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第二十六章《 銀の冠 》

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 太陽が地平線に傾きかける頃、ルージンたち一行はホルド村近郊に辿り着いた。
 ルナとランレイをのぞく四人の男達は、皆ホルド村出身の者だった。
 焦りと緊張の中、たどり着いた故郷。
 山を下り、森を抜け、村へ続く一本道を馬で駆け降りると見えてきたのは広大な一面の畑だった。
 農作業がすでに終わったのか、それとも村から出ずに閉じこもっているのか、人々の姿は見当たらない。
 その先に、背の高い木々に囲まれたホルド村があった。
「待て」
 一本道を進んでいた、先頭の馬に乗ったルージンが後ろの仲間に手を上げて停止を命じた。
 じっと村を見つめるルージンの険しい表情に、顔中髭で覆われたドルググが近づき、横に並ぶと問いかける。
「どうした?」
「見ろ」
 ルージンの視線が、前方に見える村に一番近いパドラ菜畑を示す。
 細い小道の両側には、薄い葉が幾重にも重なったパドラ菜が整然と列をなして並んでいた。
 実りの豊かさは、この年は豊作をあわしていた。。
「間もなく収穫の時期ですな」
「畑が荒らされていない」
「あ……」
 ドルググはその言葉にはっとした表情を浮かべ、ルージンを見る。
「思い出してみろ。暴徒や盗賊が来るたびにパドラ菜畑がめちゃくちゃにされて、ひどい有様だった。大勢の人間が押し寄せ、女子供を攫うほどの騒ぎがあったなら、なぜこのあたり一帯は荒らされていない」
「確かに」
 あごひげをさすりながら、ドルググが他の仲間を見る。
「コルカはどうした。あいつに聞きたいことがある」
 振り返ると、村の一件を知らせに来た若者を乗せた馬が消えていた。
「いません。あいつ、一番後ろにいたはずなんですが」
 ルージンとドルググの後ろに、二人で騎乗していたルナとランレイは、線が細く青白い顔をしたコルカという男の顔を思い出しながら、顔を見合わせる。
 決死の形相で砦に飛び込んできたときの怯えた様子が第一印象だった。
『一刻も早く村に来てください』
 目を血走らせ、早く村にと急き立てる様子は、危機に直面した人間の顔だった。
 ルージンが顔色を変えて、村に帰ることを即決したほど、恐怖に怯えていたのだ。
 その男の姿が忽然と消えていた。
 全員が振り返るが、夕暮れの長い一本道には、彼ら以外誰の姿もない。
 この道に入る前までコルカは確かにいた。常に周囲を気にしていたルナはそれを覚えている。
 奇妙な空気が流れた。
「俺が先に行って、村の様子を見てくる」
 ドルググがそう言ってルージンの馬を追い越した時だった。ルナが大声をあげた。
「ドルググ! ごめん」
 後方にいたルナが、突然、叫びながら自分の馬をドルググの馬の横に併走させ、ランレイと共にいきなりドルググに飛び掛かかると体当たりを食らわせ、畑に転がり落ちたのだ。
「おい!」
 子供とはいえ、二人がかりで畑に突き落とされる格好となったドルググは、落馬と転倒の痛みに怒りをもって叫んだ。が、次の瞬間、自分の乗っていた馬が大きないな鳴きをあげながら横倒しに崩れ倒れる様子を見て、目をむいた。
 見ると首や腹が何本もの矢が刺さっていたのだ。
「村のほうからだ」
 畑から素早く身を起すと、息も荒く叫びながら、ルナは村を指差した。
 ドルググがルージンの横に移動したあの時、いくつものきらめく光が逆光に反射して見えたのだ。
「馬鹿な……」
 ルナの大声に反応した他の馬たちは驚いて畑に走りこんで難を逃れたが、馬上のルージンは信じられない表情で村を見つめていた。
 ルナは全身に鳥肌が沸き立つのを感じて、小さく震えた。
 それは、戦うときに自分の中に沸き起こる奇妙な高揚感の前兆だった。
 息を大きく吸い込み、大きな波に自分が飲み込まれないようにと言い聞かせる。
 ふと、ハーフノームの海賊の頭ジルの顔が思い浮かんだ。
 海賊船で我を忘れた死闘の中で人を手にかけた後、待っていたジルの怒号と体が飛きぶほどの強烈な平手打ち。
 カルザキア王が殺された夜、イルダーグを襲った妖獣と戦い、怒りで我を忘れそうになったとき、蘇ったジルの罵声。
 思い出すと同時になぜか、高ぶる気持ちの波がすっと引いた。
「来る……」
 唇がつぶやいたまさにその時、村の門の外の囲い木に身を潜めていた濃紺の服に身を包んだ男達が次から次へと湧くように現れた。
 抜き放った長剣を手に、怒号を上げながら襲ってきたのだ。
「あれは……? 賊なのか?」
 ルージンは背中の長剣を、ドルググは両手に剣を、他の者も一斉に武器を手に取る。
 だが、四、五十人はいる相手にさすがに血の気を失っているようにルナには見えた。
 剣で戦うには敵の数は多すぎる。
 逃げるには、村に近づきすぎた。
 矢で背後から襲われればひとたまりもない。
 馬も動揺して、興奮状態になり制御が利かない。後ろ足で立ち上がり次々と乗り手を振り落とす。
 ルージンも手綱をさばききれずに馬から飛び降り、受身の姿勢をとり転がり込んだその時、脇を走りすぎる影があった。
「!」
