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第二十一章《 絆を結ぶ者 》

 襲いかかる悲鳴の前に、ルナは意識を手放しかけていた。
「父上ぇ……」
 噛み締めた奥歯から絞り出すように父の名を呼ぶ。
――ごめんなさい。父上……ここまで来たのに。ごめんなさい……。
 絶命するときのカルザキア王の優しい眼差しが蘇る。
『不思議だな……アウシュダールよりも……お前が愛しかった……』
 その言葉が支えだった。その言葉だけでここまで来られたのだ。
「父上……」
 目の前が真っ白になった。

 気がついた時、ルナは洞窟ではないまったく別の場所に立っていた。
――?
 白い朝もやが立ち込める懐かしい風景がそこにあった。
 見覚えのある居城。
 幼い心に深く刻まれ、忘れることのなかった故郷ノストールの風景が広がっていた。

 城のそばの木陰に、二人の少年の姿があった。
「お前だけでも残っていいんだぞ」
 十歳前後の茶色い髪の背の高い少年は、自分の前に立つ黒髪の少年の両肩に手を置いて、心配そうに顔をのぞき込んでいた。
 服装から二人とも貴族の子息であるのがわかる。
 ルナはその茶色い髪の少年を、初めて見るはずなのに、とてもよく知っている人物であるような気がした。
 知っているというより、不思議と懐かしい感惰が沸き上がる。
「ありがとうございます。ですが、やはりそれは無理なことでしょう。殿下のお気持ちは身に余るほど本当に嬉しく、もったいなく存じますが、私は一族と運命をともにするより道はございません」
「私が大人だったら良かったのに」
 殿下と呼ばれた少年は、悔しそうに唇を噛み締めた。
「許してくれ、陛下は……祖父がなぜ今まで忠誠を示し続けてくれたお前たち一族を追放するなんてことを言い出しのか、わからない。けれど、私はお前の父が間違ったことを言う人間ではないのを良く知っている。父上も苦しんでおられる。許してくれ……ディアード」
 ルナは身体を硬直させ、瞬きをした。
――ディアード?
「お顔をお上げください。殿下と共に過ごすことのできた日々は私の誇りです。一生の大切な思い出となります。生きる力となると信じております。いつでも、どこにいても殿下が良い王になられることをずっと願っております。ノストールは、ラウ王家は殿下がいらっしゃる限り安泰です」
「すまない。本当になにも出来ない自分が悔しい。約束する。私が王位を継承したら真っ先にディアードの父の名誉を回復して、お前達一族を呼び寄せる。その時は帰って来てくれるだろう?」
「ありがとうございます。父が聞いたなら泣いて喜ぶと思います。ですが、叶わぬこともあります。けっして、私たち一族のことで殿下がお苦しみになられませんように。殿下がそう言ってくださっただけでも十分です」
「すまない……」
 二人の少年は抱き合って涙を流し、そして別れを惜しむようにしながらも、別々の方向へと消えて行った。

――父上と……ディアードが別れた日にいるの?
 ぼう然とした表情でルナは信じがたい光景を目にして立ち尽くしていた。
 が、次の瞬間にはまた別の光景の中に自分がいることを知る。

