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第二十一章《 絆を結ぶ者 》

 気を狂わせるような男の絶叫の嵐がピタリと止んだとき、ランレイに支えられるようにして立っていたラウセリアスは、あまりの静寂さに恐る恐る仲間の名を呼びかけていた。
 だが、意識を失って倒れているのか、ルージンたちからの返事はない。
「ジーンはどうした?」
 その問いかけにランレイは、ラウセリアスの手をそっと取ると自分の頬に当て顔を左右にふった。
「気を失っているのか? 違う? では、どこかへ行ったのか? まさか……あの声のもとに?」
 ランレイが反応しないのは、ディアードのいる場所に向かったということなのだとラウセリアスは確信する。
 だが、目を失ってもすべてが見えていた以前とは違い、まったくの盲目状態のラウセリアスは誰かの導きがなくては、一歩も先に進むことは不可能だった。
 唯一、意識を失っていないランレイは、ラウセリアスの「一緒に探しに行ってくれ」という言葉を頑なに拒み、微動だにしない。
 どれほどの時間が経過したのかもわからない。
 ただこうしてここで待つしかないのだろうかと、歯がゆく痺れを切らし始めたとき、室内に灯されていた蝋燭の炎が風もないのにすべてかき消えた。
 光の濃淡はだけはおぼろげに感じられるラウセリアスは異変を感じて、ランレイを守るようにその肩に手を添えた。
――ラウセリアス……
 突然、名前を呼ばれた。
 ラウセリアスは息を飲んだ。
 それは、忘れることのない懐かしい声だった。
「父さん……?」
――お前のために生き続けたことが、かえってお前を苦しめる結果となってしまった。
 その声は、穏やかで力強いラウセリアスの尊敬する大好きな父のものに間違いなかった。
 いつも自分を守り続けてくれた父ディアードの姿が、鮮やかに光を失ったはずの視界にはっきりとよみがえる。
――だが、逝くことがお前のためだと知らされた。わしの主人が自らこの魂を迎えに来てくださった。だから、わしのことは気にしなくていい。そして、自分を信じて生き続けなさい。
「どうして? 一体なにがあったと……:」
 父の出現と言葉が何を意味することなのかまったくわからず呼びかけようとしたが、父の気配はすでに消えていた。

