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第二十六章《 銀の冠 》

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 眼が覚めたとき、ルージンはむき出しの岩肌らしきところに横たわっている自分を感じた。
 ひんやりとした夜の空気と、反響する声。そして、火のはぜる音。
 洞窟らしき中にいるらしいことをぼうっとした意識の中で感じながら、ギルックの固い声が間近で響くのを耳にした。
「その処刑は公開処刑だっていうんだ。見せしめのために捕まえた盗賊を一斉に処刑するって……」
「いつ、どこで?」
 ジーンの声が問いかけているのを知って、無事だったことに安堵する。 
「いずれわかる。俺の部下がそのガキの仲間を連れて奴らの後を追っている」
 ギルックではない別人の声が応えた。低く腹に響く人の上に立つものの自信に満ちた声。
 意識を失う直前に耳にした、イズナと呼ばれた男の声だと気づく。
「場所は首都市内のポンパハルド中央広場。奇妙なのは、ウルムート王は戦に出兵している。その不在の間に、一貴族が自分の領地でもない王家の足元で公開処刑を行うと布告していることだ。相当な権限をもっている人物だとしても、おかしな話だ」
「…………」
 沈黙が広がった。
「ジーン、おまえ、何を考えている?」
 ジーンは無言だった。
「助けに行こうとか、考えているわけじゃないだろうな」
「…………」
 沈黙は、肯定の空気を帯びていた。
「よそ者のお前が、権力者に犯罪者として捕らえられた人間を救い出すことは不可能だ。たとえ、もし仮に貴族に知り合いがいたとしてもどうすることも出来ない」
 冷徹な言葉が、静かな空気をより重くする。
「ジーン。おまえは探していた人物と会えたと言った。ならば、これ以上深入りはする必要はないはずだ」
「助けられないかもしれない」
 そう言葉を返すジーンの声を、ルージンはじっと聞いていた。
 誰のことを話しているのかがわからないが、ただならぬ事態を感じさせる。
「でも、誰かが自分を助けようとしてくれたって、噂でもいいから耳に届けたいんだ。きっと自分を助けに来ると信じて待ってる。もし、助けられなくても、自分を助けようとしてくれた人間がいるって知って、死んで欲しい。それが伝われば……きっと、悲しくない」
 水が流れるような感情をあらわさない静かな言葉が響く。
「この国はひどすぎるから」
 ルナは、翠色の瞳でイズナを真っ直ぐに見た。
 イズナはその言葉に、ルナたちが助けたカカル村の子供らの存在を思い出す。
 あの子供らはナイアデスの領地で水汲みの途中、山でゴラの人間にさらわれ、人買いに売られるところをジーンとランレイに助け出されたと言っていた。
 殺される危険を犯してまでも、赤の他人を救う奇妙な二人の子供。
 ジーンを、そしてランレイをイズナは凝視する。
 やがて、怒りを含んだようなため息を吐き出すと、瞼を閉じてそのままゆっくりと口を開いた。
「どうしても、行く気か?」
「行くよ」
 当然のように応える。
 その口元に寂しげな笑みが浮かぶのをイズナは怪訝な顔で見る。
「どうしてもか?」
「自分の心が、そうしたいと思っているから」
「ジーン! 本当に? 本当に一緒に言ってくれるのか?」
 ギルックのすがるような苦しげな声が、じっと聞き耳を立てていたルージンに嫌なものを感じさせる。
「うん」
 まるで散歩に出るような口調。その言葉に迷いは感じられない。
「カイトーゼを見殺しにすることは出来ないから」
「!」
 その名を耳にした瞬間、ルージンの体は跳ねるように飛び起きていた。
「どういうことだ?」
 吼えるような声に、焚き火の周囲にいる男たちの視線が一斉にルージンに集まる。
「ぐ……」
 次の瞬間、全身を激痛が襲った。
「ルージン! 気がついたのか?」
