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第二章《 予 言 》

 その言い伝えが一体、どこから伝えられたものかは、今となっては知るものもいない。
 だが歴史は、確実にすべての人々を、いにしえの時代の登場人物として、物語の中へと導きつつあった。

「ねぇ、テセウス兄上。聞こえているんですか? ルナがまたクロトと一緒に村へ行ってしまいましたよ」
 品の良い顔立ちをした少年が、テラスにいる兄に抗議をした。
 さっきから呼びかけているのだが、三つ離れた兄は、外をぼんやりと見ながら物思いにふけっているのか、アルクメーネの声も耳にはいっていない様子だった。
「聞こえているよ。よく村にいっているみたいだから、友達でもいるんじゃないのかなぁ」
 その声には、うらやましいといった響きが隠すことなく含まれていた。
「でも大丈夫だよ。リューザとダイキが一緒だから」
「テセウス兄上は楽天的でいいですね。私なんてルナが木登りをしているのを見ているだけでハラハラするのに」
 アルクメーネのいかにも心配げな顔を横目でちらりと見ると、ラウ王家の王位第一継承権をもつ十七歳の青年は穏やかに笑いながら、大鷲が弧を描いて飛んでいる青空を見上げた。
「ルナは、おチビだけどアルクメーネよりは数倍も運動神経がいいし、クロトよりも利発だし、同い年の子供たちよりも剣の腕もいい。僕はルナやクロトたちの元気な姿がこの城で見られるだけでいいよ。それに第一、村へ行くことは悪いことじゃない。なんならアルクメーネもお忍びで行って来たらどうだい? 結構楽しいよ」
 兄王子の笑い声に、第二王子は絶句して兄の顔をのぞき込んだ。そして、ニヤリと笑いかけた。
「もちろん、経験済みですよ」
 ふたりが顔を見合わせ声をそろえて笑ったとき、突然、正門のあたりが騒がしくなった。
「早馬が出て行く。昨日も、今日も別の早馬がやって来たり、出て行ったり慌ただしいんだ。なにか様子が変だとおもわないか?」
「最近、ダーナンとナイアデス、ハリアの三つの国では争いごとが絶えないと聞きます。その援軍の要請にでも来たのでしょうか」
 弟の言葉にテセウスはうなずく。
「うん、ありえないことではないけれど、こんな小さな王家にまで援助を求めるようじゃ先が見えたも同然だよ。ダーナンも、ナイアデスも、ハリアも」
「残念だが、どちらもはずれだ」
 ふいに背後から、別の声が割り込んで来て、ふたりはやばいといった目線を交わしながら、出来るだけ笑顔で振り返った。 
「ルナとクロトはどこにいる?」
 そこには、このノストール国ラウ王家の長であり、テセウスたちの父親でもあるカルザキア王が、普段にも増して厳しい顔でふたりの王子を見つめていた。
「ここにはおりませんが……。どうかしたのですか? 父上」
 テセウスはただならぬ様子に、表情を改めた。 
「一刻も早くルナを呼んで来てくれ……。国中の五歳になる少年たちとその家族すべてにも、城下に呼び寄せるように、たった今使いを出したばかりだ」
「なにごとなのですか?」
 アルクメーネも不安な表情を浮かべる。
 カルザキア王は、大きなため息を吐き出して首を横に振った。
「ダーナンとナイアデスの魔道士どもが不吉な予言をおこなって騒ぎだしたのだ。わがノストールの地に『戦いと勇気の神・アル神の唯一の息子シルク・トトゥ神が誕生している。その子が今年五歳の誕生日を迎える』とな」
「え…?」
 ふたりは一瞬、父の言葉が理解出来ずに、ぼんやりとした表情を浮かべた。だが、やがて父の言葉を心の中で何度も反復させていくうちに、その言葉の重大な意味に気づき、息を呑み込んだ。
 息子たちが疑問を口にする前に、カルザキア王は話を続けた。
「間もなくダーナンもナイアデスも、そしてハリアもアル神の息子を手中に収めようと動き出すだろう。シルク・トトゥ神の転身人を自分のものにした者が、すべての戦の勝者となる、すべての世界の征服者になれる、とな。わがノストールは、奴らの標的となってしまった。すでにダーナンからは、その子もしくは今年五歳になる男の子すべてをさしだせば友好国としてわが国と同盟を結ぶといってきた。ナイアデスからも、ノストールがナイアデスの属領となるならば、自治領として他国からの侵略から守ってやる、といった内容の親書が来た……。どちらにしろ、予言の子を手に入れたいということだ」
 その言葉を聞きながら、テセウスは、五年前の悲劇を思い出せずにはいられなかった。五年前の忌まわしき予言は無効になったはずではなかったのか。
