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第二十二章《 遥 か な る 想 い 》

 ラーサイル大陸の南端にある小国、ノストール王国。
 北に高く険しい山が連なるエーツ山脈と、南に大海ニュウズ海洋を配した自然の地理に恵まれたこの小国は、つい数年前までは他国からは存在さえも忘れられるような辺境の国だった。
 交流を持つのは主に海を共有する隣国エルナン公国。
 穏やかな気候に恵まれ、豊かな土壌と、海の幸に恵まれ、交易はわずかでも充分に国は潤い平穏そのものの月日を送っていたのだ。
 だが、アンナの一族が〈先読み〉を告げ、ダーナンの魔道士たちがシルク・トトゥ神の転身人誕生のの予言を広めた日から、またアウシュダールがリンセンテートスでシルク・トトゥ神の転身人として人々にその力を示した日から、すべては変化しはじめた。
 この数年間、ラーサイル大陸の諸国の目は、この南端の小国に注がれた。
 他国からの来客があること自体、珍かったこの国に、今は訪問客が後をたたない。
 ナイアデス皇国、リンセンテートスといった国はもちろん、小国と呼ばれる諸国の王侯に連なる子息や関係者たちに至るまで一巡と間をおかずに姿を見せるようになっていた。
 彼らが求めるのは、一様にしてアウシュダールの〈先読み〉。
 当初は転身人と噂のアウシュダールの存在を確認しようと挨拶という名目で訪れる者がほとんどだったが、接見できたものは一人も漏れずアウシュダールの存在にひれ伏し、魅了され、心を奪われていった。
 特に、アウシュダールが何気なく会話に加えた言葉が、のちに彼等にとって極秘にすべき国情であったり、解決策であったことを帰国後になって知る者、また〈先読み〉の的中を目の当たりにすることで「転身人」としての存在を実感し、畏怖するようになった。
 そのアンナの一族さえしのぐとされる〈先読み〉を求めて、ラーサイル大陸の諸国の王たちは競うようにこの辺境の地へと押し寄せ始めた。
 内容も、飢饉や疫病、自然災害からの解決方法、神の怒りを静める方法、内乱や後継ぎ問題、近隣諸国の脅威から逃れる手立て等、絶対に他国にもらすべきではない国秘話までが、アウシュダールを前では当然のことのように語られる。
「弟君のアウシュダール殿下は、まことシルク・トトゥ神の転身人であらせられる。今後ともわが国と一層親密に願います」
 テセウスに挨拶に訪れる人々は、神妙な面持ちと畏敬の念をこめて感嘆のため息、大賛辞の言葉を告げては、帰国の途についていった。
 また、はるばるミゼア砂漠、エーツ山脈やニュウズ海洋を越えて訪れる者達の中には、数名の供のものを残して長逗留を決め込むものさえ出始めていた。
「各国ともに、招かざる客人。客というよりもおしかけ居候状態ということはご自身でわかっておられますから、こちらの行き届かない点や不自由なことがあっても表立っては文句も言わずに、こらえられていらっしゃいます。たいそうな手土産も持参してくださっていますし、財政的にはいまのところ問題はありません。警備体制に関してと、侍女たちから人出が足りないと悲鳴が出ていましたので、そちらは手配いたしました。陛下が一番懸念されているのは、これら国交を正式に結んでいない国々との交流に関する噂が、かの大国の耳にはいることでしょうか?」
 アウシュダールは、テセウスの執務室を訪れてにこりと微笑みながらそう口にした。
「アウシュダールの力を利用して、わが国がなんと大陸制覇するというような噂が大陸中を流れたらしいからな。せめて諸国にあらぬ不安や脅威を与えないようにと努めてきた。アウシュダールの力を、戦ではなく、各々の国が国民のために役立てたいというならそれも間違ってはいないだろう。内々に国交を正式に結ぶための約定書は交わしてもいる。決して、大国にたて突くような問題でもないし、隠しているわけではなく、報告する必要もない。それでも、特にナイアデス皇国の耳に入れば良い気分ではないだろう」
 ゴラ、セルグ、リンセンテートス、さらには遠くリアドからも、アウシュダールを求めて使者をはじめ、少しでも関係を結ぼうと王の直系や縁戚にあたる子息、息女たちが内密に訪れている。
 各国とも人選に関しては、人物を厳選し、王や皇太子といった目立つ人物ではなく、自国の諸行事に長期の間参列をしなくても目立たない縁戚や側妃の子供など選んで送り出される場合もあった。
 そして時には、ノストールを訪れている互いの存在を知ることもあり、それに気がつくと、他の国には負けまいとアウシュダールのご機嫌取りに競い合いだす始末だった。
