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第五章 《 転 身 人 》


                (イラスト・ゆきの)

 アルティナ城に戻って来た、カルザキア王、テセウス、アルクメーネ、シグニ将軍らは、カルザキア王の執務室にグシュター公爵を呼び寄せていた。
 一人で現れたグシュター公爵は、挨拶をするとゆっくりとした動作で椅子に腰をおろした。
 そして、王が問いかけるまで自らは一言も発しようとはしなかった。
 だが、ものいわなくとも、その瞳は勝利によったように異様な輝きを帯びている。
「シルク・トトゥ神の転身人を見つけ出したとは本当のことか?」
「はい陛下」
 カルザキア王に問われて、はじめてグシュターはもったいつけるように、ゆっくり一言一言をくぎるように答えた。
「アル神のお導きにより、この危機迫るノストールにシルク・トトゥ神が転身人としてご出現あそばされました」
「その子供は連れて来ているのだろうな」
 カルザキア王は表情を表さないと臣下たちの間で囁かれるその眼差しで、グシュター公爵をじっと見つめた。
「はい。別室にてお待ちいただいております。謁見の間へお通し致しますか?」
「いや、この部屋でいい。だが会う前に…」
 王は、低く響く声で疑問を投げかけた。
「なぜその子を、転身人と思ったのか。また知ったのか、その理由を聞こう」
 グシュターはその言葉を待っていたといわんばかりに、口元の両端を引き上げ笑みをつくった。
「もちろんでございます。陛下」
 良い意味でも、悪い意味でも自分の心に正直な男だ、とカルザキア王は思う。
 グシュター家は、父の先々王の代から王の側近として付き従うようになり、現当主のロイド・グシュターも先王の時代、当然のようにその諸侯の列に並んだ。
 カルザキア王は、亡き父の年齢に近い、口うるさく傍若無人なこの老人を好ましく思ったことはないが、側近の座からはずそうと考えたことはなかった。
 人間を観察する能力が国の中で、誰よりも優れていたからだ。
 どの地方にどのような人物があり、領民に慕われているか、不正を行なってはいないか、文武のいずれに秀でているか、どの一族とつながりがあるか、など正確に情報を把握していた。
 人物登用の際には、グシュターの言葉が最後の王の決定に比重を持ったことは間違いないのだ。
 グシュター公爵は、うやうやしく告げる。
「まず、夢にてアル神よりお告げをいただきました」
 その言葉に、テセウス、アルクメーネ、シグニ将軍は思わず目を合わせた。
「わたしが夢の中で、夜の月を眺めておりますと、銀色の光に包まれたアル神が突然目の前に現れたのです。そして、アル神はこう仰せられました。
『ノストールの平穏な日々が間もなく終わる。
 ハリア、ダーナン、ナイアデスの大国をも巻き込んだすべての国を巻き込む戦さが、始まりの時を告げた。
 われが加護せしノストールを守るため、五年前に、ノストールの大地に生ませしわが子を見つけよ。
 わが子の名は、シルク・トトゥ。
 勝利のために生まれし生命。
 シャンバリアの虐殺からわれが守りし、愛し子。
 かの生命の証しを、見つけよ。
 われが刻みし三日月の証し。
 愛しきわが子、シルク・トトゥを』と……」
 その場の空気が緊張に包まれた。
 グシュターは続ける。
「その夢の後に、あのシャンバリアの村での大虐殺……。あの知らせを聞いたとき、わたしにはわかったのです。あの夢がただの夢ではなかったことを……。そして、その大虐殺から逃れた少年とこの城で会い、確信したのです」
「すると……」 
 王が発した言葉が、誰を指しているのかは、その場にいた誰もが知っていた。
「あの子どもが、そうだというのか?」
 カルザキア王は、シャンバリア村でわずかの時間ではあったがそばにおいていた村の少年の顔を思い出す。
「そうでございます。陛下」
 グシュターは、カルザキア王の瞳を真っすぐに見て答えた。
「シルク・トトゥ神の転身人でございます」
 テセウスとアルクメーネは互いの顔を見た。
 アルクメーネの脳裏には、村で出会った暗い瞳をした少年の面影がよぎる。そして、そのとき感じたいいようのない不安感も……。
 だが、とアルクメーネはふと疑問にかられた。
 なぜ、今回のアル神のお告げの夢が、アンナの一族にではなく、グシュター公爵の夢に現れたのだろうか。
 なぜ、アンナの一族を帰した後になって、グシュターはそのことを言い出したのだろうか、と。
――シルク・トトゥ神人は、破壊神でございます。
 テセウスの頭の中では、アンナの一族の長、サーザキアの言葉が、渦を巻いてこだましていた。
 カルザキア王が一体その少年を―シルク・トトゥ神の転身人を―どうするつもりなのか、王の顔色を見ていても予測がつかない。