 そこにはディアードの成長した姿があった。
 一族と共に長い放浪生活の果てにたどり着いた大地に身を落ち着け、村を築き、逞しく生きている様子が伺えた。
 だが、次に訪れた場面では村が疫病と飢饉に見舞われ一族の大半が死んでいった悲惨な光景が目の前に繰り広げられる。
 やがて住み場所を追われ、わずかな親族の者と身を寄せ合いながら安住の地を求めて旅を続ける日々。
 そこには、やつれ果てたディアードの顔があった。
 旅の中で彼はある女性と出会い、夫婦となり、子をもうけた。
 ディアードは苦しいだけの日々の中でも、なんとか人並みのささやかな幸せを手にいれたように感じていた。.
 だが、彼が長旅の商用を終えて、町に戻って来た失月夜の翌日、悲劇は始まった。
 小さな町のいたるところに、人々の死体が点々と転がっていた。
 苦悶に呻き狂死したとしかいいようのない形相が天を仰いだまま横たわっていたのだ。
 何が起きたのだろう:
――家族は?
 ディアードは家族の身を案じて走り出し、わが家の中へと飛び込んだ。
 彼はそこに、幼いわが子が泣きさけんでいる姿を見つけた。
 最近やっと伝い歩きが出来るようになった可愛い盛りのわが子を。
 しかし、妻の姿も、一族の者の姿はどこにもなかった。
 被害を免れた町の人々は、皆何が起きたのか知らなかった。
 ただ、「家の外には出るな!」と、絶叫する声を聞き盗賊団が襲来したのかと慌てて施錠をして家の中に閉じこもり、騒ぎが静まるのをひたすら待っていただけだと、彼に話した
 数年後、ディアードは「魔眼」をもつ自分の息子の存在に気づくことになる。
 商売の為、息子を残して出歩くことも多かったディアードは、次の失月夜の翌朝、あの時とまったく同じ光景に出会うことになる。
 苦悶の形相で死んでいる人々の死体。その死体に埋もれるようにしてひきっつたように泣き叫ぶわが子の姿を。
 助かった人々はディアード親子を町から追い出した。
 最後に町の男達は恐ろしいものを見るように彼の息子を指差して、叫んだ。
「失月夜、おまえの息子の面倒を見てくれていた面倒見の良い隣人の家から恐ろしい悲鳴が上がったんだ。その声に駆けつけた町の人間は次々と狂死していった。なのに、翌朝、お前の息子はその死体の中で笑っていたんだ」
 ディアードはその時はまだなにが息子の身に起きているのかわからなかった。
 ただ、失月夜に恐ろしいことが起きることを、数年前の出来事と重ね合わせて、受け入れざるを得なかった。
 次の失月夜を迎える前に、なんとかその「異変」の真実を知り、封じる手立てはないものかと、放浪の旅の中で捜し求めた。
 やがて、失月夜に人間を殺戮する妖獣が太古に存在したという物語を耳にし、ディアードはその話に関心を持った。
 妖獣に詳しい語り部たちを探し、「失月夜」の夜に現れる「魔眼」をもつ妖獣の話を聞き漁った。

 「失月夜」
 アル神が夜の世界からかき消える夜
 息をひそめし「魔眼」が目をさます
 それは盲目の神・ターヤから瞳を奪いし 妖獣ゼスカの仕業か
 夜と闇を司りし神・ゼナを裏切った 呪いの神・モームの使い妖獣か
 さなくば 神を恐れぬ人間への鉄槌か
 「魔眼」
 失われたあの神の眼差しを見よ 
 そも神を裏切りし呪いの瞳
 神を裏切りし人間を罰する瞳
 「失月夜」
 「魔眼」は目覚め
 あまたの死を渇望する 流血の大地に微笑みかける
 神の手より離たれた妖獣
 悪魔の使い

「魔眼」の話を聞くたびに、ディアードは自分の体温から温かみが失われていくのを感じた。
 失月夜と悶絶した人々の様子、ひとつひとつが符合していた。
 信じたくはなかった。
 だが、失月夜に生きのびた町の人々は、直接その様子を見たわけではない。
 叫ぶ声と驚愕した形相のまま死んで行った死体の中心に、幼い子供のがあったということだけ。
 夜になると恐怖にうなされ「死なないで」「僕の目を見ないで」「助けて」とうわごとを繰り返す息子の姿があるだけだった。
 ディアードは自分の目で確認せざるを得ないと決意をするに至った。
 そして、三度目の失月夜が訪れないうちに、人里離れたラウル山の奥深くに身を潜め、父と子二人だけの生活を始めたのだ。
 同じ頃、ノストールの人間が自分を探しているという噂を耳にしたが、彼はカルザキアが王位についたことを影で喜びながら、その使者の前に姿をみせることは決してしなかった。
 息子の「真実」を確認するまでは、だれ人とも会わせまいと決めていたのだ。
 また、同時に彼は失月夜に備えて、出来る限りの様々な呪術を死に物狂いで学んだ。
 仮に「魔眼」を持つのならば、それを封じたかった。
 しかし、それさえも出来ないのなら「禁忌の術」に身を投じる覚悟をも決めていた。
 そして遂に、巡り来た三度目の失月夜、彼は息子に宿る「魔眼」と対峙することとなる。
 ディアードは、恐ろしい光を息子の瞳の中に見てしまう。
 禁じられた術を行使するしか、彼にはもう道は残されていなかった。
 愛する息子ラウセリアスのために

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