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第八章《ハーフノームの海賊》

 翌日、だれもいない入江のグート艇の前でルナは一人立っていた。
 空はルナの心とは裏腹に快晴で、海も穏やかだった。
 遊びで乗り、帆を操ったこともある乗り慣れた小舟。
 けれど、幼いルナ一人の腕力では、強い風に対抗することはまだ不可能に近い。
 ハーフノーム島から一番近い大陸はノストールだったが、そこへ渡るにも小舟では三日はかかる。
 まして風がなくなれば、漕ぎ棒を使わなければ進むことが出来ない。
 それでも、自分が扱える小舟はグート艇しかない。
 今日中には島から出ていかなくてはならないのだ。
 ルナは唇をかみしめながら、後ろを振り返った。
 険しい山と切り立った崖に囲まれた緑の島。
 ハーフノームの海賊たちの住処。
 イリアと過ごした島。
 ジルは一度たりとも自分のことを父と呼ばせたことがなかった。
「『かしら』と呼べ」
 とうさん、と呼びかけようとするたびにジルはそう言った。
 だからジルから出ていけという言葉を聞いたとき、ルナはその言葉を受け入れるしかなかった。
 いつかこの日がくることを漠然と感じ恐れていた自分がいたことを、改めて思い知る。
「ジーン!」
 声のする方に視線を向けると、ルナの緑色の瞳に走ってくる二頭の馬の姿が映った。
 ネイとロッシュの馬だった。
「よかった、間に合った」
 ルナの前までやってきた二人は、背中に荷物を背負い笑顔で馬から降り立った。
 そして、そのまま馬の尻を打ち帰らせてしまう。
「?」
 ルナの問いかけたそうな視線を受けてネイが笑う。
「ノストールまであたしらが送ってくよ」
 ルナはその言葉に、驚いたように首を横に振った。
 拒否するルナの頭の上に軽く手を置いたロッシュは真剣な表情で、緑色の大きなルナその瞳をのぞき込む。
「いいかジーン。かしらは確かに出て行けと言ったかもしれねぇ。けど、おまえ一人でこの島を出て行けとは言っちゃいねぇだろ。誰かが近くの港まで送ってやったって命令違反じゃない」
 ロッシュの言葉に、ルナは視線を下におとす。
「それにみんなからもおまえのことを頼まれた。この荷物がその証拠だ」
 ロッシュは背中に背負っていた小さな袋をルナに差し出し、見ろと言うように自慢げに口元に笑みを作る。
「これはみんなからだ。昨日の真夜中、ネイが泣きながら、かしらの言葉を一件一件回って伝えたんだ。おまえを島に残してほしいと訴えながらな。けど、かしらの言葉は絶対だ。だれにも逆らえない。だからその代わりに、あの強欲者どもがおまえの旅立ちを祝うために餞別を持たせてくれた。それがこれだ」
 ロッシュは強引にルナの手を引き寄せて一抱えを持たせる。
 ルナの手に、ズシリとした重さが伝わる。
「おまえを無事大陸まで送り届けろと、念をおされた。だから、このままのこのこ帰ってみろ、おれが半殺しの目にあう。わかるだろ」
 ルナはその袋に視線を落としたまま、うつむいた。
 仲間たち一人一人の顔が脳裏に浮かび、船の上での出来事が次々と蘇ってくる。
 殴られ、怒鳴りつけられ、海に突き落とされ、帆柱に逆さ吊りにされて笑い者になったこともあった。
 けれど、海賊流の剣の扱いを教えられ、仲間内での格闘に勝った頃から、伝令役となり、海賊船の隅から隅まで知り尽くし、酒も、ケンカも賭け事も、そして海の掟も学んだ。
 陽気な顔、沈んだ顔、厚顔不遜な顔、豪傑そのものといった顔、海賊たちの思い出がその袋の重みとともに浮かび上がる。
 黙ったままのルナの思いを知ってか知らずか、ロッシュとネイはルナの腕をとり、背を押し、強引にグート艇に乗り込んでしまった。
「行くよ!」
 ネイが帆を張ると、吹きつけるさわやかな海風を真っ赤な布地に砂時計の描かれた帆が広がる。
 潮風をいっぱいに受た帆とグート艇は、勢いよく海に漕ぎ出した。
 波にのりグート艇がぐんぐん島から離れていく。
 ルナは船の縁につかまり、その大きな瞳に島の姿を焼きつけようとするように海賊島を見つめ続ける。
