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第八章《ハーフノームの海賊》

 どこまでも青く澄んだ空の下で、クロトは守護妖獣・黒馬ダイキににまたがり、アルティナ城へと向かって走り続けていた。
 普通の馬であれば、たとえ休むことなく走り続けても丸三日はかかる城までの行程を、ダイキの足なら、わずかの時間で帰り着くことができた。
 だから、クロトはダイキに乗るときは部下を連れずに、自由に国中を走り回った。
「兄上はああいうけど、俺にはわからない」
『不平は言わない約束では?』
 道なき道を流れるように、風のような速さで駆け抜けながら、ダイキは主人に問いかけた。
「ほかの人々の前では言わないけど、おまえは人じゃないだろう」 
『承知』
 まるで、お目付役のようなダイキの口ぶりに、クロトの表情はがぜん不機嫌さを増していく。
「だいたい、援軍に行くのにどうして俺は行けなくて、あいつらが行けるんだ!……っていうより、今度の特別部隊のことに対してどうしてだれも異を唱えないんだ。まるで反対している俺だけが、変なことを言ってるみたいじゃないか」
『成る程』
「だろ? お前の力を最大限に発揮できるまたとない機会なんだ。万が一、リンセンテートスの旅の途中で急な事態があれば俺はあっという間にノストールに戻って、父上の指示を仰ぎ、兄上に伝えることができる。それなのに……」
 普通であるならば、その驚異的な速さにしがみついているのも精一杯であろうダイキの馬上で、守護妖獣の主であるクロトは心地よい風を頬にうけながら会話を続ける。
「父上のお考えに楯突こうっていうわけじゃない。でも、納得いかないもんは、いかない」
『承知』
 ダイキのそっけなく聞こえる言葉に慣れてはいるものの、クロトはなんだか空しくなり深いため息を吐き出した。すっかり話を続ける気持ちがなえてしまって、しばらく黙ったままでいたが、城が近づくにつれクロトは急に寄り道をしたい誘惑に駆られた。
「ダイキ、マーキッシュの村によってくれ」
『御意』
 子供のころによく遊んだ村だった。
 城に一番近い村であることから、城下の町に商売をしに来た商家の息子と偽って、村の子供達とよく遊んだのだ。
 ケンカや、木登り、木の棒で剣術ごっこ、近くの泉で水遊びをしたりと、思いきり遊ぶことができた場所だった。
 だが、戦さのきな臭い煙がノストールへ向かって流れはじめたころから、そういったお忍びごとは禁じられ、またクロト自身も約束を破ってまで村に行こうという気持ちが薄れていたのだ。
「あんなに楽しかったのになぁ……」
 クロトの脳裏に弟と遊び回った頃の記憶がよみがえる。
 だが、不思議なことに、いつもそばにいた弟の表情だけがどうしても思い出すことが出来ないのだ。
 その現象は今も続いていた。
 両親やテセウス、アルクメーネ、二人の兄たちの顔はいつでも思い浮かべることが出来るのに、弟のアウシュダールの顔だけは、なぜだずに思い出すことができないのだ。
「あいつも、転身人になってから、性格も変わったみたいだし……。そりゃ、いろいろとあって遊ぶひまもなかったのは事実だけどさ」
『………』
 そして不思議なことがもうひとつ。
 こと、アウシュダールに話が及ぶと、ダイキは返事をすることがなくなっていた。
 さらに、アウシュダールがどれほど望んでも、以前のようにはその背に乗せることをしなくなったのだ。
「気に入らないことがあるなら、はっきり言えよ。」
 何度もクロトは自分の守護妖獣に問いかけたが、ダイキは何も答えない。
 本来、守護妖獣は自分の主しかその背に乗せることはないらしい。
 よくよく考えれば今までクロト以外の人間を乗せるという行為のほうが不自然だったのだ。
 だから、主人の度重なる命令に守護妖獣が従わないからといって、咎める理由はクロトにはなかった。
「はい、はい」
 答えない黒馬に自分で返事をしながら、村に入ろうとしてクロトは思わず逡巡した。
 村人たちや一緒に遊んだ仲間と会いたい気持ちがいっぱいで、いまの自分が一目で王族とわかる服装をしていることを、すっかり忘れていたのだ。
「みんなが本当のことを知ったら、前みたいには話しかけてもらえなだろうし、遊びに来ることもできなくなるかもしれないもんなぁ」
 しばらく村の周囲をウロウロと行ったり来り繰り返した末に、せめて、村の外れにある泉にだけ立ち寄ることにした。
「ひと泳ぎしていこうかなぁ」
『人払いは?』
「いいよ」
 村人たちが泉に来るのは、陽が傾きはじめる少し前と決まっていた。
「今なら、だれもいないはずだから」
 村を迂回して林に囲まれた泉へと駆けるダイキの小気味いい足音が響く。だが、泉が見えてくる場所まで来たとき、守護妖獣は突然立ち止まり微動だにしなくなった。
『人がいます』