 ギルックがあわて立ち上がり、そばに駆け寄lり、体を支える。
「どういうことだ? ギルック。今の話はなんだ? 公開処刑ってなんだ? カイトーゼが処刑されるっていうのか? 何が起きた?」
 イズナを含んだ五人の男たちと、ギルック、ジーン、ランレイたちが、焚き火を真ん中に対峙するように座っていた。
 その周囲にルージンやドルググら意識を失っているのだろう仲間が自分と同様に、倒れている姿が見える。
 この男たちに、ここまで運ばれてきたのだろうか。
 ギルックに支えられながら、ルージンは焚き火をはさんでイズナの正面に腰をおろした。
 自分の体は身につけていた服を裂いたりだろう、腕や足、わき腹などの傷口いたるところの傷口に止血する布として巻きつけられていた。
「罠だったんだよ。ルージン」
 ギルックが悔しさを滲ませ、ルージンの横で怒りに顔をゆがませて訴えるように小さく叫ぶ。
 視線に映る顔からは、いつもの冗談をとばす軽薄な表情はない。
「罠って、一体どういうことだ?」
「村が襲われた話自体が嘘だったんだよ。ゴラですごい力をもっている貴族が盗賊狩りを始めたんだ。あっちこっちの盗賊がどんどん捕まって死刑にされているらしい。次は《ルーフの砦》が狙われた。ルージンもカイトーゼも、村が襲われたって話でおびき出されたんだよ」
「何を言っているんだ? カイトーゼはどこで、だれに捕らえられたんだ? どうしてそれが俺の村と関係があるんだ?」
「だから、罠だったんだよ」
 ギルックの腕をルージンがつかむ。
「意味がわからん。しっかり説明しろ」
 怒鳴りつけられてギルックがひるむ。
「ギルックには、僕の伝言をイズナに伝えるためにナイアデス領側の宿場に向ってもらったよね」
 ルナの澄んだ声がルージンを振り向かせた。
「その伝言の相手が、この人。名前は、イズナ。さっき襲われたとき助けてくれて、ここまで運んでくれた。ナイアデスの人間」
 ジーンが焚き火をはさんで目の前に据わっている男を視線で示す。
 旅人の格好をしているが、その身に着けているものからは上流社会の匂いがプンプンする。
 体格の良さ、筋肉のつき方は腕にはかなり腕に覚えのある剣士に見える。
 自分たちを見つめる視線と顔つきはいかにも身分の高い人間が、卑しい人間を見下ろすときの傲慢さがあった。
 ゴラの貴族だろうか? ルージンは平静を取り戻そうと務めながら足を組みなおしながら、イズナを観察する。
 自分と年はそう違わないようにもみえる。
 長く垂れた前髪のせいで右目は隠れているが、左の黒い瞳だけでも充分な眼力を帯びていた。
 ホルド村で自分たちを襲ってきたマードリックという貴族の私兵士たちを、瞬く間に撤退させてしまった迫力と剣の腕は、対峙したことのない存在に思えた。
「そうか…。世話になったな」
 自分とはまったく異なる世界で生きている存在。生涯出合うことのないはずの存在が目の前にいる違和感。
 礼を言いながらも、警戒心と緊張で自然に顔がこわばった。
 だが、イズナはルージンをちらり一瞥すると、返事をすることもなく視線をルナにすぐ戻した。
 一瞬、カッと怒りがこみ上げたが、ぐっと息を飲み込んでルナに視線を移す。
「それで、ナイアデス方向に行ったはずのギルックがどうしてここにいる」
 その言葉にルナが再び答える。
「僕がナイアデスには行かないって伝言をギルックから聞いたイズナが、強引にギルックを僕のいる場所まで案内させようとしたらしいんだ。でも、それはルージンのいる村に案内することになる。ルージンに怒られるのが怖くなったギルックは、ホルド村より近くにあったカイトーゼの村に連れて行くことにした」
 ルージンの鋭い視線を受けて、ギルックの顔が引きつる。
「悪りぃ……。カイトーゼの村に連れて行ったら、撒いて逃げる算段だったんだよ」
 今度は、イズナからの物言わぬ視線を向けられ、徐々に声が小さくなる。
「とろこがさ、やっと村についたその日、カイトーゼが体中を縄でぐるぐる巻きに縛られて、でっかい戸板に乗せられて運ばれて行くのを目撃したんだ」