 最初はあれほど島から出ることばかり考えた島。
 その島をついに離れ、ただただ恋い焦がれたノストールに帰る時がきたのというのに、ルナに嬉しいという気持ちはなかった。
 あるのはハーフノーム島への不思議なほど親しく離れがたいという、強い思いだけだった。
 いまのルナにとってやすらげる場所はハーフノーム島以外になかった。
 仲間の乗る海賊船以外になかった。
 その島を去らなくてはならない。
 イリアと過ごした思い出の場所から引きはがされることは、心が張り裂けるほどの悲しみをルナに与えた。
 その悲しみが深ければ深いほど、ルナは今以上にもっと辛いことがあったようないいようのない気持ちに駆られるのだ。
 だが、ルナの心は島を離れる辛さだけが心を占めていた。
 やがて海賊たちの島、ハーフノーム島の姿が遠ざかり、水平線だけが見えるようになっても、ルナは目をそらすことを恐れるように、島の方角をただ見つめ続ける。
「ジーン」
 ロッシュが静かに呼びかけるが、ルナは微動だにしない。
「ジーン」
 何度か呼びかけた後、ロッシュはあきらめたように動かないルナの背中に向かって話しはじめた。
「いいか、ジーン。実は、お前が島に戻れる方法を考えたんだけどな」
「え?」
 その言葉に、帆を操っていたネイの手が止まる。
 だが、ルナは振り返らない。
「これは、ジーン、おまえがいるからこそ成立する作戦なんだ」 
 ロッシュは片目を綴じてネイを見ると、自信ありげな笑みを浮かべる。
「いいか、おれたちハーフノームの海賊は、ずっと昔に、ノストール王国と海賊許可協定を結んでいるんだ。それは、おれ達ハーフノーム海賊が、ノストール近海に現れる商船や海賊船、国籍不明の船、敵船を襲うことを見過ごすかわりに、ノストールが通過許諾状を発行した船は襲わないという約束事だ。その代わりにおれ達は、海賊稼業で儲けた五分の一をノストールにくれてやる。反対に、ノストールがその許諾状を発行して得た金の三分の一をおれ達海賊に譲渡する、という取り決めだ。
 まぁ、今じゃその協定も有名無実、許可状だってあってもなきに等しい代物だが、それでもやっかいな代物であることには違いない。その証拠に、過去に何度も歴代の頭たちが、協定状を取り返そうとアルティナ城にもぐりこんでるんだが、いまだに成功していない。俺にはそこまでして取り返そうっていう理由は知らないけどな。とにかく、その協定状は存在するだけでどうにも寝つきが悪いってことらしい」
 ロッシュは大海に漂う小さなグート艇の中で、まるで誰かに聞かれはしないかと言うように、思わず声をひそめる。
「だからぁ? それがなんだっていうの? 前置きはいいから、結論を言ってよ」
 ネイが先をせかすと、ロッシュは呆れたように大きく息を吐き出した。
「普通はここまで話せばピンとくるもんだが、あいかわらずにぶい奴だな」
 ロッシュはそうぼやきながら、視線をルナの背中に戻した。
「その協定状をおれ達で取り返すっていのはどうだ?」
 ロッシュは名案だろう、と言わんばかりにニヤリと笑った。
 その提案に、ルナは驚いたように振り返った。
 大きく見開かれた緑色の瞳と、固く結んだままの唇。そこには、今までに見せたことのない表情が張りついていた。
 しかし、その様子に気づかずないネイが帆を操りながら首をかしげる。
「どういうことさ?」
「おまえ、人の話を聞いていなかったようだな」
 ロッシュは三白眼の瞳で、ネイをジロリと睨みつけた。 
「代々のハーフノームの頭領が奪いたくても奪い返せなかった海賊協定状だぞ。それを、おれ達小物が盗み出すことに成功してみろ。おれ達の名は一躍有名になり、代々海賊ハーフノームの英雄とし称えられることは間違いない。しかも、それがジーンの手柄だあると知れば、かしらだっておまえを一人前の仲間として認めざるを得ない……だろ?」
 ロッシュの提案を、ルナは複雑な心境で聞いていた。
――アルティナ城へ行く……。
