HOMEに戻る

2章 〈12時15分 桜道スタジオ〉

 都心から少し離れた郊外にある「桜道スタジオ」にタクシーが停まり、三人が降りると、門の付近からさえわかるほどの違和感のある空気が流れていた。
 三人が降りたばかりのタクシーを見つけて、入れ替わるように慌しく乗り込む人々。
 大きな機材を運搬する人々が駐車場目指して走り、スーツを着た人間の集団が厳しいまなざしで足早に通り過ぎていく。
 人の数は多くあわただしい様子なのに、声高に話している者が一人としていないのだ。
 静寂の中で、深刻な顔をした人々がスタジオから離れて、車が一台、また一台と門の外に出て行く。
 その奇妙な静けさが、ただ事ではない何かが起きていることを感じさせる。
「フェニックス・テレビの上層部の人間だな」
 トモヤがラグとレンに目配せをする。
「かもな」
 レンは関心なさげに相槌をうつ。
 フロアで受付を済ませて、スタジオ内に入る。
 なんとも言えない異様な空気はますます濃厚になる一方だった。
「レンさん入りました〜」
 受付から連絡を受けたADとおぼしき人物が走ってやってくる。
 よれよれのTシャツ姿の小太りの体、三人を見つけて駆け寄り、一礼すると、通路に向って大声を張り上げた。
「レンさん入りました、控え室にご案内します」
 そう言って案内役を務める。
 スタジオ内の緊張を打ち破ろうとするように必要以上に出した明るい声は、逆に違和感を浮きたたせる結果となる。
「何かあったの? 政治がらみ?」
 トモヤがさりげなく世間話程度に問いかけたのだがそのADは、作り笑顔を浮べようとして失敗し、引きつった顔をトモヤにみせた。
「いや、なんでもないですよ」
「なんでも、あ・り・ま・す、って顔してるぞ」
「大丈夫です。ドラマ班は、問題ないですから。多分……」
「ならいいけど。やばそうな空気が漂いすぎじゃないの」
「だ、大丈夫です」
 そんな会話を交わしながら前を歩くトモヤとADの背後を歩きつつ、ラグとレンは顔を見合わせた。
 レンが不機嫌そうに唇をゆがめた時、前方通路の角からクロサキと名乗るチーフディレクター、若手の演出監督、女性ADが現れた。
「いゃあ、レンさんお待ちしておりました。今日はよろしくお願いします。いやいや、男性を見て美しいという言葉が浮かぶとは思いませんでしたが、 実物は何度見ても美しい。横顔がまさに西洋のブロンズ像のアポロンのようです」
「ホント、今日の特別出演で視聴率もグンとアップ、レンさんの人気もさらにうなぎのぼり、うん。間違いない」
「私なんてお会いできただけで感激で、もう胸がいっぱいです」
 次々飛び出す歯が浮くような誉め言葉の羅列を口にする三人を、レンは無表情な瞳で眺めていた。
 だが三人は、その言葉とは裏腹に、どこか心ここにあらずと言った感があり、顔は笑顔を浮べているのに目に落ち着きがなく、挙動不審気味。
 誰が見ても「大丈夫」ではなさそうだった。
「で、何が起きているんだ? スタジオ中、引きつった顔にへたくそな愛想笑いの皮を張り付けた奴ばかり。こんなんじゃ、レンが芝居に集中できないだろ」
 控え室に通されると、中央のソファに無言でどかりと腰をおろしたレンを横目に、トモヤがチーフディレクターのクロサキに文句をつける。
 やっとご機嫌が直ったのに、「ラグに不快な思いをさせるなら今日は帰る」とか「こんな撮影放っておいて遊びにいこうぜ」と言い出しかねない。
「それが……いや、大丈夫です。大丈夫。あとで呼びにお伺いします。一応、こちらが本日の進行表の最新版になっております。トモヤさんの出番は事前にお渡ししています台本どおり3シーン。昨日の変更以降は特に細かい変更はありません。50分後に軽い打ち合わせとカメラテスト、リハーサル、本番の流れになります。お忙しいのに、早めに入っていただきましてありがとうございます」