「?」
「見たら泥酔して大いびきをかきながら爆睡してたから、最初はまた、浴びるように大酒をかっくらってまた暴れたんだろうって思った。いつものことだろう。今回も、酔って大暴れでもした大虎を縛り上げて身動きできないようにして、酔いが醒めるまでどっかに置いておくもんだと思って、笑いながら眺めていたんだ。でも、村の連中が口々に変なことを言い出すもんで、気になって聞いていたんだ。そしたら、『あいつはいい奴だが、《ルーフの砦》で盗賊に身を落とした。助けてやりたいがマードリッヒ一族には逆らえない、気の毒だがしかたがない』って同じようなことをあっちでもこっちでも口々に言っててさ」
「マードリッヒ一族?」
 ホルド村で襲ってきた男たちが、マードリッヒの私設軍だと言っていたのを思い出す。
「ゴア国の影の支配者として王宮に巨大な影響力をもっている貴族らしい。たまに耳にするだろう? この人が言ってた」
 ギルックがそっとイズナを指差す
「盗賊、山賊狩を積極的に行なっているのが、そのマードリッヒ公爵って奴らしいんだ」
「で、カイトーゼはどうなった?」
「まだわからない。ヤンリとデュイックが後を追ってる。この人の仲間と一緒だけど……。その公爵の命令は、捕らえた盗賊、山賊は首都に集められて公開処刑するらしいんだ。その為に、あっちこっちの村に盗賊逮捕のための情報を流すように命令を出している。盗賊一人につき、村に十人の奴隷が報酬として与えられるって。頭領格ならその三倍。殺してしまってもわずかの報酬を出すって」
 ジーンの言葉にルージンは言葉を失う。
「そんな馬鹿な……」
 それは自分自身に向けた声にも聞こえた。
「本当の話なのか?」
 本当だとすれば、カイトーゼだけではない。自分も故郷の村に裏切られ、売られる寸前だったということになる。
 だが、いつも自分の帰郷を喜んでくれる村人たちが裏切るなど信じられなかった。
 たとえそうした話があっても故郷の村は自分を売ったりなどしない。村の人間は本当に無事なのだろうか。マードリッヒ一族に脅されているだけなのではないのか、様々な思いが頭の中を駆け巡り答えが出ない。
 だが、村の危機を伝えに来たコルカは襲われる前に消えた。
「ルージン。カイトーゼを早く助けに行こうよ。殺されるのを放っておく気じゃないだろう?」
 ギルックが、腕を強く掴む。それだけで激痛が全身を襲う。まだ傷口の血は完全には止血されていない。
「どの村もマードリッヒの支配を受けているらしいんだ。ルージンも村に帰ったら捕まる。さっきだって俺たちが間に合わなかったら……。カイトーゼは助けないと」
 ギルックのすがるような瞳が、訴えかける。
 ルージンは唇を結んだ。
 もちろんカイトーゼが捕まったならば救い出すのは当然だった。
 けれど、何が村で起きているのか、なにを信じるべきなのか、話を聞いたばかりでは整理がつかなかった。
 するとまるでその心を読んだようにルナが提案をした。
「ルージンは村に戻って真実を確かめてきた方がいいよ。カイトーゼのところには僕が行くから」
「え?」
 ルージンはハッとしたようにルナを見た。
 ルナは静かに微笑んでいた。
「故郷もカイトーゼもルージンにとっては大事でしょう? きっと両方とも自分で確かめなければルージンは選べない。でも、ルージンは二人いない。なら、僕がもう一人のルージンになってカイトーゼを助けに行く」
 ギルックも身を乗り出して、大きくうなずいて見せる。
「砦のみんなには、ディアードに会わせてくれたお礼をまだしていなかったから」
 ニコリと笑ったジーンに、正面のイズナは怒りを露にした表情を浮べた。
「だから、さっきからそれとこれとは話が違うって言っているだろう」
「ごめんなさい」
 上目遣いに素直に謝られて、調子が狂い、イズナは怒鳴りかけてた口から、大きなため息を吐き出した。
 黒髪を大きくかきむしる。
