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第二章《 予 言 》

 ノストール国が第四王子を失いルナを迎いれた五年前、ダーナン帝国では血族による激しい権力闘争と内乱が勃発する。

 病床についていたボルヘス帝王が後継者を第二王子のエルローネに推挙したことから、第一王子のシーグルトとの間に確執ができたのだ。
「ロディよ。シーグルトはいまだにわしに会いにさえも来ない…」
 病床の王は見舞いにきた三番目の息子ロディが枕元の椅子にすわると、その手をとった。
「父上。シーグルト兄上は、父上のお気持ちがおわかりにならないのです。父上がなぜエルローネ兄上を推してみせたのか。そのわけを直接聞きにこようともなさらない。それを父上がどんなにかお嘆きになっているかも、わかってはくださらない」
 十歳の誕生式を迎えたばかりの金色の髪をした少年は、その幼くも美しい顔を悲痛に歪ませて父の手を両手でそっとつつみこんだ。
「エルローネ兄上も、なんだか今までの兄上とは別人のように人柄が変わられてしまいました。いつもシーグルト兄上をたてて、みんなを和ませていた兄上はどこへいってしまわれたのか……」
 涼やかな高音の美しい声が歌のように優しく、だが憂いをもって響く。
「父上、早くお元気になってください。私も、母上も、フューリーまでも、毎日どちらの派閥につくのかと両方の兄上から詰め寄られています。どうか父上、早くお元気になってください」
 少年の深い碧色の瞳から、薔薇色の頬に真珠のような涙がこぼれ落ちた。
「ロディ。男の子は泣いてはいかん」
 王は、第三王子の金色の柔らかな髪をすきながら、寂しげにほほ笑んだ。
「あのふたりにおまえのように温かな心が少しでもあれば、今回のようなつまらぬ誤解と疑心暗鬼で仲たがいすることもなかったのだが……。どうやら、このままふたりのどちらにも王位を継がせることは……しばらく慎重に考える必要がでてきたようだ」
 ロディは父の言葉を困ったような表情で静かに聞いていた。
「シーグルトは勤勉でまじめだが、二十三歳になるというのに妃をめとろうともせんし、なにか噂を耳にしても直接本人に会って確認し、それが間違いであれば正すという勇気も判断力もない。エルローネは行動力があるのはいいことだが、臣下のおだてに乗りやすい。自重することもせんとすぐに発作的に暴走する。本来なら、互いの欠点を補佐をしつつ国を豊かにしていくことこそがふたりの役割なのだ。わしはそれを自覚させるために、その機会を与えてやったのだが、まさかこんなことになろうとは……。ロディ、お前が、あと十年、いや五年はやく生まれておれば……」
 その言葉に少年は驚いたように目を大きく見開いた。
「なにをおっしゃるのですか、父上。わたしはこんなことになっても兄上たちのことを尊敬しております。わたしは兄上たちが父上の与えられた試練を乗り越えて、必ずや仲良くなられると信じております」
 ロディは、ボルヘス王を碧い瞳でじっと見つめた。
「ですから父上、そのためにも一刻も早く病魔を退治しご回復ください。私も祈っております」
「うむ……」
 王はうなずくと、ロディの手をそっと離してほほ笑んだ。
「おまえの成長した姿がはやく見たいものだな。いまはおまえの顔を毎日見られることが、一番の薬になる。すまんな」
「いいえ、父上には、申し訳ありませんが、ご健康でご政務にお忙しくてなかなかお話しも出来なかったときの父上より、こうして毎日会ってお話しできることの方が嬉しいです」
 少年が、少しはにかみながらそう言って部屋を辞する姿を見送ると、王は涙ぐみながらうなずいた。

※※※

「王のお加減は…」
 少年が部屋に入ると、黒装束の男が壁の中から音もなくあらわれた。
 顔はマントにかくれて見ることができないが、魔道士であることは明らかだった。
「順調だよ」
 魔道士の出現がきっかけとなったのか、少年は感情のないどこか放心したうつろな瞳で、なにをするとはなく部屋の中央にたたずんだ。
「もうすぐだね」
 少年は、少女のような夢見心地のほほ笑みを浮かべた。
「御意」
「もうすぐ、この世界がひとつになるんだね」
 少女のようにみえる美しい顔は、徐々に恍惚としたものに変化していく。
「天の者にも、人にも、地の者にも、すべの者に〈ユナセプラ〉が訪れる。僕に与えられた最初で最後の恍惚の時間。甘美の時。きっとすべての人々はその時を待っている。ね、そうだろう?」
 見えない時間を見ているように、また天啓を受けているように少年は両手ゆっくりと広げ優美なほほ笑みをうかべた。
「イルアド、お前には見えるかい? これから世界がどうなっていくか。僕には、ほら、こうしてちゃんと見えている。こんなにも美しい世界がこの地上に満ちあふれるんだよ。なのにまだ、だれも気づいていないんだ。だからこそ、今すこし急ごうか。まだ誰もが目覚めていない今のうちに」
「御意」
 イルアドと呼ばれた男はひざまづくと少年のために、この世界にはあるはずのない別の次元の部屋へ続く扉をゆっくりとあけて、いざなった。  