 それは、シグニ将軍も同じだったらしく、カルザキア王をじっと見たまま顔をこわばらせている。
「まず、会おう」
 カルザキア王は、長い沈黙を破って、グシュター公爵に告げた。
 グシュターは、立ち上がるとうやうやしく腰を折り一礼すると、部屋を出ていった。
「アルクメーネ」
 グシュターの姿がなくなるのを確認して、テセウスはラマイネ王妃とルナが見つかったのかを王に聞こえないようにたずねた。
「それが……」
 アルクメーネは顔を曇らせて、首を横に振った。
「二人の姿を見かけたという者はまだ誰も……。きっとどこかに出かけていているのでしょう。夕食までには、帰ってきますよ。ただ、このようなことは、今までありませんでしたからね。ネフタンもリューザもいるのですし心配はないのですが、引き続きクロトを中心に、極秘に探させています」
「そうか……」
 ルナはともかく、ラマイネ王妃はここ数年特別な事情がなければ、病気静養中であるとして城の外に出ることがなかった。それだけに、ふたりの心には、時が経つにつれて焦燥感が募っていく。
 ふたりが話をしている間、カルザキア王は両腕を組み、じっと目を閉じたままでいた。
 シグニ将軍もまた、窓の外をみつめたまま、一言も発しようとはしない。
 待つ間の時間は、実際の時間よりもはるかに長く感じられるものだった。
 そして、扉は開いた。
 グシュターに招かれるように、栗色の髪をした少年が入室して来た。
 その瞬間、なにか言いようのない力が部屋中に満ちるのを、その場の全員が感じた。
(以前に、この少年に会ったときは、こんな力は感じなかった……)
 アルクメーネは、見えない力の圧迫感に耐えようとするように少年を見つめてた。
 少年は、顔をあげ、カルザキア王をじっと見ていた。
 その顔には、村で見たときの暗い表情はどこにも見当たらなかった。
 口元はほほ笑んでいる。
 だが、茶色の瞳は笑っていない。
「名前は何と申すのだ?」
 シグニ将軍がそう問うと、少年は無表情だった瞳に徐々に笑みを満たしながら、服のボタンを外していく。
 そして、その胸に浮き出している三日月のアザを見せた。
 小さな唇が開く。
「アウシュダールです。父上」
 はっ、と誰もが息を呑んだそのときに、空気が異様な力に染め上げられていくのを、テセウスとアルクメーネは感じた。
 アルクメーネの脳裏に、危険を知らせるなにかが呼びかける。
 だが。
 アウシュダールの瞳が、ふたりにゆっくりと向けられると、ふたりの目はその三日月アザに注がれていく。
「アウシュダールです。兄上」
「アウシュダール……」
 アルクメーネは、自分の中からなにか、大切な存在が薄らいでいくのを感じていた。
「なんだ……」
 うつろなテセウスの声が横で響いていた。
「城のどこにもいないから、心配したじゃないか。母上も一緒だったのかい? アウシュダール」
「はい」
 アウシュダールはにこやかにほほ笑んだ。
「母上は寝所にてお休みになられました。心配かけてごめんなさい」
「良かった」
 アルクメーネは自分の口から放たれた言葉に驚き、そして何かを喪失した。
「アウシュダールがここにいることを早くクロトに知らせないと」
「アルクメーネ兄上にもご心配をおかけしました」
 アウシュダールの茶色の瞳と、三日月のアザから目をそらすことが出来ない。
 強烈に惹き付けられ、脳裏に焼きつくようにとらわれ、視線を離すことが出来なかった。
「シグニ将軍も」
 シルク・トトゥ神の転身人として目の前に存在する少年に名を呼ばれて、ぼう然としていたシグニ将軍が、我に返ったように「そうですな。そうですな」と感激した面持ちをたたえてアウシュダールを見つめる。
「まさか、わがラウ王家の第四子アウシュダール殿下が、ご幼少よりおそばにいらっしゃられた殿下が、シルク・トトゥ神の転身人だとは思いませんでした」
「さようで」
 グシュターは口元に、妖しい笑みをたたえながら、カルザキア王に語りかけた。
「これで、ダーナンは敗れたも同じでございますな。わがノストールはアル神の息子を手にしたのですから」
「うむ」
 カルザキア王はアウシュダールの肩に手を乗せて、うなづいた。
「ダーナンには、開戦をつげる」
「父上」
 アウシュダールは王を見上げてほほ笑んだ。
「何もしなくても、ダーナンは滅びますよ。わたしたちはただ見物をしているだけで大丈夫です」
「そうか…」
「はい」
 ふたりのやりとりに、テセウスとアルクメーネは、何か不自然なものをどこかで感じながらも、ただすべてはこれで良くなると、思い込みはじめていた。  
 

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