 だが、父王は厳しい表情の中に温かい瞳を宿していた。
「安心しろ、両方の申し出は断るつもりだ。だが、わがノストールは争いごとから離れて久しく、戦さを知る者もいない。みすみす戦火を招くようなことはしたくないが、万が一、のことを考えれば、出来るだけの守りは整えなくてはならない」
「わかりました。それで狙われるだろう五歳の男児すべてを保護するのですね」 
 真剣な表情で聞いていたアルクメーネの顔が、ゆるんだ。
「うむ。特にいまはルナが真っ先に、シルク・トトゥ神の転身人として狙われる危険がある。ルナは女だが、民も諸国の人々も第四子は王子と信じている。出来るならば、ルナの性が女であるとを明かすことが、あの子の安全のためには一番いいのだが、今それをすることは返って、作為あることと受け取られかねない」
 テセウスとアルクメーネは、気まずそうに顔を見あわせた。
 五年前、父がルナを兄弟として暮らすことを許してくれたとき、ふたりは妹として育てたかったのだが、クロトが弟だと主張して譲らなかったのだ。
 それに、王女ともなれば、やがて政略結婚の巻き添えにならないともかぎらないことから、ラウ王家はルナのために男の子として育てて来た。
「父上は、アル神の息子の転身人が誰なのか、ご存じでは?」
 テセウスが半信半疑の面持ちで聞く。
「わしにも、まだわからぬ。それを知るためにアンナの一族を迎えにやった。集めた子供たちの中にシルク・トトゥ神の転身人がいるならば、見つけ出せるやもしれぬ。実は、両国の魔道士たちの予言の話もユク・アンナの使いの者から知らされたのだ。アンナたちが到着しだい〈先読み〉をしてもらう。すぐにルナとクロトを連れて来るように」
「わかりました父上」
 アルクメーネは、左胸に右手を当てて一礼するラウ王家の敬礼をすると、父王の横を駆け抜けていった。
「あの予言は無効になったのではないのですか?」
 一人残ったテセウスが硬い表情で、カルザキア王を見つめた。
「ノストールの平和のために、不吉な予言を阻止するために、私たちの弟、第四王子を手に掛けたのではなかったのですか? 五年前のあの日、もし生まれて来るのが女の子ではなく男の子なら、その子が成長したときノストールを破滅させるだろう。そう言ったアンナたちの〈先読み〉を信じて、あの子を殺したのではないのですか? もし五年前の予言が、いまこの時点で生きているというなら、あの子の死は一体なんだったのですか?」
 テセウスは、五年前と同じ無力感が全身をむしばんでいく不快感を押さえつけようとしながら、父王を睨みつけた。
「早く……ルナを……。戦の準備を整える」
 だが、カルザキア王が答えたのは、それだけだった。
「わかりました。失礼します」
 テセウスは、一礼すると駆け出した。
 そして、廊下をかけながら激しい自己嫌悪に襲われている自分に気づく。
(今ここで、父上を責めてどうなるものでもないのに。父上がどれだけ苦しまれてきたか、僕が良くわかっているのに)
 テセウスは、歯を食いしばった。 
(だから父上は、あの日僕たちがルナを連れ帰ったとき、何も言わずに家族となることを認めてくれたじゃないか。ルナを僕たちと同様に、わが子と同様に育てて来てくれた、そんな父上の気持ちを僕は知っているのに……)
『戦の準備を整える』
 父の言葉が耳を打つ。
 自分と、父王を責めても、戦乱の火はやがてこの平和なノストールを襲うだろう。
(このまま、あの大国の両方から攻め込まれたららこんな小さな国は一日ともたずにのっとられてしまう。この国が滅ぼされてしまうかもしれない……。でも、むざむざとそんなことはさせるものか!)
「兄上、遅いですよ」
 外へ出るとすでにアルクメーネが馬上で、テセウスの馬を連れて待っていた。
「アルクメーネ!」
 テセウスは勢いよく馬にまたがると、弟の名を呼んだ。
「何ですか?」
「戦がはじまる。でもこの国は、僕たちで守る。どんなことがあっても守るんだ!」
「もちろんです。我らがノストールの民と、アル神に誓って!」
 ふたりの乗る馬は、ムチを打つと猛然と走りだした。
 なにも知らずに村の子供たちと遊び回っているだろう、ルナとクロトたちがいるマーキッシュの村に向かって。
 突然降りかかって来た運命という名の嵐に立ち向かうように。

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