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第七章〈 王 女 の 行 方〉

 その夜、フェリエスが城の中の居館へ戻ると、母のロマーヌ皇太后が一通の手紙を携えて訪れた。
 ロマーヌ皇太后は、亡きオリシエ皇帝との間に五人の子をもうけながらも、美貌はおとろえることなく、宮廷でもその知的な美しさは常に話題の的となった。しかも、皇太后はオリシエ皇帝存命中から、有能な助言者として施政に情熱をかたむけ続け、ナイアデスのためにであれば、私心を捨てでも尽くして来た女性であった。
 そして、それは皇帝が亡くなり、フェリエスが皇帝の座についても変わることなく続いている。
 誕生した時から、皇位につくことを当然のように望まれ、その教育に心血を注がれ、国に尽くす両親を見て育ったフェリエスにしてみれば、母の貢献は当前のことあり、けっして異を唱えるような事柄ではなかった。
 オリシエ皇帝の突然の不慮の死ら衝撃を受けながらも、混乱することもなく皇王位継承が行われ、内政に支障が起きなかったのは、ロマーヌ皇太后の影の手腕によるところが大であったのだ。
 そのロマーヌ皇太后がフェリエスの居館へおとずれるのは月に二、三度と決まっており、特別なことではなかった。
「セラから手紙が届きましたよ」
 居間にある金糸で刺しゅうをほどこされた豪奢な長椅子にゆったりと腰をおろすと、ロマーヌ皇太后は向かい側に座るフェリエスにその手紙を渡した。
 セラはフェリエスのただ一人の姉で、三年前にリンセンテートス皇太子妃としてクラン皇太子に嫁ぎ、二人の王子をもうけている。 手紙はその姉からだった。
 そこには、ラシル王とシーラ王女の結婚式が正式決定したことと、近々その招待状を送ること。側妃の結婚式としては異例であるが、ノストール王家も招くことなどが、綴られていた。
 フェリエスは手紙に目を通し、満足そうにほほ笑んだ。
「用意が整ったようですね」
「ええ、予期せぬ事態もありましたが、ほぼあなたの計画通りになりそうですよ」
 ロマーヌが笑顔でおうじると、フェリエスの従卒が赤色の果樹酒に満たされたグラスを運んできてテーブルにおき、一礼をして隣室へと姿を消した。
 広い居間にはフェリエスとロマーヌ皇太后の二人だけとなる。
「たとえ側妃の結婚式とは言ってもリンセンテートスからの正式な招待を受けては、ノストールは簡単には断れない。式には、多分テセウス皇太子が足を運ぶでしょう」
 ロマーヌはグラスを口に運びながら、息子の顔を見つめた。
「ええ、ノストールとリンセンテートスは古くから協定を結んでおり、同じユク・アンナの一族を頼りにしている国です。数少ない友好国の一つとして、公式行事の招聘(しょうへい)には互いに王族の出席を欠かしたことがない様子。三年前の姉上の結婚式の際もテセウス皇太子が王の名代で出席しています。ただし、今回の問題は、第四王子が一緒に現れるかという点です」
 フェリエスの疑問にロマーヌは穏やかに、だが自信をもって明言した。
「第四王子がシルク・トトゥ神の転身人と名乗りをあげたのなら、当然出席するでしょう。自らの存在を他の国々に知らしめるのに絶好の機会です。ノストールがこれから覇道を歩むにしろ、しないにせよ……、その王子にとリンセンテートスやハリア、招待国の人々を直接自分の目で確かめる機会ですからね。逃すはずがありません」
 母の言葉に、フェリエスはゆっくりとうなずきながら、自らの左手の中指に輝く指輪を見下ろした。
 帝位継承の証しである黄金の指輪〈ラーヴ〉。五年前に父王と守護妖精のミュラを失ったときに、フェリエスが受け継いだ指輪だ。
「わたしは一刻も早く父上の仇を探し出したい。そのためにも、そして国々の安定を守るためにもシルク・トトゥ神の転身人をわが手にいれてみせます」
「フェリエス」
 ロマーヌ皇太后は、凜とした口調で息子の名を呼んだ。
「父上の仇をうつ相手を探すことは大切なことです。しかし、そのことのみに心奪われて、民を忘れては国はなりたちません。あなたが四年前に亡き陛下の弔いとして、リンセンテートスの都をハリア軍から奪い返したことは、みな高く評価しています。ですから、国の中へももっと目を向けてくれねば……」
「内政のことはもうしばらく母上にお手伝い願います」
 フェリエスは、硬い表情で果樹酒を一気に飲み干した。
「母上のおっしゃることも、重々承知しております。けれど、あとしばらく。シルク・トトゥ神の転身人を手に入れるまで、わたしにもうしばらく時間をください。〈戦いと勇気を司りし神〉シルク・トトゥ神の転身人をダーナンが諦めるとは思えません。ハリア国もしかり。ならば、必ずや我が国に迎いれなくては、諸国の平和が乱されます」
 黄金の双眸が、じっと皇太后をみつめる。
「わかりました」
 ロマーヌ皇太后は、小さなため息を唇からこぼすと、にこりとほほ笑んだ。
「とはいえ、あなた自身の婚儀も決まったのですから、自身の身辺にも充分に気をお配りなさい。あなたときたら、皇妃よりもシルク・トトゥ神を迎えることばかりに関心を向けているせいで、ユクタス将軍やケイヴたちはやきもきしてるのですよ」
「母上」
 フェリエスは困ったように、手の中のグラスをもてあそんでいた。
「皇妃選びにわたし自身が時間を割いている時間がなかったのはご存じではありませんか。それにキリカもこの数年は皇妃をめとらぬが善策といっておりました。とにかく、相手と日取りがほぼ決まっただけでも、ご安心ください」
「そうね。これで、オルローも喜ぶでしょうし」
 母が意味ありげに笑うと、フェリエスはますます困ったように天井を見上げた。
「あいつの頭は固すぎるんです。なにも、わたしが皇妃をめとらないからといって、自分もそれまでは結婚しないと決めなくてもいいんだ。けれど、いくら言っても頑として聞き入れない」
 ロマーヌ皇太后は王位に座する息子に、愛情あふれたまなざしを注ぐと、グラスを目線まで軽く持ち上げて、残りの一口を静かに飲み干した。 

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