 幸い、アウシュダールがその予兆の段階で戒め、些細な揉め事が起きれば〈先読み〉は二度とないことを申し渡しているため、問題らしい問題はまだ起きてはいない。
 しかし、ノストールを訪れる国の者達は、アウシュダールやテセウスに気に入られようと、母国の高級な食べ物や織物と自国の自慢の産物を運び込ませるところもあり、熱の入れようは目にあまるものになりはじめていた。最近では結婚相手に自国の姫をと肖像画があふれるほど運び込まれる始末だった。
 そんな話が、同盟を結んでいるナイアデス皇国の知るところとなれば、アルクメーネとフェリエスの妹の縁談を風に乗る羽のように気づかぬうちにかわしてしまった過去があるだけに、関係が悪化しかねなかった。
 テセウスは今のノストールの状態を危惧している。
 ダーナン、ナイアデスは今もってアウシュダールを自国に招聘したいと度重なる正式な使者を送ってきており、ナイアデスに到ってはアルクメーネの次にクロトの留学を望んでいる。
 クロトを出せば、順番からいってアウシュダールの留学が求められるだろう。
 アルクメーネ、クロトを出してアウシュダールを出さないといえば、いたくもない腹を探られる事態になりかねない。
 かといって、アウシュダールの力を覇権に利用したいと考えているナイアデスに差し出すような真似は絶対にしたくはなかった。
「兄上の御心配事、間もなくナイアデス皇国の皇帝の耳に入るでしょう。それは、私の目にははっきりと見えています」
 アウシュダールは、瞼を閉じると、厳しい言葉とは裏腹に、可笑しそうに口元に笑みを浮かべた。
「ですが、なにも心配はいりません。兄上。ナイアデス皇国がわが国と諸国の行き来に気がついたとしても何もできません。それどころか、私たちには構っていられない事態に直面します。他国のことに口を出してはいられない深刻な事態。そう……」
 アウシュダールの顔から表情が消え、能面のような表情に変わる。
〈先読み〉が突然起こったようだった。
「あの美しい水の都に毒が染み込んでくのが見えるのです。
 一滴、二滴……とそれは天から注がれる……
 透明な黒い雫。
 時の王も、
 魔道の者も、
 ましてや転身人でさえ気がつくことができない甘美な毒の雫。
 ナイアデスの大地は毒で麻痺をはじめる。
 いや、すでに染み込んでいる色が見える……」
 テセウスは、背筋に鳥肌がたつのを感じた。
「ナイアデス皇国に何かが起きると?」
「はい。国全体を巻き込むほどの事態が起こります。ですから、わが国の噂が耳に届いたとしても、私たちは何も心配することはないのです」
 執務室の椅子に座っていたアウシュダールの瞳が開き、いつにもまして気遣わしげにテセウスを見つめる。
 それは、テセウスの心配事をひとつ残らず読み取ろうとしているのだろうとテセウスは解釈していた。
 だが、そう考えようとしている自分とは裏腹に、リンセンテートスからノストールに帰還してからいつしか、アウシュダールの〈先読み〉を違う意味で畏れている自分を感じていた。
 それは、転身人となったアウシュダールに畏怖を感じているのか、〈先読み〉そのものを畏れているのか、自分にもわからない漠然とした感覚だった。
 アウシュダールが、兄弟の中でも特に自分を慕っていることは間違いのないことだと思っている。
 転身人として天候さえ操る巨大な力と、〈先読み〉の出来る能力を目覚めさせ、圧倒的な存在感を知らしめながらも、その力を国を守るほうに使い、決して覇道や欲望のままに行使することはなかった。
 他の国の災難に心を痛めて、援軍として転身人の力でリンセンテートスのビアン神の怒りを鎮め、国に帰ってからは、大地震のために被害を受けた被災地の復旧に力をつくしてくれた。
 また、兄弟に対しては末弟としての立場を守り、どのようなこともテセウスに判断をゆだねている。
 年齢は幼いといえど、その知略、実行力ともにテセウスを凌駕していることもわかっていた。
 その為、アウシュダールを王にと押す声があってもおかしくないのに、テセウスの耳には届いてこないのだ。
 それもまた、テセウスを気遣いアウシュダールが手をうっているのだろうと薄々は気がついていた。
「ですから、今のうちに先日もお話しましたことを進めてはいかがでしょうか」
「『ラーサイル大陸連盟』か」
「はい」
 アウシュダールは、内密の諸国との交流がわかってしまうこと火を見るより明らかであり、ならば、一刻も早く公に交流ある諸国も加えて大連盟を組んでしまいたいと考えているのだ。
