第七章〈 王 女 の 行 方〉
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結婚式を終えたシーラは、その後ラシル王とともにリンセンテートス城へ赴き、謁見の間で次から次に現れる近隣諸国の賓客や大使や公使、廷臣の貴族たちから一人一人祝辞を受けたあと、式典用広間で晩餐会の席に着いていた。
本来であれば、シーラは側妃として緊張の中にいるはずだった。だが、頭の中に霧がかかったようにぼうっとした気分は依然続いており、自分を中心に進行しているはずの式次第のすべてがどこか遠くで行われているように思えていた。
そんな中、ある人物と言葉をかわし、視線がふとあった時だけ、シーラの心の霧が晴れ、現実の自分を強く感じるのだった。
けれど、晩餐会はシーラのなかで起きている変化に関係なく進行し、気がつくといつまでも終わらないように感じられた晩餐会はお開きとなり、賓客たちはすべていとまを告げて消えていた。
シーラはこれから自分が側妃として過ごすこととなるだろう、城の一画にあるホールデイン宮に馬車で案内され、寝室への扉にいざなわれた。
侍女たちがシーラの夜の支度をして去っていく扉の閉じる音を耳にしたとき、はじめてシーラはわれに返った。
一人きりになった寝室のなかで、戸惑ったように辺りを見ると、豪華な天蓋付きの寝台が目に飛び込んで来る。
(わたし……)
シーラは、晩餐会でミレーゼやメイヴと会話をしたのはぼんやりと覚えているが、二人やアインが、いつの間にいなくなったのか思い出せなかった。
だが、意識が鮮明になってくると同時に、シーラはなにか様子が変であることに気づきはじめた。
本来であれば、新郎新婦が揃うまで、両国の王族の代表が付き添い人として寝室までついてくるのがしきたりであるはずなのだ。
だが、寝室にはだれも残っていない。
寝室のもう一つある扉を開いて現れるはずのラシル王も、どれほど時間がたっても来る気配すらなかった。
シーラは立ち尽くしたまま、ことの異常さにどうすればいいのか戸惑っていた。
見知らぬ国で花嫁でありながら一人寝室に取り残された不安は、次第に、朝起こった暴徒たちを思い出させ、シーラは全身に鳥肌が立つのを覚えた。
殺されそうになったのだという実感が、今はじめてシーラの中にまざまざと蘇ってくる。
(あの時自分を守ってくれた兵士たちは……? 一緒に乗っていた執事は…?)
シーラは自分がそのことに無関心のまま、式に望んでいたのだということを知り、愕然とした。
けれど、その一方で死の直前から自分たちを救い出してくれたノストールの人々の顔が浮かんでいた。
――もう、大丈夫ですよ。
なぜかシーラは今ここであの言葉を、自分を助けてくれたテセウスのあたたかい声をもう一度聞きたいと思った。
式の最中も、謁見のときも、晩餐会のときでさえ、シーラの視線はテセウスをさがしていた。
もう二度と会うことはないだろうということも、わかっていた。
だがシーラは、テセウスの腕の中に守られて、大聖堂へ着くまでの馬に乗っていた時間が、とても心地のよい大切な時間だったように感じられてしかたがなかった。
気がつくと、シーラの頬を涙が伝っていた。
(この気持ちは……なに……?)
シーラの手が口元を押さえたとき、王が現れる予定の通路側の扉がゆっくりと開く音がして、シーラは涙をいそいで拭うと、扉の方向に振り向いた。
「!」
シーラは自分の目を疑った。
寝室に一歩足を踏み入れたのは、ラシル王ではない、見知らぬ男だった。
シーラは夜着と羽織ったローブの胸元を両手で押さえると、もう一方の反対側の扉の方へと後ずさった。
「あなたは、この国の側妃にはならずに済むのですよ」
男は断言するようにそう言うと、穏やかな笑みを浮かべた。
「あなたにはこれから一週間後に、ある場所へ身を隠し。そしてある期間をおいた後、わたしと結婚するのです」
シーラは男の言葉の意味がわからなかった。
自分はたったいま、リンセンテートスの王と結婚式をあげたばかりなのだ。
しかし、男はシーラの様子にかまわずに、次の言葉を告げていた。
「すなわち、このナイアデスの皇帝フェリエスの后となるのです」と。
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