第十九章《見えざる手》
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あの時のロディの表情を思い浮かべるたびに、ジュゼールの胸は引き裂かれるような痛みを覚える。
苦しみ続けるロディの心情をさもわかったつもりでいた自分にもひどく腹がたった。
その上、ボルヘス前王の病気回復をどこかで嘆いていた自分に嫌悪を感じずにはいられなかった。
(あの時、もっと別の言い方があったのかもしれない)
ロディに「王となって妹を探せばいい」と説得した自分を呪いたい気分になっていた。
ジュゼールは仰向けになった寝台の上で、馬車の中でのロディとの会話と、その寂しげな横顔を思い出しては脱力感に襲われた。
疲れているのに着替える為に起き上がる力も、気力も沸いて来なかった。
「私のせいだ……」
声に出して言うと、その重みはさらに大きな重しとなって自らの心に楔を打ち付けた。
(いや、あの時はそれしか方法がなかった)
「だが……それでも、私の言葉を陛下は信じられた」
顔を両手で覆い、ジュゼールは大きく深呼吸をする。
(あのとき、ああする以外になにができたというんだ……)
責める心と正当化する心が千々に乱れた。
『だれのせいでもないわ』
長い自問自答の葛藤にさいなまれていたジュゼールは、ふとどこからか聞こえて来た声に起き上がった。
いつの間に蝋燭が尽きてしまったのか、部屋は灯火は消えてあるのは暗闇だけだった。
「だれだ?」
ジュゼールは寝台の上で上半身を起こし、暗闇の部屋の中を視線をさまよわせた。
『あなたが言ったことを責める者などこの世界の何処にもいない』
「だれだ……?」
ささやくような静かに響く女性の声は、その問いかけには答えず、さらに、言葉を続けた。
『あなたの行動には私欲のかけらもない。すべてはダーナンの帝王への忠誠心から発せられている行い。それは、疑う余地もない事実』
声は確かに部屋の中でささやいているのだが、人のいる気配はまったくなかった。
暗闇といえど、同じ室内に人がいるのに、武人であるジュゼールに気配が読めないことはありえないはずだった。
『でも……』
声はそう言ったあと沈黙した。
「でも?」
ジュゼールは長い沈黙に耐え切れずに、ひょっとすると声の主がもう室内にはいなくなったのではないかという思いに駆られて、問いかけていた。
だが、声はもうそれ以上はジュゼールに語りかけなかった。
ジュゼールはおもむろに立ち上がると、部屋中を調べるように歩き、テラスの扉をあけた。
しかし、そこに人のいる様子はなく、雲に隠されていた下弦の月明かりがジュゼールを映し出しただけだった。
「空耳だったのか……」
なま温かい空気に触れ、自分を正当化する声を他人の声と思い込むようでは自分も相当なものだとジュゼールは苦笑を浮かべた。
「眠るか……」
テラスから部屋へ入ろうと踵を返し、一歩踏み出した瞬間、ジュゼールは自分の目を疑った。
「な……?」
空気が瞬時に変わっていた。
目の前にあるのはボルヘス王の部屋だった。
蝋燭の灯が心細げに揺れているが、寝息をたてている前王の寝入っている姿以外に、付き添い人の姿はなかった。
ジュゼールは何が起きたのかわからないままに、部屋の中に入る。
そこは、ロディとともに何度も訪れた見知ったボルヘス王の寝室に間違いなかった。
「陛下……」
ロディが帝位につく前は、当たり前のように呼んでいた言葉だった。
ジュゼールが生まれた時、ボルヘスはダーナンの帝王だった。
穏やかな寝息を立てているその顔を見下ろしながら、この前王は何故生きているのだろうとジュゼールは思った。
ほとんどの民は、ボルヘス王が生きていることさえ忘れてしまっている。
ロディが帝王であることを当然のこととして受け止めている。
なのに、なぜ亡霊のごとく今になって目覚めたのだろう……。
いっそこのまま……。
ジュゼールが、微かに心に芽生えた思いがけない殺意にはっとして、目をそらそうとしたその時、ボルヘスの両眼がカッと見開いた。
「……!!」
ジュゼールの息がとまる。
心臓が鋼のように鳴り響き出した。
「申しわけ……」
「誰だ?」
「申し訳ありません」
病人とは思えないほどの迫力のあるボルヘスの問い詰める声にジュゼールは、後ずさりしていた。
真夜中の前王の部屋に、単身忍び込んでいるこの状況はいくらロディの側近といえども言い訳がきかない。
だが、ボルヘスはさらに大声をあげた。
「何者だ? 何をしている!」
「陛下……私は……」
自分でもなぜこうなったのか意味がわからないまま、なんとか前王に自分をわかってもらわなくてはと言葉を続けようとした時、ジュゼールは、自分の体を突き抜けて人影が飛び出していったのを、驚愕の思いで見つめ、立ち尽くした。
ジュゼールが見送ったその影は見覚えのある子供の後ろ姿だった。
その左手には何かが握られている。
「ロディなのか?」
明らかに衝撃を受けたようなボルヘスの言葉が部屋に響き渡る。
「陛下?」
ジュゼールもまた、ボルヘスの言葉にあわてて少年の顔を確認しようと近づく。
そこにいたのはロデイだった。
しかも、十歳頃の少年のロディの姿がそこにあった。
「…………」
目の前のロディは何ごとかをボルヘスに叫びかけ、左手を高々と掲げた。
その手に握られていたのは、鋭い刃を輝かせるを短剣だった。
「陛下、お待ちください!」
寝台のボルヘス目がけてくりだされた剣を阻止しようとジュゼールが飛びかかり、ロディの左腕と体を押さえる。
王の喉元寸前で、刃先は止まった。
「………………!」
ロディはジュゼールに対して何かを叫んでいた。
「陛下……なにをなさるんです」
直前で最悪な事態を止めることができたことに、ほっとしたジュゼールだった。が、次の瞬間、ボルヘスが身を起こし、目の前のロディの心臓目がけて枕の下に隠してあった短剣を取り出すと、深々と突き刺した。
「陛下!?」
ロディを押さえ込んでいた自分の両手をジュゼールは、あわてて離し、崩れ落ちる幼い体を受け止めるように抱き支える。
「陛下! 陛下!?」
「…………」
ロディは苦しそうに顔を歪ませて、口から鮮血を吐き出した。
「陛下――!」
テラスの外から差す半月の月明かりが、少年から大人のロディの顔へと変わって行くのを照らし出す。
ジュゼールの腕の中には、二十二歳のロディの骸が横たわっていた。
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