 過去に自分が存在した記憶の場所――そこに、忍び込むことができる。それは魅力的な提案であったが、同時に、得体のしれない恐怖が全身を襲ってくるのを止めることが出来ない。
 一方のネイは、他人事のように大きなあくびをしていた。
「そりゃあ名案だろうけど、代々のかしらが失敗してるんだろ。そんな所に乗り込んだって、あたしらが簡単に盗めるわけないだろ。そんなのは、かしらに任せておけばいいんだよ」
 ネイがハーフノーム島の方角を親指で示す。
「だから言っただろ。この話はジーンがいるからこそ成立する作戦なんだって」 
「?」
 ネイはしばらく考えこんでいたが、降参したと言うように片手をあげてみせた。
「降参するよ。あんたの話を黙って聞くことにする」
「おお、いい心掛けだな」
 ロッシュは得意げだったが、ルナは二人のやりとりに居心地の悪い気分に駆られていた。
「大陸の西外れの山奥に住んでいたネイは知らないだろうけどな、ノストールの一番下の王子が銀色の髪だっていうのは、この辺りじゃそりゃあ有名な話なんだぞ。アル神の加護を受けた子供だってな。だから、ジーンの銀色の髪があれば、多少顔や服を隠しても王子のふりをすることが出来るとにらんだんだ。城の中に忍び込むことさえ出来れば、万が一誰かに見つかっても、顔を隠してりゃ王子だと思ってそう簡単には手出しができないだろう」
 ロッシュは、今は緑色に染められているルナの髪の毛をやや乱暴にくしゃりとかき混ぜるようにする。
「俺の情報じゃ、いまノストールはリンセンテートスというエーツ山脈を挟んだ隣の国が、ダーナンの攻撃を受けるとか受けないとかで、その援軍に出るらしい。その準備で慌ただしい城の中なら、本物の王子と鉢合わせしない限り、おまえを見つけても、捕まる可能性は低いはずだ。だから、ジーンは城にもぐりこんで、王の部屋や重要な書類を隠していそうな部屋を見つけて、協定状を盗む。おれ達は、ルナの作戦成功の合図を受けて逃げる算段を整える」
「あんたね」
 ネイは帆を操るのをやめて、ロッシュの前に座り込むと、怒りを含んだ目つきでにらみ返した。
「そんな危険なことをジーン一人でさせようっていうの。見つかれば殺されるんだよ」
「それはどうかな」
「え?」
 ロッシュはネイのその問いを待っていたと言わんばかりに、ルナをあごで示した。
「ノストールにとっては、銀色の髪の子はアル神の加護を受けた子どもと信じられている。たとえ盗っ人といえど、そう簡単に殺すことはできないはずだ。だから、ジーンが仮に捕まったなら、その騒ぎに乗じて今度はおれ達が城に忍び込んで、協定状を盗み、その上でジーンを助ける。二段構えの作戦ってわけだ。どうだ?」
「うーん。でも、それにしてもおおざっぱすぎる作戦だよ……危険も大きいし……。第一、城の見取り図は? 協定書ってどんなもんなのかも検討つかいなだろう 」
 ネイは仰向けに倒れると、気乗りのしない表情で、一面の青空を見ながら考え込んだ。 だが、ロッシュはひかない。
「見取り図ならかしらが持っていたのを見たことがある。協定書の表にはノストール、ラウ王家の紋章とハーフノームの海賊の旗印が描かれているらしい。絵なら文字が読めなくたっていい目印だ。いいか、もしこの作戦を成功させればジーンは仲間に戻れるし、おれ達も英雄になれるんだぞ」
 ロッシュは真剣な表情で、黙ったままのルナをじっと見据えた。
「まぁ、おまえは別に英雄なんてなりたかない口だろうけど、一か八か、やるしかないだろう。みんなも、おまえと一緒にまた海に出たいと言ってた。おまえだっておれ達といたいだろ? おまえが今までジーンとして、イリアさんのために、かしらのためにどれほど必死で頑張ってきたのかということはみんなよく知っている。だから、イリアさんを亡くしたばかりのおまえを、たった一人で追い出しちまうような真似だけはしたくないんだ」
 その言葉と真っすぐな瞳が、口を閉ざし続けるルナの瞳に突き刺さる。 
――帰りたい……
 ルナは、そうつぶやいている自分の声を聞いていた。
――待っていてくれる仲間のところに、かあさんの眠る海と、かしらのいる……ハーフノームの島に帰りたい……!
