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第七章〈 王 女 の 行 方〉

 ひと月後、ナイアデスの船着き場に一漕の漁船が錨をおろした。
 ナイアデスには幾百もの商船が停泊する大きな港があるが、その漁船が帆をおろしたのは、それとは別の小さな港だった。
「あれか」
 漁船が港内に入港する前から、船の到着を待っていたクラン将軍が、かたわらのロロノアに問いかけるように言葉を発した。
 だが返事をしたのは、漁船が船着き場に着岸する様子を二人の後ろで見守っているクラン将軍の部下たちの中からだった。
「よく竜巻に巻き込まれずにすんだなぁ……」
 クラン将軍が肩越しに向けた視線の先には、腕を組みながら感心そうに声をあげているイズナの姿があった。
 黒髪の長髪を後ろで束ね、額にはトレードマークのバンダナをした長身の若者は長い前髪をいつものようにかきあげながら漁船を見つめる。
 イズナは、今回の探索で拿捕することができたダーナン兵を、誰よりも先に見たいからとクランに頼んで同行したのだ。
 二人よりもはるかに若く優秀な将軍は、やってくるそうそうクラン将軍の部下たちの列の中に混ざり込むと雑談をしはじめたのだ。
 軍服の肩に記されている記章を見なければ、将軍とは気がつかないほど溶け込んでしまってる様子に、クラン将軍は内心苦笑しながら漁船に視線を戻した。
 長い航海に耐えて来た漁船は、探索用とはいえ外見は普通の漁船となんら変わることはない。
 ナイアデスもそうだが、ノストールも沿海交易を行っており、許可した国の漁船や商船などが港に寄港することを許している。
 特にノストールとニュウズ海洋の海賊が協定を結んでいた時代は、海賊に襲われかけた商船や漁船はノストールのイスト港に逃げ込むことさえできれば、王家から水先案内人の権利を買った漁師たちを雇って、安全な海域まで案内してもらうことができたのだ。
 現在ではその協定も有名無実のものとなり、海賊たちはノストールの旗を立てた船であろうとなかろうと、襲いかかり金品財宝を奪い、殺戮を行い、暴れ続けた。そのため、イスト港には避難のために港内に逃げ込んで来る船は絶えることはなかったが、逃げて来たとしても助かる保証はどこにもなかったのである。
 ロロノアの探索部隊も、海賊に追われた漁船を装ってイスト港に停留するという作戦をとったのだが、他の漁船や商人たちに疑われることのないよう、魚を積み込み、数人の漁師を同行させたのだ。
 イズナの目には、いま接岸した船から陸に降り立ち自分達に向って一礼をしたあと、ロロノアらのもとへ駆けてこようとしている男がデイガーだとはとても思えなかった。
 褐色の肌をもつ筋骨隆々とした男は、その風貌だけを見ると漁師以外のなにものでもない。
 吹きさらされた焦げ茶色の髪と不精髭をたくわえ、笑みをたたえた上半身裸の男はクラン将軍とロロノアの前までで歩み寄り、で立ち止まると敬礼をした。
「おひさしぶりです。レルグ小隊全員、無事帰還致しました。隊長!」
 すっかり体に潮のにおいを染み込ませたレルグがロロノアとクラン、そしてイズナを見て敬礼をすると、笑みをたたえて報告をした。
「大漁であります」
(やれやれ、報告まで漁師言葉か……)
 イズナは内心呆れていたが、ロロノアはレルグの笑みと言葉になにを感じ取ったのか、挨拶もそこそこにノストール沿岸で拿捕したというダーナン兵たちを船から降ろすようにと命じた。
 最初に到着したロロノア部隊の早駆けは、シルク・トトゥ神の転身人に関する報告をナイアデスにもららした。それが、〈皇帝会議〉でのロロノアの一連の報告である。
 次の伝達では、必要最低限の情報が暗号で伝えられたにすぎず、拿捕したダーナン兵に関する詳細な事柄に関しては何ひとつ伝えられていなかった。
「意味深だな」
 クラン将軍があごひげをなでつけながらロロノアに視線を送るが、人の良さそうな顔をした探索部隊長はにこにこと楽しそうに笑みをたたえているだけで、その言葉に答える様子はない。
 しばらくすると船の中から腕を後ろ手に縛られ腰に縄をかけられた十数人のダーナン兵たちが、船の中から次々と姿をあらわした。彼らの足どりは一様に重く、顔にはひと月余りの捕虜生活に憔悴しきったのだろう、無感情な表情が張りついている。 
 クラン将軍は、部下に命じると捕虜を受け取りに向かわせた。
「あきらかに兵士じゃないのがいるなぁ……」
 イズナが片目を閉じてクランを見ると、ふだん陽気な将軍は頭をかきながら面倒臭そうにため息をついた。
「年寄り子供は苦手だが、ダーナンの者である以上手加減はせんよ。問題は何が『大漁』なのかだ。まさか、あの中にダーナンでも名の知れた大将がいるわけじゃないだろうな……」
「ふむ」
 クランの言葉にあいづちを打つと、イズナの視線は捕虜たちから離れ、漁船の手入れや修理をはじめるために船の外に連れ出された上半身裸の赤毛の男たちに移った。
「レジーか……」 
 レジーとは、ナイアデスの北端にあるユオホリス大山脈の反対側の奥地に暮らすレジディア人の蔑称である。
 ナイアデスの漁船や商船では、赤い髪や赤い瞳をもつレジディア人が漕ぎ手奴隷として酷使されていた。
 レジディア人たちが、商人たちによって連れて来られ、奴隷として売買の対象になったのはナイアデス建国以前のイルハーフ国時代がはじまりだった。
 それ以降、赤い髪と赤い瞳をもつレジディア人は奴隷としての刻印を焼きつけられ、逃れることもできずに、自分を買い取った主人たちの下で人間以下の扱いを受け続けてきたのだ。
 レジーは、恋愛や結婚することはもちろん、彼ら以外の人々との同じ水飲み場、公園、住居の共有、夜間の外出、商売、教育、集会など人間として与えられるべき権利がことごとく禁じられた。そればかりか、主人のもとを脱走したレジーが殺されたとしても、その犯人が罪に問われることはないに等しい。
 やがてナイアデス皇国が誕生し、人々がイルハーフ国の悪政から解放され自由を謳歌したときでさえ、レジディア人たちの奴隷という立場と激しい差別はなんら変わることはなかった。 
 いまイズナの目に映っているレジーたちも、長く苦しい航海を終え、眠ることのない漕ぎ手作業から解放されたと思ったのもつかの間、休む間も与えられず漁船の清掃や修理に追われているのだった。
 それはイズナにとっても見慣れた光景であり、特別関心を示すほどのことでもない風景だった。
 ナイアデスの貴族のすべてがそうであるように、イズナの生家であるマイリージア家でも多くのレジーたちが奴隷として、主人やその家族のために働いているからだ。
「整列!」
 クランの大声にイズナが正面を向くと、クラン将軍の部下たちが、上官たちの前に連れて来た金髪のダーナン兵たちを、横一列に整列させたところだった。
 ロロノアが笑みを消して彼らを一人一人なめるように見つめ、クランは大声で何ごとかを捕虜らに向かって大声で、命令を下している。
(今度は、金髪レジーの誕生か……)
 ダーナン兵たちの顔をながめながら、イズナは内心つぶやくと、その視線をあきらかに兵士ではないとわかる人物のところで止めた。
(これは……ひょっとすると、ひょっとするなぁ)
――大漁です。
 その言葉の意味を考えながら、イズナは思わず口笛を吹いていた。

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