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第七章〈 王 女 の 行 方〉

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 ナイアデス皇国のフェリエス皇帝のもとに、ノストールがシルク・トトゥ神の転身人を得たこと。そして、ハリア国での内政異変と新王の即位がおこなわれたことが知らされた。
 突然飛び込んで来た二つの国の異変にフェリエスはただならぬものを感じながらも、側近たちを〈円卓の間〉へ呼び寄せた。
「……以上のことから、ダーナン軍は、シルク・トトゥ神の転身人の力が起こしたと思われる巨大な竜巻の群れに大打撃を受け、撤退した模様です」
 探索部隊長のロロノアが、最初にノストールの情勢について説明するのを聞きながら、フェリエスは楕円状の円卓に座る人々の表情を、その黄金色に輝く瞳で静かに見つめていた。
 通称〈皇帝会議〉と呼ばれるこの会議では、皇帝とその側近、そして皇議院の議長など数人が集い、国内外情勢に関するあらゆる事柄に関する審議や検討が行われる。ここで報告、検討、決定された事柄が、皇議院に下り、議長を中心に諸長老たちによって承認を受け、諸公たちに告知されるのだ。
 フェリエスの左側には、ユクタス将軍長、オルロー将軍、クラン将軍、ケイヴ長老が、右側には、魔道士キリカ、イズナ将軍、ウイルシップ皇議院議長、そしてロロノアが円を描くように座っていた。
「竜巻を起こす力か……それがシルク・トトゥ神の転身人の持つ力ならば、怖ろしいことだな」
 フェリエスの隣に座っているユクタス将軍が、腕を組みながら低くうなる。
「転身人の出現がわが国で〈先読み〉されていたものとはいえ、どのような人物、そしてどのような力をもっているのか、誰ひとりとして知るものがいなかったのですからな……」
 小太りで頭のはげ上がったケイヴ長老が、釈然としない表情でため息を吐き出した。
「それで、シルク・トトゥ神の転身人はどのような人物なんだ?」
 オルローが、自分の親とかわらぬ年齢のロロノアに、穏やかだが感情のない口調で質問を投げかける。
「それが……」
 ロロノアは答えにくそうに、言葉を詰まらせた。
 その様子に、一瞬その場の空気がざわめく。
 ロロノアは、人が良さそうで穏やかな顔立ちをしている外見には似合わず、探索にかけては鋭い能力を発揮し、発言も要所を押さえた端的な物言いをする冷静な人物である。諜報探索という役目柄、自分や部下に対しても冷静沈着でかつ迅速な行動とより克明な情報収集能力を要求し、その統制の厳しさはオルローと並び評されるほどのものであった。
 ナイアデス建国以来、王の探索部隊は『デイガー〈闇の瞳〉』として恐れられ、畏怖され続けてきていた。理由はその探索能力の高さだけではない。デイガーにはロロノアを隊長とする部隊と、別にもうひとつおおやけに知らされていない影の部隊が存在していると人々の間で信じ続けられていたからだ。
 いずれにしろ、国外はもとより国内の人間にさえ恐れられている探索部隊デイガーたちは、文字通りフェリエスもう一つの目となっているのであった。
 その探索部隊デイガーの隊長であるロロノアがいいよどむということ自体が、珍しいことだったのだ。
「ロロノア」
 フェリエスは、答えに窮する部下におだやかな笑顔をなげかけた。
「心配せずに報告しろ」
 そして、円卓の廷臣や部下たちに視線を投げかける。
「まず、頭に入れておかねばならないのは、今回のノストールでの事態は、シルク・トトゥ神の転身人の大いなる力が関与しているということだ。キリカをはじめ我が国の魔道士たちの力をもっても、わからぬことが多すぎる。その点、ノストールへ足を運び、実際に起きた出来事を見聞きして来たロロノアの部下の報告は貴重だ。わたしもすでに聞いているが、今回はその真偽もふくめ、探索不足とは思わないでほしい。彼の報告だけが、われわれが知ることのできる唯一の手がかりだ。たとえ、それが裏打ちのされていない、ささやかな噂、風聞であってもだ。正確さを第一とする信条はわかるが、今回はあえて見聞きしたことをそのまま、気にせず報告しろと言ってある。皆もそれを承知していてくれ」
「はっ」
 フェリエスの言葉に、全員が姿勢を正した。
 それを見たロロノアは厳しい顔で、円卓の前の人々の顔を一人ひとり見つめた後、意を決したように口を開いた。
「ノストールに現れしシルク・トトゥ神の転身人はラウ王家の第四王子、五歳のルナ王子であるとのことです」
「ほう……」
 その場がざわめいた。
「ですが、これには奇妙な事柄がいくつかございます」
 報告する細面のロロノアの眉間にしわが刻まれる。
「ラウ王家がこれまで公として来たノストールの第四王子の名はルナ・デ・ラウであります。しかし今、ノストールでは、アウシュダール・デ・ラウと呼ばれはじめている様子。この変更に関し、ラウ王家では、転身人としての新たなる〈祝福〉を受けての命名であるとふれているようです。」
 ロロノアは一度小さく息を吐き出したあと、言葉を続けた。