 失月夜に自分を洞窟に閉じ込め「魔眼」の犠牲になった父がいた。
『ほら、見てみろ、お前の目は魔眼なんかじゃない。わしは生きているだろう』
 朝になり、意識を取り戻したラウセリアスに父は最初にその言葉を告げた。
 だが、自分を覗き込んでい目の前の顔は、父だった人の面影が残ってないほど、倍近くに大きく膨らみ、異様に光る眼差しをもった目でラウセリアスを見ていた。なのに、大きく見開いたままの眼球は、目の前のラウセリアスではなく、どこか遠くを見つめ、話しかけているようだった。
 その体は日がたつほどに衰え、骨と皮となり、やがて腐臭を放ちはじめた。
 その時になって、父の体がすでに死んでいるのだと知った時、ラウセリアスは恐怖に襲われて、父であるその体を置き去りにして逃げ出していた。
 一人きりの時間の中で、父をそのような姿に変えたのがほかならぬ自分だとわかった時の恐怖は同時に絶望を知った瞬間でも合った。
 物心ついたとき目の前にあったたくさんの死体の中にいた自分の姿を、光景を思い出したのだ。
「魔眼?」
 父をも殺す悪魔が自分の中に宿っている。
 それに気がついたとき、ラウセリアスは自らの死を決意した。
 だが、死は彼を拒み続けた。
 なにをもってしても死ぬことのない体に。
 その日から、生き続けることが地獄の日々に変わった。
 だから、ルージンとセインと出会い、彼らが仲間として受け入れてくれたとき、ラウセリアスは死して生き続ける父の生きた遺体を、仲間の手を借りてひと目にふれない洞窟の奥深くに運びこんだのだ。
 だが、それもまた自らを苦しませる結果となった。
 自分のために魔道の術に身を落とした父から逃げた自分を、自分の中の声が責め続けた。
 父に死んで欲しいわけではなかった。
 ただ、父をあの異様な姿に変貌させてしまった自分が許せなかったのだ。
 禁忌の術にまで手を出させ、魂を犠牲にしてまで自分を救おうとしてくれた父その思いにまったく気づきもせずにいた自分自身が許せなかった。
 そして、そうまでして自分にしがみついて生きている父の強い思いから逃げたかった。
 生きた屍の父を捨て去ることも出来ず、そばにとどめることもラウセリアスには出来なかった。
 最後は、《ルーフの砦》の縄張り内であるこの洞窟の中に置き去りにしたのだ。
 いつか、気がついたら安らかな死を迎えいてるのではないか、そうあっていてほしいと毎夜祈り続けながら。
 いま、ラウセリアスは、まごうことなき父の温かな言葉を聞き、心から許されたような気がした。
 すべては、いつもと異なった奇妙な失月夜がもたらした奇跡のようだと思えた。
 気が抜けたように立ち尽くすラウセリアスは、奥のほうから小さな足音が近づいて来るのを耳にした。
「ジーンか?」
 歩きだすラウセリアスを、ランレイが支え、今度はしっかりと誘導をしてくれる。
 足音は徐々に近づき、ラウセリアスは早足となり急ぐように出迎えた。
「ジーンだな? 怪我はないか?」
「うん」
 何があったのか、すっかり打ちひしがれてしまっているルナの様子に、その理由を聞いてよいものか迷いながら、ケガはないかとその肩、顔、髪に触れて確認する。
 その時、ラウセリアスはある違和感に気づいて、ルナの額を、それをかたどるようにゆっくりと触れていった。
「こんなものを……していたか?」
 ルナの額に平打ちされた薄い輪状の何かがあった。
「何?」
 ラウセリアスの止めた指先に触れるように、自分の額に手をあてたルナは一瞬動きを止めた。
「?」
 こんどは両手で自分の頭を包むように、額から後頭部にかけて確認していく。サークレットのような何かが確かについているのがわかる。
 それは不思議なことに外してみてみようとしても、外れず、まるで体の一部のように違和感そのものがまったくなかった。
「一体、なにがあったんだ?」
 いぶかしげなラウセリアスの言葉に、ルナはさっきまでいた父の姿を思い出す。
 そして、最後に父が自分の頭を包むように触れたことを思い出した。
――父上?
 ルナは、自分の頭部についているものが何か一刻も早く知りたくなった。
 父はなにかをルナに残したのだ。
 外に出て、水面に顔を映してみたかった。
「早く」
「うん?」
「早く、外に出て確かめてみたい。これが何か知りたい」
「そうか……。その、もう、いいのか? 会えたのか?」
 探るようなラウセリアスの言葉に、ルナは改めてディアードの息子であり、言葉に言い尽くせぬほどの運命を背負って来た人物のあまり表精のない端正な顔をまじまじと見つめた。
「もう……終わったから」
「そうか……」

 ルナは数奇な運命を背負ったラウセリアスに、ディアードのどこまでを伝えるべきか迷っていた。
 すべてを話せば、自分と一緒にノストールに行ってくれるのかもしれない。
 だが、それはラウセリアスを《ルーフの砦》の仲間から引き離すことになる。
 それに、彼の身分を回復させる力はルナにはない。兄たちに父の想いを伝えることも、アウシュダールがいる以上は叶わないだろう。
 きっと入国が発覚すれば捕らわれてしまう危険の方が大きい。
「あとで話す」
「ああ」
 互いに、それ以上言葉を交わすことはなかった。
「済んだのなら、戻ろう。倒れているルージンたちを起こさないといけない」
「そうだね」
 ルナは光の中でやがて見ることになる銀冠に、何度も確かめるように触れながら、ゆっくりとうなずいた。
「もう、ここには何もないから」

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