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第二十一章《 絆を結ぶ者 》

 ルナはしばらく放心状態でいた。
「父上が……いた」
 我に返ると暗闇の中で自分の置かれている状況を思い出す。
 ディアードの身に起きた様々な事態は想像も出来ない衝撃的なことに違いなかったが、いまのルナは懐かしいノストールで幼い日の父の姿と出会えことが不思議であり、嬉しかった。
 悲鳴はいつしか止んでいた。
 けれど、ルナの体は今もって鉛のように重いままであり、見えない圧力が前に進む行為を阻む。
「ディアードが待ってる……父上、力をください」
 ルナは自分が彼のすぐ近くまで来ていることを不思議と確信していた。
 重く力のはいらない他人のような体を気力だけで立ち上がらせ、壁に体をあずけながら、一歩、一歩と歩みを進んで行く。
 呼吸さえも苦しく、一歩進むごとに崩れ落ちそうになる。
 それでも会わなくてはならなかった。
 ルナは、知ったのだ。
 ディアードは、わが子の為に生き続ける道を選んだことを。
 その為に、「禁忌の術」を知る魔道の者と契約を交わした。
 もしも「魔眼」と出会うことがあった場合、「その瞬間」に自らの魂をその者に捧げることを。
 契約者が生き続ける限り、ディアードは何が起きても生き続けることができる。
 その代わりに、契約者の病気も、怪我も、罪さえも、自らの魂が引き受けるのだ。
 わずかな「不死」を得る為に、この洞窟の奥に何年もの間置き去りにされながらも、彼は生きているはずだった。
 既に彼の全身は生きながら屍となり、腐敗しているだろう。
 これから出会うディアードは、おそらく生きているとは言いがたい姿であるようにルナは思えた。
 さらに息を切らしながら壁伝いに歩みを進め、ルナは足元に広がる奈落を思わせる急な斜面の縦穴の前にたどり着いた。
 異様な悪臭が鼻をつく。
――ここだ。
 ルナは落ちたら最後、上れないのではないかという穴の中へとゆっくりと足を伸ばした。足場はなく背中からズズズッと全身が奈落に吸い込まれるように落ちて行く。
 なんとか足が底に着地したとき、鼻先さえも見えない漆黒の闇の空間に、ルナは目の前に続く通路のとその先に、小さな部屋のような空間があるのを見ていた。
 奇妙な遊離感は、目を閉じていても洞窟の中がはっきりと見える今の状態と関係があるのかもしれなかった。
 ルナが真っ直ぐにそこへ向かおうとしたとき、再び男の呻くような苦悶の叫びが響き出した。
 あらゆる者の侵入を拒む叫び。
 悲痛な心を締めつけるような、えぐるような洞窟中に響き渡るような絶叫。
「父上……」 
 ルナは息も絶え絶えになりながら、全身を打ちなぶるような絶叫にその身をさらしながら、その空間へとたどり着いた。
 一段と深まる闇があった。
 そして、その深淵を思わせる闇の中に声の主はいた。
 恐怖に大きく目を見開き、恐ろしい声で叫び続ける、床に転がった男の頭部だったもの。
 そばには腐食した酒樽が転がり、大きなさけ裂け目からは、布と白骨が散乱していた。
 ルージンたちが樽で運んだ者こそ、ラウセリアスの父ディアードだったのだ。
 頭部だけが生き続けていた.。
『死なない・・…・わしは……お前の眼を見ても、決して死にはしない…-』
 悲痛な叫びの中、息子の為に生き続けると決めた父親の壮絶な想いが矢のように心に突き刺さる。
 ルナは唇を噛み締めた。心が痛くてちぎれそうだった。
 この人をどうしたら助けて上げられるのだろうかと思うのに、なにも出来ない自分に悔しい思いで立ち尽くすしかなかった。
 ディアードは、目の前に立つルナに気づいてもいなかった。
 おそらく、彼は十数年も前の失月夜に出会った息子の「魔眼」と対時し続けているのだろう。
『死なぬ…-死ぬものか-…』
 叫びの中から訴えてくるその声は、息子の苦しむ姿を救ってやりたいと願い続け、文字通り血を吐く思いを体言している父の姿があった。
「ディアード」
――デイアード。