※※※

「兄上様! ロディ兄上様! 大変です!」
 二つ下の妹フューリーが顔色を変えて、ロディの部屋に飛び込んで来た。
「どうしたんだい?」
 長椅子の上で歴史書を読んでいた少年は、驚いたように飛び込んで来た妹を見つめた。
 人形のようにあどけない顔をした妹は、ひどく急いで走って来たのか母ゆずりの自慢の長い栗色の髪を乱し、息を切らして部屋に飛び込んできた。
「シーグルト兄上様とエルローネ兄上様が、お父様を……、お父様を……」
 少女は、次の言葉を告げようとして声を詰まらせた。
 紅葉のような両手が口もとを押さえつけると、大きな空色の瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちてきた。
「フューリー?! 父上に何があったんだ」
 ただならぬ様子にロディは本をとじて長椅子から立ち上がり、妹のそばに駆け寄るとその小さな肩に手を置いた。
 フューリーは大粒の涙をこぼしながら、一番年の近い兄の胸に顔をうずめる。
 震える唇を必死に押さえながら、幼い少女は自分の役目を果たそうと泣き声をこらえながら、一言一言絞り出すように告げた。
「さっきお母様と一緒に、お父様のお見舞いに伺ったの……。そうしたら、いきなり兄上様たちがこわいお顔をしてお部屋に入って来て、お父様を…お父様を…」
「フューリー……」
 生まれて初めて、自分の感情を自分の意思で押さえつけ、自分に課せられた役目を果たそうと努めた少女は、その後は言葉もないままに泣きじゃくった。
「セラ!」
 泣きじゃくる妹を抱きしめながら、ロディは隣の部屋にいる従者のセラを呼んだ。
 その声にしたがって、物静かな若い青年が現れた。
「フューリーを頼む。私は父上のところに行ってくる」
「いゃあ! 兄上様!」
 兄がそこへ行くことを拒むような、自分のそばから離れることを拒むような悲痛な叫びが、ロディの体を突き刺した。
 しかし後を追おうとするフューリーをやさしく、しっかりとセラが引き止めているのを確認すると、ロディはボルヘス帝王の寝室へと向かい走り始めた。
 少年が父の寝室が近づくにつれ、臣下たちの様子に明らかに異変が起きていた。
「ロディ殿下! お待ちください。行ってはなりません!」
 ロディの部屋に向かっていたらしい、大臣のグラハイドが行く手を遮るが、ロディはその手を振り切る。
「誰かロディ殿下を止めてくれ!」
「殿下!」
「邪魔だ!」
 ロディは、目の前を遮るいくつもの手を振り払い、かいくぐり、昨日訪れたばかりの父王の寝室に飛び込んだ。
「父上……」
 寝台の上には真っ赤な血を大量に吐血したまま仰臥しているボルヘス王と、その王にすがったまま泣き叫んでいる母ナーディア王妃の姿があった。
「どうして?」
 ロディは、部屋の中で沈痛な面持ちのまま立ち尽くしている側近たちを睨みつけた。
「父上は昨日まで、お元気だったんだ。少しずつだけどお元気になっていられたんだ。なのに……どうして!?」
 ロディは、妹の言葉を思い出したように声を絞り出した。
「兄上たちは? 兄上たちもここにいたのでしょう?」
 いままで美しいだけの王子として城中の寵愛を受けていた王子の悲痛な叫びと、逆らうことを許さないといった詰問の口調に、その場にいた誰もが言葉を失った。
 「グラハイド! 知っているのだろう? 父上に何があった? 兄上たちはどこにいるの?」
 叱咤するような、厳しい口調に大臣のグラハドは重々しい口を開いた。
「私が王妃様の悲鳴を聞いて隣の部屋から飛び込んだときには、すでに陛下は倒れられていて、シーグルト殿下とエルローネ殿下が、互いに『お前が父上を殺した』とののしり合い、つかみあいながら中庭から外へと出ていかれてしまわれたのです。ディアサスたちが後を追っておりますが、まだ戻って来ておりません」 
「そんな……」
 ロディは、ベッドの上のボルヘス王をゆっくりと振り返ると、自分の襟元のスカーフをはずして、父親の口元についた血を拭い始めた。
「父上は、兄上たちに王としての自覚を促されるための試練をお与えになると、そう言われていたんだ。兄上たちがご自分の欠点を克服されるようにと……」
 淡いブルーのスカーフが見る見るうちに血に染まっていく。
「仲たがいをさせようとしていたわけじゃない……なのに……」
 まだ幼い王子のとつとつと語る言葉に、やがて女官たちのすすり泣く声がかさなる。
「父上、私はどうしたらよいのですか。兄上たちのどちらかにつくなんて、考えられません。私には、兄上たちのことも大切ですが、父上はずっとこの国の先行きを心配していられました。父上が築き上げて来たこの平和なダーナン国をこわしたくありません…」
 ロディの双眸から、涙が幾筋も頬を伝って流れ落ちる。
「父上、目をお覚ましください。父上!」
 ロディが、叫びながらその体にしがみついた、その時。
「ロディ殿下……陛下の右手が……」