「え……?」
 抑揚のないダイキの言葉に驚いて耳をすますと、確かに人の声が聞こえて来た。
「誰だろう……」
 クロトは、誰が泉で遊んでいるのか見るために、動かないダイキの背から飛び降りると、気配を消させて泉のそばに近づいていった。
「なかなか落ちないね」
 少女とも少年のものもとも、とれる少し高い声が聞こえて来た。
「色が落ちるまで、気長に何度も洗うしかないだろ。それまでに準備しておくことは山ほどあるしな」
 次の声はあきらかに男の声だった。
 好奇心を押さえられずに、木々の間からその様子を見ようと、のぞき込んだクロトの目に三人の人物の姿が飛び込んで来た。
 泉のそばの大きな石に座り込んでいるポニーテールの少女と髪を短く刈り上げた若い男、そして後ろ向きで水浴びをしている緑色の髪の子供の姿だった。
 その子供の姿を見た瞬間、クロトの目が釘づけになった。
 泉の中に潜っては浮かび上がり、水浴びをしているをしている子供の背中にある、左側の腰から右肩にかけて長く大きく流れるようなアザに。
(まるで大鳥が、空を舞っているみたいだ……)
 クロトが目をこするしぐさをしたとき
「ジーン。今日はこの辺にしよう。もう出てもいいぞ」
 男が呼びかける声がして、子供が振り返った。
「?」
 クロトは裸のまま泉から出て来たのが女の子であると知って、思わず視線をそらせようとしたが、少女の顔を見た瞬間、その瞳から目を離すことが出来なくなっていた。
 印象的な大きな緑色の双眸。
 クロトの右手が、知らず知らずのうちに自分の胸元を押さえつけた。鼓動が激しくなっているのがわかる。
(誰だ……?)
 心の中でそう問いかけながらも、そう思うこと自体が不自然なものであるような奇妙な錯覚に陥る。
「ダイキ……」
 もっと三人に近づいてみたいという衝動に駆られ、守護妖獣の名を呼んださの時、突然クロトの頭を激痛が襲った。
「うっ……!!」
 あまりの痛みにこらえ切れず、クロトは地面に両膝をつき、体を二つに折るように地面に突っ伏して、苦悶の声をあげた。
「やべぇ、誰かいるぞ」
「行こう。ほら、ジーン服を持って」
 クロトの声に気づいた三人は、あわてたように泉から立ち去ろうとしていた。
「まっ……て……」
 だが、頭を締めつけるような、呼吸さえままならないほどの激痛は、クロトがそこから一歩でも先に進むことを拒むように急激に激しくなる。
(待ってくれ……!)
 自分がなぜこれほどまでに強く心を揺さぶられるのか、クロトには説明が出来なかった。
――行かないでくれ……。
 けれど、その思いは声にならない。
 しかも、ダイキは自分がこんなに苦しんでいるというのはそばに来ようともしない。
――…………。
 やがて激しい痛みが去ったときには、三人の姿はどこにもなかった。
 クロトは、誰もいなくなった泉の前まで歩き立ち尽くすと、ジーンと呼ばれていた少女がいた場所をじっとみつめた。
 気がつくと一粒の涙が頬を伝わっていた。
 その涙が先程までの痛みによるものなのか、それとも他の感情によるのものなのか、自分でもわからない。
(ジーンと呼ばれていた……)
 クロトは襟元を探り、胸にかけていた細い金の鎖を取り出すと、その先に輝く小指ほどの大きさの翠色の石を見つめた。
 三年前、アンナの一族の末娘であるエディスから預かった首飾り。
 石は、たったいまそこにいた少女の瞳と同じ色をしていた。
――これを………渡してください。
 そう言われて受けとり、クロトも必ず渡すと約束をしたはずだった。
 だが、誰に渡す約束をしたのか思いだすことの出来ないまま、クロトはその首飾りを身につけていた。
 翠色の石――。
 アル神の息子シルク・トトゥ神の転身人がノストールに生まれているという予言、シャンバリア村での虐殺、エーツ山脈の山火事、そしてダーナンの進攻。
 そのときに来ていたアンナの一族が国を去るときに、エディスから預かった小さな石。そして、アウシュダールがシルク・トトゥ神の転身人として目覚め、国を救った。
 しかし、クロトは他の人々のように目覚めて後のアウシュダールに、以前と同じように接することが出来なくなっていた。
 それは、シルク・トトゥ神の転身人として、竜巻を起こすほどの力をもつようになった弟を特別な存在として見つめはじめた自分の気持ちの変化が原因だと思っていた。
 そんなわがままにも似た感情を持て余すたびに、クロトはこの石を取り出して見つめた。 すると不思議に心のささくれだった部分が消えて、静かで心地よい空気がクロトを包み、落ち着いた心を取り戻すことができたのだ。
「エディ……」
 クロトは泉の前に立ち尽くしたまま、助けを求めるように、三年前に別れた少女の名をつぶやいていた。

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