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第八章《ハーフノームの海賊》

 ひっそりとした空気が、アルティナ城の中に漂っていた。
 つい数日前までのざわめきも、人々の走り回る足音も、声も嘘であったように静まり返っている。
 テセウス皇太子率いる援軍が、リンセンテートスへ向けて城を出たのは五日ほど前のことだった。
 国の人々の期待を一身に受け、王の名代であるテセウスと、第四王子アウシュダールが旅立った。
 三年前、シルク・トトゥ神の転身人として名乗りをあげたのが、ルナではなかったことなど人々は知るよしもない。
 出立する軍を見送った第二王子アルクメーネと第三王子クロトは、そのままカルザキア王とともに国に残った。
 本国の戦さであれば王の出陣は当然であったが、他国の援軍に王自身が出向くほど、ノストールの政情は安定していなかった。
 アルクメーネはエーツ山脈入口の外門付近一帯を警護するために、山の近くにあるシャンバリア村から離れた場所にあるノル・シュナイダー城に拠点を設け、駐留軍を統率していた。
 シャンバリア村――それは、一人の少年を除くすべての村人が、王家の兵士を装った謎の集団に惨殺された悲惨な過去をもつ村の名だった。
 しかしその村も、いまは新しく住人となった人々の手によって、活気に満ちた村に生まれ変わっていた。
 ノル・シュナイダー城の執務室で、クロトはアルクメーネとしばらくの間口論を交わしていた。が、日が高くなったのに気づくと、ひじ掛け椅子から立ち上がり帰りの辞を述べた。
「兄上、わたしはもう城に戻りますからね」
 言い捨てるような言葉と、やり切れない表情が弟王子の顔に張りついたままなのを見て、アルクメーネもまた静かにため息をはいた。
 クロトは怒りっぽくなったとアルクメーネは思う。
 いつもイライラとしていて、何が気に食わないのか折あるごとにつっかかってくる。
「言いたいことは聞きました。今後もわたしは、クロトの言葉にきちんと耳をかたむけます。ですから……」
「ほかの人々の前で不満は絶対に言いません。不愉快な顔も見せません。八つ当たりもしません。アル神に誓って!」
「よろしい」
 若竹と同じような勢いで伸びるその身の丈と、少年から青年へと成長する過程にある弟王子を前に、アルクメーネは静かにうなずいてみせた。 
「わたしも城へは折りを見て顔を出すようにします。父上ともども、城は頼みましたよ。海の警備にも気を抜かないように。兄上たちが援軍に出ている隙に、国で異変が起きるような事態になっては大変ですからね」
「わかりました」 
 そう言って、クロトは唇を噛み締めたまま一礼をして部屋を退出した。
「納得はしていないんでしょうね」
 アルクメーネは座っていた椅子から立ち上がると、エーツ山脈を仰ぎ見ることができる窓際に近づいた。 
 ラマイネ妃によく似た優しく、そして知的な面差しをもつノストール国ラウ王家の第二王子の横顔に憂いがあらわれる。
(わたしもあなたのように、思ったことを遠慮なく言える相手がほしいと思うときもあるのですよ)
 アルクメーネはクロトの怒った表情を思い出して、寂しげな瞳を揺らしながら静かにほほ笑む。
(でも……)
 その碧い瞳が、雪に染まるエーツ山脈を見つめる。
 自分の心もあの雪のように、クロトは冷たく感じているのだろうかと、アルクメーネは思った。
(いま、兄上とアウシュダールたちは、あの山を越えようとしている。リンセンテートスを救うために、危険な山越えにはいっているのです。あなたは、なぜ他国のために危険をおかしてまで行く必要があるのかと言うけれど……。アウシュダールはそのために、人々を救うために、アル神の子としてこの国に生まれて来たのですから……)
 クロトの顔を思い浮かべながら、そう心の中で語りかけていたアルクメーネは、ふとあることに気がつき苦笑を浮かべた。
「なんだか……自分に向かって言いきかせている言葉みたいだ」
 そう口に出してつぶやくと、静かにまぶたを綴じた。
(アル神、ノストールを守りし神よ。われらが民に御加護を。どうか全員が無事に役目を果たして帰って来られますように、お守り下さい)
 夜の空に浮かぶ銀盤の光を心に描きながら、アルクメーネは祈った。
――兄上……。
 心の中の月の輝きの中で声が聞こえ、アルクメーネはハッとするとともに、冷えていた心があたたかくなっていくのを感じた。
 アル神に祈りを捧げるアルクメーネの耳に、その声が聞こえるようになったのはいつの頃からだったのか。
 アルクメーネ自身もはっきりとは覚えていない。
 声はクロトでも、アウシュダールの声もでないのはわかっていた。
 だが、聞こえてくる自分を兄と呼ぶその幼い声を、アルクメーネはいとおしく感じていた。
 そして、その声を聞くたびに励まされ、自分がしっかりしなくてはと思えるようになっていた。
「そうですね。テセウス兄上が安心して下さるよう、クロトにもわかってもらえるように、さらに努力をするようにしましょう」
 アルクメーネはつぶやいていた。
 その声に誓うように。

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