 あわてて顔を上げると、濃紺の服の集団に向って走り出しているジーンの背中があった。
「ジーン! よせ!」
 ルージンが叫ぶ。
「ルージン、時間をかせぐから逃げて!」
 風のような速さに見えた。
 ルナは走りながら、足元に落ちている小石を目に止まらぬ早さで拾い集めると、そのままの低い体制で、腕を水平に動かし、襲い掛かってくる男達に投げつけた。
 そのすべてが続けざまに距離を置いた相手の顔面に正確に的中する。
 叫び声と転倒する仲間に、一瞬男達が躊躇するのを見て、ルナは間合いを一気に縮めた。
 うろたえる相手の隙をついてルナは高く跳躍し、至近距離にいた男めがけて背中の首筋にある急所を素手で一撃すると、男は短く叫んだだけで、 そのまま地面に崩れ落ちた。
 突然意識を失い倒れた男を仲間達がなにごとが起きたのかと取り囲む。
 そのわずかな間にも、ルナは、一人、また二人と倒して行く。見る見るうちに十数人近が地面に伏した。
 そのあまりの速さと接近戦に、相手は混乱しうろたえ、剣を振り下ろせない。
「すげえ……」
 無謀な攻撃にもかかわらず、次々と男達が倒れていく様子に、思わず見入りそうになるが、さすがに一人だけでは、畑に踏み込んで自分達に向ってくる男たちを防ぐことはできない。
 次々と、ルージンたちに向って襲い掛かってくる。
「早く逃げろ!」
 ルナの叫びは、反対にルージンの足をその場に縛りつけた。
 逃げだすことなど出来るわけがなかった。 
 剣を手にした男が対峙し、立ちふさがる。
 天にかざした剣を風音を立てて振り下ろす。その刃をルージンの剣が受け、渾身の力をもってはね返す。
「お前たちは何者だ?」
「我々はマードリッヒ様の私設軍だ。おとなしく捕まるならば、殺しはせん。剣を捨てろ」
「うるせぇ!」
 男の奇妙な言葉にルージンは大声で叫ぶ。
「村を襲ったのはてめえらか?」
「おまえら山賊と一緒にするな!」
 一合、二合と打ち合いながら、ルージンは頭にカッと血が上っていくのを自覚する。
「あの村は俺が守ってきた」
「もう、その必要はなくなったということだ。マードリッヒ様が村を守り、領地を守られる。山賊どもは消えうせろ」
「うるせえ!」
 ルージンの剣が相手の胴をなぎ払う。
 血しぶきを上げながら男は倒れこんだ。
 休む間もなく次の剣が真横からルージンの頬を掠めた。
 あとからあとへと相手が現れ、剣がうなり、顔をかすめ、いくつもの刃がルージンを襲う。
 一人、二人となぎ倒し、血ですべる剣の柄を両手で握り締める。腕に走る激痛に顔をしかめながら、ルージンは叫んだ。
「くっそう!」
 視線の端で、兵士に取り囲まれたドルググのゆがんだ顔がルージンを振り返りながら倒れていくのが映る。
「ドルググ!」
 状況がわからないまま、振りかぶってくる敵の剣を弾く。
 腕がしびれた。腕が鉛のように重い。
 何人相手にしたのか、もうわからない。
 わかっているのは、すでに体力の限界を超えているということだった。
 相手はそれなりの訓練を受けた私設軍だけあって、統制がとれていた。野盗相手とはわけが違う。
 狙いが自分を生け捕りにすることだということが、戦いながらはっきりとわかってくる。
 腕、足に容赦なく振り下ろされる刃。だが、致命傷は負わせない攻撃が続く。
「ルージン、後ろ!」
 ルナの良く通る声に振り返ると、背後から刃が襲いかかってきた。
 だが、正面の相手の剣を受けている両手は、それを防ぐことが出来ない。
(間に合わん!)
 覚悟を決めた次の瞬間、対峙していた男が短い悲鳴を上げながら仰け反ったまま地面に倒れた。喉に矢が突き刺さっていた。
 慌てて背後から自分に襲いかかった男を振り返ると、掲げた剣もろとも崩れ落ちることろだった。
 矢が胸を貫通していた。
「ルージン!」
 背後から複数の馬の駆けてくる蹄の音に混じり、なぜか聞き覚えのある声が自分の名を叫んでいる。
 襲い掛かってくる次の新たな相手の剣を受けながら、背後から近づいてくる五、六頭の馬に乗った男達の影を垣間見る。
「ルージン!」
 その男達の中から聞こえる声は、まぎれもなくギルックの声だった。
「?」
 だが、ギルックはルージンたちとまったく別方向に行かせたのだ。ここにいるはずがない。
 戦いながらでは、確認する間もない。
(どうしてギルックがここに?)
 砦の仲間と加勢に現れたのかと思ったのだが、それはすぐに違うとわかった。
 一見しただけでも、旅人の格好をしているが、乗っている馬、衣服、手にした武器は一流のものだとわかる。
 現れたその一行は、一斉に剣を抜き加勢に加わった。
 その瞬間、すべての形勢は一転した。マードリッヒの私兵たちはクモの子を散らすように撤退しはじめたのだ。
(ギルックと一緒にいる奴、何者だ?)
 激しい疲労と激痛、安堵感でルージンの両膝は大地に着き、そのまま全身が地面に崩れ落ちた。
「ルージン!!」
 自分に駆け寄ってくる足音と、ギルックの悲鳴。
 そして明らかに自分とは別の方向に投げかけられた声。
「やっと見つけたぞ。そっちにその気がないようだから迎えに来た」
「イズナ」と、ルナが返す言葉を耳にしながら、ルージンは意識を失った。

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