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第二十章《 失 月 夜 》

「墓場に行きたいって?」
 見回りから帰ったルナの申し出を聞いたルージンは、やや呆れた感じを含む声を張り上げた。
 いつもルージンたちがいる、通称「参謀室」と呼ばれる部屋にルナは通された。
 ディアードを探しに行くときは、簡単に行き先だけは報告するようにと最初の日に取り決めを結んでいた為、やって来ていたのだ。
 室内にはセイン、リゲルらが木製の大きな円卓に足を投げ出すように座っていた。
「理由は、当然ディアードの手掛かりを探したいから? だよな」
 日に焼けた肌をもつ精悍な碧い瞳のルージンは、沈み行く夕日を背に窓辺にもたれ掛かっていた。 
 ルナがうなずく。
「あそこには、なにもない」
 ルージンのやや傲慢にさえ見える自信に満ちた表情と口調が、きっぱりと断言する。
「あの墓場はただの石置き場みたいなもんだ。人の名前の書いてある石なんざどこにもない。昔から旅の途中で死んで行った人間を弔う。死んでいった仲間を弔う。ただそれだけの墓場だ。行っても無駄なだけだぞ。それとも例の亡霊の噂でも聞いて興味がわいたか?」
「行った人が戻ってこない話も聞いた」
「ああ、あれな」
 ルージンは眉の上を親指の爪で軽く掻きながら、片目をつぶってみせる。
「あのあたり一帯には大蜂の巣があるんだよ。ふらふらいった奴が巣を守ろうと襲ってくる大蜂に刺されて死ぬ。それが行くと死ぬといわれる所以だ。もっとも、そこで死んだ奴の屍はそのままそこに埋めて墓とするから、墓場というわけだ。死人からすれば、いいかげん静かに眠らせてくれと訴えてるようにも思えるけどな」
 ルージンはそっけなくそう言って乾いた笑い声をたてた。
 反対側に座っていたリゲルが、穏やか笑みを浮かべながらルナを見つめる。
「それよりも、ここでの暮らしはどうだ? うまくやって行けそうかい? 活躍ぶりはいろいろ耳に届いてるけどね」
 ルナは、話をすりかえようとしているのを敏感に感じ取って、この話を続けるのをやめた。
 刺されてもいいなら行って来い、と、いえない理由が存在する。
 だったら、あとは行くだけだった。
 その決意を知られないようにルナは、別の疑問を口にした。
「そういえばみんな失月夜を恐れているみたいだけど、どうしてそんなに恐れるの? その日がもう時期くることがわかるの? 失月夜は前触れもなく起きるのに?」
 ルナの口から、「失月夜」と出た瞬間、室内に見えない糸がぴんと張り詰めるた。
 だが、それはほんの一瞬。 
「そりゃあ、不思議だろうな。でもそれはおれ達のみ知る秘密って奴だ」
 セインが椅子から立ち上がり、明るい声で言いながらルナの前までやってくる。
「俺たちだにだけわかる方法があるんだ。でも、それは教えてやれない。残して来た村の奴らはあらゆる神々の突然の怒りに不安になる。特に失月夜の月隠れを初めて見た奴の中には絶望のあまり死んでしまう奴もいるからな。手を打つことは必要だろう」
 少しかすれ気味の声と、人懐こそうな表情がルナをのぞき込み、両肩に軽く手をおく。
 明るくて人懐こい表情は……一番油断が出来ない人物。
 ルナはセインの瞳の奥に、深い闇があるのを見ていた。深い悲しみと怒り。
 それを悟られないように幾重にも様々な顔を作り、明るく人を魅了するような笑顔で心の奥をふさいでいる。
(言ったら怒るよね……)
 いつしかルナは、様々な出会いの中で、他人がつけている完璧な仮面の奥を垣間見てしまうことがあった。
 それは、ルナ自身がジーンとして生き、やがてルナの名を封じられ、ルナ自身が仮面をかぶることを余儀なくされ、兄との別れにもう泣かないと決めた時からかもしれない。
「だから、お前もその夜は早く寝ちまいな。夢を見ている間に朝がくる。それでいつもの日々が続く。悪いが失月夜が過ぎるまで、盗賊稼業も小休止だ。ジーンも月が見えない部屋で悪いが我慢して砦の部屋で寝てくれ。しばらくは、村出身の奴はそれぞれの村へ帰って失月夜が来ることを伝えに出ることになる」
 なんでもないことさと、子供をなだめるように鋭く優しい瞳がルナに笑いかける。
 その時、通路から大きな振動と足音が響いて、背後の扉が大きな音を立てて開いた。
「ルージン、やばいことになりそうだ」
 カイトーゼが現れて、大きな声が室内に響き渡る。
「なんだ?」
 冷静なルージンの声が、興奮状態のカイトーゼに答える。
「デス領際の見張り場が軍に襲われたってよ。たった今、デスの伝文鳥が来た。ほら、これ」
「見せろ!」
 ルナの前にいたセインがカイトーゼに向き直る。
 そして突き出した手に握られていた折り目がいくつもついた紙を受け取ると、広げてそれを目で追い、すぐにルージンに手渡す。