「空港から直接来たからな。例の国際会議のおかげで、検問とかで渋滞もあるかと思って早めの飛行機にしたんだが、気が抜けるほど順調すぎて早く着きすぎた」
 トモヤは返事をしながら、目を充血させて、硬い表情のままうなずくクロサキを一瞥する。中肉中背、年齢は30代半ばだろうか。
「とんでもありません。また時間が来ましたらお迎えにうかがいます」
 そう言うと、クロサキは張り付いたままの愛想笑いを浮べて、早々にドアを閉めて立ち去ってしまった。
「帰っちまうか」
 レンがタバコに火をつけ、煙を天井に吐き出しながらながらボソッとつぶやく。
「おいおい」
 トモヤがその煙を目で追いながら天井を仰ぐ。
 予想していたとはいえ、今回は一方的なレンのわがままとは言いがたい状態だ。
 嫌な緊張状態がスタジオに足を踏み込んだときから漂い、自分たちのコンディションまで影響してくる。
 気分良く撮影に望め、とはトモヤも言いがたい。
 先ほどのクロサキの表情からも、撮影が中止になる可能性もなくはなさそうだった。
「事件、事故の類は……と」
 テレビを入れてみても、デジタルニュースをチェックしても、大きな事件が起こっている情報はなにもなかった。
 首脳会議の様子も、見飽きるほど同じ場面が繰り返し流れている。
 誰かが撃たれたとか、暴動があったとか、緊急事態が発生しているといったものはなく、緊張を感じさせるような事柄はテレビの画面からは伝わってもこない。
「誘拐事件だとしても、スタジオ中の人間がおかしくなるなんてことはあり得ないしなぁ」
 ブツブツ独り言を言いながら、あらゆる情報ツールをチェックしだすトモヤ。
「あ、僕、トイレに行ってくるね」
 壁際に立っていたラグは、二人の様子を気にしていないのか、自分の荷物を部屋のすみにまとめて置くと、部屋の外に出て行く。
 ラグの後ろ姿を見送ったレンは、煙と一緒にため息を吐き出しながら向い側のソファに腰をおろしたトモヤにぼやく。
「お前、わかってるか? あのクロサキってディレクター、超運がいいよなぁ」
「あん?」
「ラグがいなきゃ、俺はもうこのスタジオからおさらばしてるぜ」
「わかってるって」
 トモヤはサングラスの奥で穏やかに笑みを浮べた。
 短気なレンは気にいらなければ怒りに任せて現場を放棄する。
 わがままな人間、遅刻をする人間。
 仕事に口を挟んでくる部外者。
『俺はプロだから、プロの仕事をする。一緒に仕事をする奴もプロじゃなければやらん』
 レンが若くして評価されている一つには、徹底したプロ意識とその尊大な言葉に引けをとらない仕事の腕があるからだ。自分にも厳しいが、相手にも同様のものを求める。
 今日のこの状態もしっかりした説明がなく、「局側の事情」で不安を人に伝染させ、落ち着きのない状況を作り出している。
 レンの嫌いな状況のひとつだった。
 もっとも、感情にまかせて現場を放棄するレンが、プロ意識を語るのを聞いていると正直閉口する時もある。
 すべての後始末はいつもトモヤの役割だからだ。
「撮影がポシャッたら、その時はラグとゆっくり飯を食いに行けそうだしな。どっちかと言うと俺はそのほうが嬉しいかもな」
 ぼやいているうちに自分の言葉に楽しくなってきたのか、レンは子供のように笑い始める。
「どっちに転んでも、今日の俺は運がいい」
「そうだな」
 トモヤはやはり、とうなずきつつ心の中でラグに感謝していた。


目次                                    BACK NEXT