「お前なぁ……」
 イズナは立てていた計画に大きな誤算が生じたのを、修正しなくてはならなかった。
 本当なら、ジーンを見つけ次第、部下にまかせてナイアデス皇国のフェリエスのもとに送り届けさせ、自分はゴラにもうしばらく留まる予定でいたのだ。 
「話がある」
 イズナは立ち上がると、ルナに外に出るように促す。
「俺は半年以上おまえを探しまわった。そして、待てと言われて俺にしては珍しく耐え忍んで待った。話をおまえに聞いてもらう権利は充分あるだろう」
「…………」
 ルナはじっとイズナを見つめ立ち上がる。約束を守る必要性はルナにはなかった。
 けれど、アルクメーネとの時間を提供してくれたのは、――たとえそれが、本人にとって不本意の結果だったとしても――イズナだった。
「わかった」
 イズナと、ジーン、そしてあとに続いたランレイの三人は、洞窟の外に出て行った。

 話しがついたのか、やがて戻ってきたルナの顔には困惑した表情が張り付いていた。
「どうなった?」
 固唾をのんで話し合っている様子を遠目で見守っていたギルックは、飛びつくような勢いでルナに問いかける。
「イズナたちも、カイトーゼを助けるのに協力するって」
「へっ?」
 予想外の言葉に思わずギルックの眼が大きくなる。
「イズナはゴラの首都に仲間がいて、少しの情報なら手に入るらしいんだ。ルージンは村に戻って真実を確認してくる。怪我をしているドルググたちは連れて行けないから、このままここで休ませて、見張りにギルックたちに残ってもらう。カイトーゼを捕らえた一行を追いかけて行ったヤンリとデュイックの二人は、イズナの仲間と一緒にいるはずだから、僕らはあっちで合流してカイトーゼを助ける」
「嫌だ。俺も一緒に行く。俺がいなかったらカイトーゼはことの真相を信じないだろう。俺以外の奴をここで番させるから」
 それまで黙って聞いていた、ギルックの仲間も「俺たちも行きたい」と不服の声をあげる。
「《ルーフの砦》の山賊とわかれば処刑になる。俺たちなら疑われずに動ける」
 イズナの言葉に、ギルック以外の二人は押し黙る。
 ギルック本人も、こわばった表情を一瞬走らせたが、それを打ち消すように左右に頭を振ってひきつった笑顔を浮べる。
「やっぱり嫌だ。殺されたって俺は行く。カイトーゼは血を分けた兄貴も同様だ。仲間を助けるのに、砦の人間が行かないのは嫌だ」
「いや、俺が行く」
 突然、声が割って入った。
 声の主はルージンだった。
「ルージン? なに言ってるんだ? だって村に行くんだろ……?」
 ギルックの言葉にルージンは口元を固く結んで首を横に振り、その場の全員を見る。
「村を出た時から、こういう日が来ることを覚悟しておくべきだった。いつまでも、村を守っている英雄気取りでいたのが間違いだった」
 ルージンは自虐的に静かに笑った。
「砦を築き、山裾の村々を守り、感謝されていると思っていた。村に帰れば、皆が笑顔でもてなしてくれた。ずっとそれが続くと思い込んでいた。だが、思い返してみれば、そうした状況でいられたのは砦の人間の中でもわずかな人間だけだ。最近は村に帰る者の数も年々減少していたし、里心を持つ人間を冷めた目で見ている仲間も年々多くなっていることにも気づいていた」
――よそ者扱いだ。
 セイルがそうボソッと口にしたことがあるのを思い出す。
「それに俺は」
 ルージンはなにかを振り払うように、大きな声を上げた。
「《ルーフの砦》の頭だ。選ぶ道はひとつ。カイトーゼを助けに行く。ギルック」
 名を呼ばれて、ギルックは嬉々としてルージンを見る」
「お前らはドルググたちのことを頼む。これは命令だ」
「そんなぁ!」
 不平不服を口にするギルックたちを残して、ルナ、イズナ、ルージンたちは日が明けるのを待ち、ゴラ国の首都ドクホに向って出発をした。

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