 ルナの心の中には、その声が響いていた。
 島に帰ることだけを望む自分の声を。
「やる……」
 ルナはロッシュの瞳を、睨むようにそう答えていた。
「やるよ」
 ロッシュや仲間たちの所に帰るため、自分の居場所を守るために、わずかに残るノストールの記憶を断ち切ろうとするかのように、そう返事をしていた。
 三日後、三人の乗るグート艇は、ノストールの海域に入り、イスト港からはかなり離れた東側の切り立った崖の続く岩場にむかって進んでいた。
 そこに船を停泊させるような場所はどこにも見当たらない。
 だが、ロッシュは迷う様子もなくその崖壁に向かって進むような針路をネイにとるように命じた。
 グート艇が進むにつれ迫ってくる眼前の絶壁の、いりくんだ岬の崖の下を這うように進むうちに、上から下にむかって真っすぐに亀裂が走っている岸壁にネイは気づいた。
 その亀裂の下、海と接する部分に遠目からではまったく気づくことのできない細長い入口があるるのがはっきりと見えた。
「そのまま行ってくれ」
 ロッシュの声の命じるままに、グート艇は穴に吸い込まれていった。
 穴をくぐり抜けると、そこは横に二十隻は並んでくぐれるほどの広い穴だった。
「ロッシュ、あんたよくこんな場所見つけたね。これなら、かしらの船だって入れるよ」
 ネイが、広々とした洞窟の中を進みながら感動の声を上げる。
 ルナも、はるか天井の隙間から降り注ぐ陽光と左右に広がるように傾斜をつくっている岩壁を見上げたまま、ぽかんとした表情をしていた。
 ロッシュは、驚きをかくせない二人の様子に、片方の眉をあげてしてやったりしいう表情を見せた。
「そうだろう……と自慢したいところだけど。残念ながらここは、代々海賊ハーフノームのかしらがノストールに忍び込むときに使ってきたた秘密の洞窟だ。奥に行くと、たいまつを灯したあとがあるんだ」
 その言葉にルナとネイが洞窟の中を見回すが、どこにたいまつのあとがあるのかわからない。
「まだだ。もっと先に行かないとな。この光ももうすぐなくなる」
 ロッシュは森の中の木漏れ日を見るように天井を眩しそうに見上げながら、明かりが失われないように、自分の袋から携帯用のランプを取り出し火を灯した。ネイも風がなくなったことから、帆を閉じ、漕ぎ棒でルナとともに船を漕ぎはじめる。
 進めば進むほど闇は濃くなっていく大水路を、グート艇は進み続けた。
  迷路のようにいくつもの枝分かれした水路をロッシュの指示に従いながら小舟は進む。
 目が闇に慣れてくると、ランプの明るさも手伝い、洞窟の中の様子が徐々にわかってくる。
 たいまつを灯したと思われる場所もわずかではあるが、見つけられるようにもなった。
 ロッシュは船先に立ち、ランプを高く掲げながら、次々と枝分かれして行く洞窟の中を、水先案内人よろしく的確に針路を指示していく。
「かしらはまだ実行に移しちゃいないが、いずれはその協定状を取り返す計画をたてているんだ。それでおれ達は下見もかねて、何度もここには来ているってわけだ。ひとつ間違えば方向転換出来なくなるし、急流や滝に巻き込まれる場所もある。海賊が自分の縄張りで迷子になるわけにはいかないだろう」
 しばらく進むとグート艇は、これまでで最も大きな空間に出たようだった。
 小さなランプひとつでは周囲の様子はまったくといっていいほどわからないが、声の反響の仕方や波の揺れ方がそうだと感じさせるのだ。
 ロッシュはたくみに船を先導すると、岩場に舟を接岸させた。
「ちょっと、まってろ」
 そう言うと、ランプをもったまま船を降り、闇の中へと消えて行く。
 やがて、ランプのわずかな灯火だけが蛍火のようにポツンと揺れているのが見えるだけとなった。
 だが、その灯火が、ひとつふたつと増えはじめ、ロッシュの全身を照らし出すほどに明るくなる。
 そこに浮かび上がった光景が目に飛び込んできた時、ネイとルナは驚いたまま瞬きひとつすることが出来なかった。
 巨大な洞窟の中に、人工の港が現れたのだ。
 海賊船二隻が楽に方向転換できる広さと、接岸するための波止場までもがあった。
 その上、数十隻のグート艇が、波にゆられながらずらりと停泊していたのだ。
 岩棚に次々と灯されたロウソクに火以外にも、さまざまな仕掛けがあるのだとロッシュは自分の手柄のように自慢をする。
「それにここは海の満ち引きがあっても、波が荒れても比較的安全な場所だ。そうなるように工夫もしてあるが、たまには壊れちまう船もあるらしい。まぁ、それもご愛嬌ってもんだろう」
 ロッシュは二人がまだグート艇の上に座り込んだまま茫然としているのを見ると、船から降りるようにうながす。
「驚くのはまだ早いぜ。海賊ハーフノームの秘密基地っていうのは伊達じゃないからな。まぁ、ついてこいよ」
 ロッシュは、二人が船から降りるのを確認すると岩に隠された仕掛けをいじる。と、どこからか風が吹き込みろうそくの炎が一瞬にしてかき消された。
 漆黒の闇が蘇り、ロッシの掲げたランプの火だけが通路を照らし出す。
 闇の中で揺れるランプの小さな灯火。
 なんだか不思議な生き物のようだと、ルナは思った。
 小さな炎は揺れる。
 三人をノストール国の奥へといざなうように。

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