 それは、大国に敵対するのではなく、互いの国土を侵略せず、不可侵条約を小国同士が結び宣言することにより、大国がこれ以上無理難題をしかけては、領土を広げようとするのを阻止しようというものだった。
 特にリンセンテートスは、あの砂嵐に襲われた二年間の後、ナイアデス皇国からの援助は途絶え、農作物も不作が続き、国存続の危機に瀕していた。
 アウシュダールは、それを〈先読み〉で知り援助の手を差し伸べたいと、テセウスに申し出、実行に移したのだ。
 当然予想さえしていなかった突然の救援の手に、リンセンテートスは狂喜した。
 しかも、あの砂嵐の厄災は、すべてビアン神から花嫁を奪ったナイアデス皇国のフェリエスが怒りをかったことが原因と多くの人々は信じていたため、諸悪の根源ともいえるフェリエスの実姉のセラ王太子妃、クラン王太子、そして花嫁を譲り渡したラシル王の暗殺が計画されていたのだが、アウシュダールは、それらを看過し、ラシル王を暗殺の危機から救い出した。
 他国の窮状を見通し、わざわざ救いの手を差し伸べたアウシュダールの話は、まことしやかに特に小国の王族の間に、様々なエピソードや誇張を加えて広がっていった。
「アウシュダールの考えには私も賛成だ。次の会議でみなの承認を得よう。それから、連盟に名を連ねる国のことだが……」
「承知しております。母上の祖国であるエルナンには真っ先に使者をたてましょう。アマリエ殿の件もありますしね」
 近々アルクメーネに会わなくてはと考えながら、テセウスは、ナイアデス皇国から帰国後のアルクメーネの変化に思いをはせる。
 ナイアデスに一年もの間いたのだから、それなりに鍛えられ、考え方に変化、成長があるのは当然なのだが、時に途方にくれたような表情を垣間見せることがあった。
 それも、二人きりで話をしているときに、何かを言いかけては「くだらないことですので……」と、止めてしまうのだ。
 話してみろといっても、力なく肩をおとしては切なそうに遠くを見る。
 エルナンのアマリエと婚約を望んでいると言い出した時は驚きもしたし、喜びもした。
 近い将来、ノストールの王位を継承するアルクメーネと婚姻すれば、エルナンの当初の予定通りアマリエはラウ王妃となり、テセウスとの破談は帳消しになる。
 危うく入りかけた亀裂もおさまり、同じ海洋を有する海岸続きの両国はさらに強い絆で結びつくことになる。
 だから、アルクメーネがナイアデス皇国に想い人が出来てその身を案じているというような下衆の勘ぐりはふさわしくないとも思う。 ましてやナイアデスに魅了されたようにも思えなかった。
「大国になりすぎた国は、王や諸侯は日ごと晩餐会に明け暮れ、自らの足で自国の民の様子を見ようといたしません。民が納める税の額だけに関心をもっているようにみえます。領地により、同じ国の民でありながら差別が激しすぎます。父上がご健在の頃、幼少の私たちを一つでも多くの町や村に連れて行ってくださり、見聞させて頂いた理由がよくわかりました。私はナイアデス皇国に留学し、ノストールの良さを学びました。またそうした国を築いて下さった代々の王を誇りに思えました」
 力強い瞳で語る姿に、頼もしくさえ思えた。
 だが、何があったのか。
 必要な報告や意見はすべて聞いたはずだが、テセウスは、アルクメーネに王位を譲る準備を密かに進めつつも、そのなにかが常に気にかかっていた。
(いつもなにを言いかけていたのか、聞かないといけない。一度、ゆっくりと話をする時間をつくらないといけないな……。アルクメーネだけでなく、クロトとも……)
 ふと視線を上げると、まっすぐに自分を見つめるアウシュダールの輝く瞳と出会う。
 ゆっくりと微笑を返しながらテセウスは椅子から立ち上がる。
 ノストール王国の神の転身人。
 誰人からも仰がれ、称えられ、望まれる偉大なる存在。
 だが、テセウスの考えていることは読み取れないらしかった。
「お疲れなのですか? ほかにご心配なことがありましたら言いつけてください。それとも体調がお悪いのですか」
 アウシュダールは心配そうな表情をうかべ、テセウスの前に歩み寄ってくる。
「熱はないのですか?」
 白い手がテセウスの額に触れようとした瞬間、テセウスは反射的に立ち上がると、アウシュダールの両肩に手を置いて、力なく微笑んだ。
「大丈夫だ。寝てしまえばまた回復する。ここのところの来客続きで、目を通していない書類が山積みだ。アウシュダールはもう休みなさい」
 テセウスはそう言ってアウシュダールを送り出すと、執務室の椅子に戻り、書類に目を通しはじめた。

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