「ご存じのとおりラウ王家は、ニュウズ海とエーツ山脈という自然の城壁をもち、小国ながら独立した歴史を歩んで来ております。そのため、他国との行き来も限られた国とのものだけという状況です。しかも、ノストール王国へ訪問してカルザキア王やテセウス皇太子、アルクメーネ王子と対面したことのあるという人間は比較的多いのですが、幼いクロト王子や、特に末のルナ王子のことに関する情報は極めて少ないというのが現状であります。これには、ラマイネ王妃が五年前より病いとなり、公式行事への出席を控えていることも密接に関係しているようにも思われます。」
 円卓に座る人々は初めて聞くその話に息をこらし、耳をすましていた。
「ルナ王子誕生後、リンセンテートスのラシル王がノストールへ訪問していますが、ルナ王子に乳母をつけずに育てていたラマイネ王妃が体調をくずしていたため、結局会うことができなかったと言われております。そのほかの情報としては、生まれたときの大病がもとで髪の色が銀色に変わったという噂があり、ノストールの民たちはアル神の加護を受けた王子として、誇りにしているとのこと」
 ロロノアは一度、ここで言葉を区切り、円卓の人々の顔を再び見つめた。
 それは、自分の言葉が、それぞれの中にどのように受け止められているのかを確認するもののようにもみえる。
 ロロノアは再び息を吐き出すと、言葉を続けた。
「しかし、アンナたち、ユク・アンナの一族は、この王子をシルク・トトゥ神の転身人であると公言してはおりません。誕生の際の〈祝福〉、王妃の病気平癒の祈願、そしてこの度わがナイアデスとダーナンの魔道士がシルク・トトゥ神転身の〈先読み〉を告げたことに対してノストール来訪。ルナ王子誕生後、五年の間にアンナの一族は三度ノストールを訪れておりますが、第四王子がシルク・トトゥ神の転身人と気づかなかった……いえ、アンナたちには〈先読み〉がおりなかったことになります。しかも、このたび王子自らシルク・トトゥ神の転身人であると名乗りを上げたのは、ダーナンの進攻を目前にアンナの一族が出国したあと。なぜアンナたちが、第四王子が転身人だと気づかなかったのか。そして、アンナの一族の去りし後、いったい何者から転身の〈祝福〉を受けたのか、アウシュダールという名への改名はなにを意味するものなのか、いくつもの疑問が残るのです」
 ロロノアが大きく深呼吸をし口を真一文字に結ぶ。
 報告がひと段落したときの癖だった。
 イズナが軽く手を挙げると、ロロノアがうなづき発言を認める。
「つまり、アンナはシルク・トトゥ神の転身人がノストールに降りることすら気づかなかった。しかも、その王子はアンナでない者から〈祝福〉を受けている…ということか? わけがわかんねーな」 
「ラウ王家ではアンナの〈祝福〉を受けての命名であると国中にふれているようです。が、宮廷占術士や魔道士を自国に抱えるのは、わがナイアデスとダーナン、そしてハリアのような大国と、あとは数えるほどの国にしかおりません。ノストールのような小国は、アンナの一族を頼るのが常。その占術士なくして、〈祝福〉を受けたというのは、いささか不自然かと」
 フェリエスは椅子の肘かけに腕を乗せ、ゆったりと両手を胸の前で指を組ながら、金色の瞳を興味深そうに輝かせながら、言った。
「だが、わざわざ偽る必要もないだろう」
 一同の視線が、フェリエスに注がれる。
「考えてもみろ。シルク・トトゥ神の転身人を名乗ったノストールの王子は、その力をもって竜巻を起こし、ダーナン艦隊を撃退して国を守った。仮に王族以外の民の誰かがシルク・トトゥ神の転身人であったとしても、わざわざ偽る必要はない。転身人が王子であるという〈先読み〉が降りていたわけでもないのだからな」
「なるほど、妙な話ですな」
 ウィルシップも顎にたくわえた豊かな口ひげを手でなでつけながら、うなずいた。
「でも、どっちにしろそのシルク・トトゥ神の転身人を、早いところ味方に引き入れたほうがいいんだろ。敵には回したくない相手だからな」
 イズナの言葉に、人々は虚を突かれたように言葉を失った。
「確かに……。シルク・トトゥ神が覚醒する前にノストールとの交渉が済み、わがナイアデスに迎えることができておりさえすれば、面倒はなかったが……」
 ユクタス将軍がフェリエスを見つめながら首を横に振る。
「シルク・トトゥ神を得たノストールが、今後どのような動きをして行くのか目を離すことはできない。王子がまだ幼いとはいえ、その力は図りしれない。これまでの疑問も含めて、慎重により詳しい探索を続けさせよう」
 フェリエスは、ノストールの話を一度まとめると、ロロノアに次の報告へ移るように指示しかけて、思い出したようにクラン将軍の名を呼んだ。
「クラン。漁船に扮してノストールのイスト港に入らせていたロロノアの部下が、竜巻に遭遇して大破し沈没したダーナン軍の船員ら数名を拿捕(だほ)したそうだ。順調にいけば、ひと月後には帰って来る。その後の処置は、卿に任せるので頼むぞ」
「ダーナンの……。これはまた思いがけぬ土産が手に入りましたな。お任せください」
 フェリエスは、この線が太い精悍さを漂わせる将軍の豪快な笑い声を耳にしてほほ笑むと、ハリア情勢の報告へ議題を移すよううながした。

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