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第 九 章 《 禁 忌 の 指 輪 》

「父上―!!」
 いくつもの扉を開き、部屋を抜けて、カルザキア王の寝室の扉を開けたルナの目に飛び込んできたのは、全身を血に染め床の上に仰向けに倒れている父の姿だった。
「父上! 父上―!」
 ルナはカルザキア王のそばに駆け寄り、そのそばにひざまづいた。
 父の脇腹には短刀が深々と突き刺さり、大量の血が流れ出ていた。
 瞬間、いまぶつかったばかりの少年の顔が浮かんだ。
「あいつ……」
 ルナが少年を追いかけようと立ち上がりかけた時、その腕をカルザキア王の手がつかんだ。
「父上!」
 ルナは驚いて振り返ると、父の顔をのぞき込む。
「ルナ……か……?」
 自分の名を呼ぶなつかしい父の声に、ルナは「はい」と返事をするとともに、涙があふれていくのを感じた。
「……どうして……父上がこんなことに?!」
 カルザキア王は痛みをこらえるように首を横に振ったあと、ふと珍しい笑みをこぼした。
「おまえが帰って来たものだとばかり思ってな……油断した……。だが……あながち外れたわけではなかったようだ……」
 しかし、そこまで話すと痛みをこらえようとするように、苦悶の表情を浮かべる。
「父上……大丈夫ですか……」
 ルナはただうろたえるしかなかった。
 そのルナを安心させるようにカルザキア王はほほ笑みを浮かべてみせる。
 次いで、真剣な光がその瞳に宿った。
「気をつけなさい……あの者は、王のみが許された指輪を所持しておる……。それも……禁忌となった指輪だ……。でなければ……イルダーグが敗れるはずはない……」
 王の目が、部屋の隅で血を流したまま床に倒れている、小さなネコを見つめた。
「あの子どもは、闇の妖獣の力に振り回されておる」
 王はそこまで言うと、苦しげに咳き込んだ。
「大丈夫ですか? 父上、父上」
 ルナの涙で濡れる瞳を見て、カルザキア王は何度か深く呼吸をすると、心配するなというように握られている手をしっかりと握り返す。
「……おまえに頼みがある」
「はい」
 ルナはこれ以上泣き出さないように、歯を食いしばった。
「アウシュダールを……許してやってくれ……」
「え……」
 思いもよらなかった言葉に、ルナは息を飲み込んだ。
「父上……?」
 カルザキア王は握りしめたルナの腕に手の力をこめると、じっとその緑色の大きな瞳を見つめ続けた。
「この城にいる……四番目の王子……アウシュダールの噂は知っているな?」
「はい」
 ルナは唇を結び、小さくうなずいた。
 父が何を言おうとしているのか怖くもあり、戸惑ってもいた。
「私は八年前……アンナたちの予言にしたがい……四番目に生まれた王子を殺したことがある……」
 父の口から飛び出した言葉に、ルナは何を言われたのかわからなかった。
 だが――。
――あなたは、カルザキア王とラマイネ王妃の本当の子どもじゃないのよ……あなたが、父と信じるカルザキア王は四番目の王子を殺してしまったの。そして、あなたをどこからか拾って来て、身代わりにしたのよ……。
 忘れていた記憶。
 メイベルに連れ出され、崖から落ちて嵐の中にリューザとともにのまれていった記憶が突如として蘇り、嵐のように忘れていた出来事が襲いかかる。
 カルザキア王の言葉が、メイベルの言葉を呼び覚ましたのだ。
 すべての記憶が鮮明となり、ルナは叫び出したい衝動に駆られた。
 それをしないですんだのは、ルナの心が崩れ落ちないように支えてくれようとしている目の前の父のじっと見つめる瞳と、腕に込められた温かく大きなその手があったからだ。
「本当の……なの……?」
 ルナは逃げ出したい思いに駆られながらも、小さく問いかけた。
 カルザキア王は、その心を知っているというように、さらにルナが逃げてしまうことを恐れるように、か細い腕を握りしめ続ける。