 ルナが一歩進み、ディアードに勇気をもって語りかけたとき、自分の声とは違う、別の声が重なるように呼びかけたのを知ってルナは視線をさまよわせた。
「父上……!」
 目前に、父の姿が現れた。
 カルザキア王は、ディアードの頭部を抱き上げると、真剣なまなざしで呼びかけた。
――約束どおり、迎えにきたぞ。
 その瞬間、頭部だけだったはずのディアードの体が蘇り、カルザキア王の前に片足を膝を地につけもう片方の膝に腕をおき、深々と頭を垂れている姿があった。
――カルザキア様。
 ディアードは、恐る恐る顔をあげてカルザキア王の顔を見つめると、自分の身になにが起きたのかわからないようにうろたえていた。
――わしは……なにを-…。
――迎えに来た。よく耐えて、よく生き抜いてくれた。来るのが遅くなってしまった。その分苦しませてしまったな。すまなかった。
 カルザキア王は、ディアードの手を取るとゆっくりと立ち上がらせる。
――おまえも、おまえの息子も苦しみ続けた。だが、今はおまえがその体で生き続けることがあの者をより苦しめている。想いは届いておる。心配はない。
――しかし……この魂は既に他の者と契約を交わし、ゆだねております。望んだところで自由は得られません。叶えられません。
――だから私が迎えに来た。なにも心配はするな。約束を守らせてくれ。
 子供のような表情で、困惑するディアードの両肩に手を添え、カルザキア王はゆっくりとルナに視線を向けた。
――よく約束を守ってくれた。
「父上……」
 カルザキア王はぼう然とたたずむルナにゆっくりとあたたかくほほ笑みかけた。
――父として、誇りに思うぞ。
「父上」
――この者は連れて行く。お前の手を貸してくれるな。
 父はそう言うと、今は眼を閉じた穏やかな表清のディアードの頭部をルナに差し出し、手渡した。
 すると銀色の目映い輝きがルナの両手から輝きはじめ、ルナは自分の手から放たれる眩い光りに瞳を見開く。
「これは……」
 目を射るような冴え冴えとした光は強さを増し、やがてうっすらとした明るさだけを残して、ディアードだった頭部とともに消えていた。
 光の消えた後、ルナの手の平には、かつて父から託されたノストールの王位継承のアルディナの銀の指輸が輝いていた。
 片割れである金の指輪は兄テセウスのもとにあるが、銀の指輪だけは光となってルナの中に留まっていたのだ。
「父上、指輪をお返ししなければ……」
 ルナの言葉に、カルザキア王は静かにほほ笑むとその指輪を手に取り、その手でルナの銀色の頭を優しく抱き締めるようにそっと包み込んだ。
 同時に、再び銀の閃光がルナの全身を貫いた.
 先程よりもさらにまぶしすぎて、ルナは一瞬目を閉じてしまった。
 目を開けた時、父の姿はどこにもなかった。
「父上……? 父上?」
 ルナは、愕然として力なく床に座り込んだ。
 父カルザキア王の姿も、ディアードの姿も今いたはずの二人の姿はどこにもなかった。
 まるで初めから、誰もいなかったように、洞窟の中は暗闇と静寂に包まれている。
「父上……父上……」
 ルナは何も話すことも、なにも聞くことが出来なかった自分をどうすることも出来なかった。
 途方に暮れて、ただ父の名を呼び続けることしかできなかった。
 会いたかった。ずっと、会いたかったのだ。
 ノストールでの最後の別れのこと、森で瀕死の状態の自分をアルクメーネの夢に現れて助けてくれたこと。
 報告したいこと、感謝の思いを伝えたいことは山ほどあったのだ。
 父との約束を果たしたとき、自分はこれからどうしたらいいのか、教えてほしかった。
 ずっと父の子として生きていてもいいのだろうか、と。
 母ラマイネ妃や兄のもとに、ノストールに帰ることは許されることなのだろうかと。
 ずっと心の中で問いかけて来たことを父に聞きたかったのだ。
 だが、突然の父の出現と瞬く間の出来事に、ルナはなにも聞けなかった。
「父上ぇぇ……」
 ルナはただ泣きじゃくるしかなかった。

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