「どうしてデスなんだ。ゴラやセルグの奴らは相手にしてきたが、デスはおれ達の行動範囲外、縄張りじゃない。どうして、デスがでしゃばって来るんだ?」
 カイトーゼは赤みがかかった金髪を両手でぐしゃぐしやにかきむしる。
 デスというのは、ナイアデスの略称だった。 
 《ルーフの砦》が縄張りとして商人や旅人たちを襲う山道は、リンセンテートス、ゴラ、セルグの国境付近のミゼア山中である。
 ナイアデス側には《ルーフの砦》に属さない単独で山賊稼業をいとなむ者たちが多くいるが、ナイアデス側の縄張り――彼らは「デス領」と呼ぶ――は、見張り場を置いてある程度で、襲われるのはお門違いもはなはだしかった。
 考えられるのは、リンセンテートス、ゴラ、セルグの三国のどこかが、または全てがナイアデスに《ルーフの砦》討伐を求めたのではないかということぐらいだ。
 ナイアデスの領地を襲う山賊は多いが、そのほとんどは孤立し徒党を組んだ山賊たちであり、自国の領土以外の山賊退治にナイアデス軍がわざわざ動くとは考えられない。
 軍が動くとすれば、ミゼア山の最も巨大な山賊集団《ルーフの砦》の山賊壊滅が目的なのは明らかだった。
「ここには、見張り場が突然深夜に寝込みを襲われたこと。目的は俺たちのいるこの場所を特定すること。これをよこした奴以外は二、三人を連行し、あとは殺されたと記してある」
「まずったな……」
 ルージンとセインが目を合わせる。
「あそこは商隊も通らない道ばかりだったから、砦に属さない同業者に《ルーフの砦》の縄張りを示すためにつくった、はったりをかますだけの場所だからなぁ」
 ルージンの言葉に、リゲルが感情をあらわさない独特の雰囲気で、唇を指で触りながら目を閉じる。
「見張り場にいた奴らが、口を割ると考える。けれど、ここまでの順路は迷路にしてあるから案内をつけなければ多分簡単にはつかめない。仮にデス軍が総力を挙げれば7日から10日。その間になにが出来るか……」
 リゲルはふと唇から指を離し、何か思い描いたようだがそれを打ち消すように口を結んだのをルナは見ていた。
「何をしている。すぐ動こうぜ! 冗談じゃねぇ! とっととこっちから出向いて、デスだろうが、ゴラだろうがやっつけちまおうぜ。デス軍がなんだっていうんだ。ここは俺たちの縄張りだ。ここを奪おうとする奴等は一人も残さずぶっ殺してやる!」
 カイトーゼがますます興奮して大声でさけぶ。
 だが、セインの声が厳しく響いた。
「敵の人数はどのくらいだ。規模は? 何人いる? 指揮を取っているのはだれだ? 本当にデス軍が動いたのか? ゴラやセルグの軍じゃないのか? どの経路から現れた? 目的は本当に我々《ルーフの砦》か?」
 セインの逆鱗に触れたことを知って、カイトーゼはしまったという表情で固まった。
 セインは自分の無謀な行動から村人や家族を死に追いやった過去を、一度だけカイトーゼに話したことがあった。
――体当たりするのは最後の手段だ。生きたい、守りたいと思うなら、その道をつくれ。あらゆる情報を集めろ。
 あの時、そう言われた。
「すぐに調べろ。相手はデス軍で本気でここをつぶす気ならば、こっちも腰をすえてかからないとならない。デス軍が相手なら人数と勢いで勝てるなんて、甘く見るな。だが、勘違いや思い込みで動けば取り返しがつかなくなる場合がある。リゲルは緊急に情報収集をしろ。カイトーゼはきっちり冷静になって襲った奴らの居場所と移動経路をつかめ。セインは俺と一緒に砦の動きを決める。いいな」
 ルージンは、迷う事なく次々と指示を出していく。 
「ジーンには……」
 ルナに向けられたルージンの目には一瞬ためらいが浮かんだが、彼はひと呼吸おくときまじめな表情を作った。
「悪いがひとつ頼まれてくれ。離れにいっているラウセリアスのところに行って来てほしい」
 その言葉に、部屋の中のだれもがはっと息を呑んだ。
 それは今の高揚していた熱を、一気に冷まさせるほどの効果だった。
「ラウセリアスはいま砦にはいない。少しはなれた場所にいる。そこに行って手紙をわたしてきてほしい」
「わかった」
 ルナがうなずくと、セインが円卓の椅子に座るようにルナの背を押す。
「緊急招集だ。いるやつは全部広間に集めろ。おれ達もすぐに向かう」
 ルージンの大きな声が、再びその場に戦いに向けての緊張感を生む。
「相手は、失月夜が近いことを知らないはずだ。うまく利用すれば、勝算はある」
 リゲルがセインの言葉に目を見開く。だが、カイトーゼを促して部屋を出て行きながら、その言葉ににこりとほほ笑んだ。
「諸刃の剣なんぞつかってたまるか」
 セインが必要な指示を仲間に出しているそばで、手紙を書く為に紙を手にしたルージンはうなるようにそうつぶやいていた。 

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