 女官たちのすすり泣く声にまざって、グラハイドのぼうぜんとした抑揚のない声が響いた。
「なに?!」
「陛下の右の手が……」
「父上!!」
 グラハイドの声にしたがってその手を見ると、ボルヘス王の右手がかすかに動いていた。  
「薬師を!!」
 ロディが叫んだ。
 その顔に血の気がさしてくる。
「父上はまだ生きていらっしゃる! 薬師と、それからルキナを呼んでくれ! 魔道士のルキナを! 早く、早く!」
 ロディの声をきっかけに、我を忘れていた人々が自分のそれぞれの役割を思い出したかのように慌ただしく動きはじめた。
 薬師が寝室に駆け込み治療を、土の魔道士のルキナは回復のためのエネルギーを大地から呼び起こす呪術をはじめる。 
「母上……、父上は大丈夫です」
 泣き続ける王妃を、少年のまだ細い腕が抱きかかえるように王の寝室から連れ出し、隣室のソファにそっと横たえると、グラハイドを呼んだ。
「グラハイド。父上と、それから母上をお願いします。それから、兄上たちのことも……。私は妹を連れて来ます。わたしの口からでないと、父上がまだ生きていられることを、あの子は信じないと思いますから」
 生きているとはわかっても、瀕死の状態であることに変わりはない。まだ青ざめた表情で歩きだす王子を、その場にいた誰もがすがるような思いでみつめていた。
「殿下、おつらいでしょうが、お気持ちをしっかりとおもち下さい。王はきっと助かられます」
 ロディが王の寝室から出てくるのを見つけると、幼いころからロディの守役として面倒を見続けてきた、騎士のジュゼールが駆け寄って来た。
「内乱が起きてしまう……」
「えっ?!」
 ひと目がなくなった場所まで来たとき、王子のつぶやいた意外な言葉にジュゼールは目を見開らいた。
「殿下、めったなことをお言いになってはいけません。王はまだ……」
「ジュゼール」
 まだ少年の輪郭が、背の高い騎士を見上げた。
「僕にはなぜかわかるんだ。父上はきっと助かられる。でも……きっと、いままでの父上には戻ることはない、って……。ルキナの目も死んでいく人を見つめるときの悲しそうな瞳だった」
 ロディの瞳が、みるみる涙であふれてくる。
「城の中は、もうシーグルト兄上と、エルローネ兄上につく者とに分かれているんだ。父上が、エルローネ兄上に後を継がせると言ったから、エルローネ兄上は自分が跡を継ぐと思い込んで、いろいろ動いておいでだった。でも、シーグルト兄上は、公式の場でのお言葉ではないから、自分こそが第一皇位継承者だと言ってゆずられない。それに、兄上たちの後ろにいるのは、戦で闘ってこの国を勝利に導いた立派な将軍たちを自分の邪魔になりそうだからといって、デタラメと中傷で城から追い出してしまった、よくない人たちばかりだ」
「殿下……」
 ジュゼールは、この幼い瞳が城の中で起きていることを正確に把握していることに脅威を覚え、息を呑み込んだ。
「みんなは、僕が子供だから何もわからないと思っていろんなことを話していた……。でも、ジュゼールとグライハドは信じられる。あとの人はわからないけど、そのうち私も父上と同じように、兄上たちに生命を狙われてしまうのかな……」
「ロディ殿下!」
 ジュゼールは耐えかねて、王子の背中を抱えるようにして、人気のない部屋には連れて入ると、ドアを閉めた。
「いいですか。そのようなこと、このジュゼール以外の人間の前では、絶対に言ってはなりません。殿下は私が命に代えてもお守りいたします。ですから、そのようなことお考えにならずに……、いまはただ、陛下のご回復だけをお祈りしましょう」
 だが、そう言いながらジュゼールは、ロディの洞察力にどう答えていいのか混乱していた。
 もしこのまま第一王子と第二王子が王位を争えば、やがてその渦は王妃はもちろん、第三王子のロディやフューリー王女をも巻き込んでいくだろう。
 いまや権力の虜になっている両方の王子たちにとり、幼いとはいえ、王妃が一番かわいがっているもう一人の王位継承者ロディは、やがて自分を脅かす影となる。
 ましてや、王が生命を止めたとわかればその危険はよりますと思えた。
 自分の命をねらった息子たちを、王は決して許さないだろう。
 王位継承の第一人者はロディへと移らざるを得ないことは、明白だった。
「とにかくもうしばらく、様子を見ましょう。おふたりの王子たちも、このようなもめごとが諸外国にもれれば、侵略の格好の材料になることぐらいおわかりになっているはずです」
 ジュゼールは、そう言いながらはたしてそうだろうかと自問自答していた。すでにその諸外国が後ろから糸を引いていないと言えるだろうか、と。 
「もし、万が一のときは、私にお任せ下さい」
 ジュゼールは、うなずく王子を見つめながら、自分自身の考えがひと月と経たないうちに、現実化していくとはこのとき思いもしなかった。

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