「四番目に生まれた王子には、左胸に三日月のアザがあった……。アウシュダールにはその子と同じところに……同じアザがある……」
 ルナは、びくりと震えた。
 父の口からアウシュダールのことが語られるのが嫌だった。
 耳をふさいで聞くのをやめてしまいたかった。
「あの子がシルク・トトゥ神なのかは私にはわからん……だが……大きな力をもっているのは確かだ。その力でおまえを追い出し、テセウスたちからお前の記憶を奪った……。王妃はお前がいなくなった日から眠り続けたままだ」
「母上に……お会いしました……」
「目覚めたのか?」
「起してしまいました。でも、抱きしめてくれました」
 ルナの言葉に、小さく少し驚いたような表情をみせたあと、安堵したようにうなづいた。
「あの子のアザを見たときに、巨大な力が動いているのを感じた。この手にかけた子が……生きて目の前に現れたのだからな……。一日たりとも忘れたことのなかったことだ。自分の子と認めないわけにはいかなかった。わたしに術など……はじめから無用だったのだ」
 そこまで苦しげに語ると、ルナを見つめる表情が悲しげに揺れた。
「だが……同時に、ルナ……お前のことも忘れるわけにはいかなかった。ずっと私なりに探してきたが……見つけだしてやれなかった……。すまなかった……恨んでいるだろうな……」
「そんなこと……父上のことをそんなふうに思ったことは一度もありません」
 ルナは、父の言葉に胸の中につかえていたものが消えていくのを感じていた。
「だって……ルナは……ルナがいけない子だったからだって、ずっと思っていました」
「お前は……いい子だ…かけがえのない大切な私の子だ……。年頃になったら……一人の娘として改めてラウ王家に嫁がせ、一生この城に……私たちの手元におきたいと……そう願っていた。お前だけは……手放したくなかった。不思議だな……アウシュダールよりも……お前が愛しかった……」
 王は苦しげに呼吸をしながらも、優しくルナを見つめた。
「アウシュダールを……受け入れることで……お前を別の方法で城に呼び戻せるかもしれないとも……考えた…。だが……あの子の心は病んでおる……このままでは……この国が……が……滅びる……」
 ルナは、カルザキア王が消えそうな声で語る言葉を、一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けた。
「アウシュダールがいても……おまえは、私たちの子だ……でなければ……。ラマイネが……目覚めるはずはない……。お前が戻るのだけを待っていたとしか思えん」
「本当に……?」
「そうだ」
 ルナの不安を打ち消そうとするように、王はうなずく。
「それに……お前にはリューザがいる。守護妖獣は王家の一族の証しだ。民を守り、王家を守り、指輪を守るための……私の子であるという確かな証しだ……」
 カルザキア王は、ルナの気持ちが落ち着くのを見ると、そのつかんでいた手を離し、震える左手の中指から金と銀の交差する白い石のついた指輪をはずして、ルナの手に握らせた。
「これを……お前の手から、直接テセウスに渡してくれ。即位の証しの指輪だ……アルディナの指輪。わかるな……」
「父上……」
 カルザキア王の息づかいは苦しげなものにしだいにかわっていった。
「お前が必ず、直接、テセウスに渡すんだ……いいな…」
 苦しげな様子と、咳と同時に口から血が吐き出されるのを見て、ルナは自分の心臓が激しく鼓動を打ち、大きく揺れるのを全身で感じた。
「待ってください……いま誰か呼んできます」
 涙声で顔をゆがませて、助けを呼びに立ち上がろうとするルナの手首を、カルザキア王の手が再び引き留めた。
「いい……もう……助からん……だからここに……もう……二度と、私のそばから消えるな……」
 父の悲痛な言葉に、ルナは立ち上がることができなかった。

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