒れていた、ルナの知っている子ネコの姿ではなく、大人の三倍はある大きな猛獣の姿をしていた。
 しかし、イルダーグの自慢の黄金色の体毛は、巨大な爪に引き裂かれたように、無残にも皮が剥ぎ取られ、青い血がその体を染めていた。
「大丈夫……なの?」
 イルダーグは既に瀕死の状態だった。
 いや、一度は深い闇の中へその身をゆだねかけたのだが、カルザキア王の死とともにイルダーグは最後の力を得た。
――ルナを守り、指輪継承の守護をせよ。そのために残された私の命をお前に託す。指輪を守護すべき者として、ノストールの代々の王との誓いをここに果たすのだ!
 主であるカルザキア王の魂の叫びが、イルダーグに届き守護妖獣は奇跡的に命をわずかに留めたのだ。
『まだ大丈夫です……。ですが……この命も……あとわずかにて尽きます……。指輪を守るのが……王との約束……最後のつとめ……王を守れなかった不覚……無念……せめて……あなたを少しでもテセウス様の近くに……お運びせねば……どうか背にお乗りください。そして……私の体にしっかりとお捕まりください……』
「うん」
 ルナは、城の騒ぎが大きくなっていくのを知って、イルダーグの背中にのり、体を伏せてその首に手を回した。
「陛下を刺した子どもが、外に逃げたぞー!!」
 カルザキア王の部屋から叫ぶ兵士たちの声にルナは反射的にふりかえった。が、その目は母の部屋でとまる。
 ラマイネ王妃の姿が窓際にあったのだ。その心配げな瞳がルナの翠の瞳の中に映る。
「母上!」
 だが、視線を交わしたのはほんの一瞬で、妖獣の中でもその俊足を誇るイルダーグの足は、瀕死の状態であるにもかかわらず瞬きをする間に城から遠ざかっていた。 
「ごめんなさい……絶対に……帰って来ます……」
 ルナは父からあずかった〈アルディナの指輪〉を握り締め、イルダーグの背に揺られ続けていた。
 

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