第十九章《見えざる手》
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ロディと正妃ミア・ティーナの居城ミア・ソフィーニ宮殿。
名前のとおり、后の名の一部を冠した帝王夫妻のために建てられた新居であり、人々の前にいまも姿を見せることのないミア・ティーナが住まう宮殿であった。
ロディは十日に一度、この宮殿をたずねた。
そしてその際、供をするのは必ずジュゼールか、カラギであり、リリアをつれてくることは一度としてなかった。
その夜もロディは、ジュゼールをともないミア・ティーナのもとを訪れた。
だが、そのジュゼールさえいまだにミア・ティーナの素顔を見たことがないのだ。
食事はともにするのだが、長年明かりのない塔で暮らして来たミアのために、宮殿全体は窓も少なく、うす暗い感じの造りとなっていた。
晩餐のときも、部屋の四隅と食卓の燭台に各一本の蝋燭の火が揺れているだけで、ジュゼールは目の前に燭台がなければ食事もまともに出来ない暗さに、毎回、苦痛さえ感じていた。
その為、長い食卓の一番奥に座っているミア・ティーナの顔を見ることがは適わなかったのだ。
これほど暗くて警備上問題はないのかロディに聞いたことがあったが、ミア・ティーナの守護妖獣が結界を張っているので、大丈夫だと笑って返されてしまった。
ジュゼールの知っているミア・ティーナは、影のような存在だった。
決して人に話しかけることも、感情をのぞかせることもなく、人としての存在感が希薄な人物だった。
ミアの守護妖獣も、カヒローネの塔で見て以来、一度も見かけることはなく、すべてが謎に包まれていた。
ロディにある日思い切ってミア・ティーナのことをたずねたこともあったが、「人を極度に恐れているから許してあげてほしい。でも、ミアはジュゼールのことは信用しているようだぞ。私以外の人間と食卓を供にするのはジュゼールだけで、カラギはまだ当分は無理のようだから」と、言われてしまったために、その先を言えなくなってしまった。
この夜も、うす暗いほぼ闇の中での晩餐が終わり役目を追えると、ジュゼールは宮殿内に用意されている自分の部屋に戻り、寝台に仰向けに寝転がった。
ロディの配慮で、ジュゼールの部屋にはいくつもの燭台が部屋のいたるところに置かれており、部屋は暖かい灯で満たされていた。
「陛下は、今もご自身でフューリー様をお探しになられたいとお望みなのでしょうか?」
宮殿へ来る馬車の中で、ジュゼールはこの数日胸にためていた言葉を思わずロディに投げかけていた。
「いまも望んでいるか……と?」
ジュゼールの問いかけに、ロディは不思議そうな表情を浮かべた。
「はい」
「…………」
ロディは、ふと自嘲するようにジュゼールから目をそらした。
「望まないで、忘れて、あきらめてしまえたらきっと楽なのだろうけれど……」
ジュゼールは、たとえ長い主従の間柄とは言え、心の奥に踏み込むような問いかけをしたことで、自分がロディの逆鱗に触れるのではないかと内心緊張していた。
それだけに、ロディの寂しげな表情は、気まずい後悔に似た感情をジュゼールに味あわせた。
「わかっている。だれもが心のどこかで私を非難していることなど、承知している。幼い頃行方不明になった一人の王女ために、ひょっとするとすでに死んでいるかもしれない妹のために、まるでそれを口実に戦さを行っているのではないかと、多くの国の民や、諸外国の人々が思ってることぐらいよく知っているよ」
ロディは伏せた瞼の下で、碧い瞳を悲しげに揺らした。
「だが、私があきらめてしまったら妹を救い出す者はいなくなってしまう。私は二人の兄を失った。私と妹を救うために、母は犠牲となった。私の座っている帝王の椅子は肉親の血で染められた椅子であり、多くの戦さで死んで行った民たちの血でさらに彩られた墓石なんだよ。ジュゼール」
呼びかける彼の若き主人は、その視線を馬車の小窓から見える外の景色に注いでいた。
「その私の心の中にもっとも重い根をはやしているのが、フューリーを突然失ったことだ。兄も母も失い、傷ついた心をいやす間もなく妹は何者かにさらわれた。なのにあの時、私がしたことは何だった? 帝王の椅子に座っただけだ。力を得たいと願ったものの、罪悪感が心を支配し続ける日々だった。狂い死んでしまいそうな夜もあった。だから、フューリーの手掛かりが他国にあると耳にすれば、その国を手中にする為に戦さを起こした。多くの犠牲を強いた。私の心と体の中には、そうした戦さで死んで行った兵士たちの、その家族の悲しみや憎悪の血が途切れることなく流れ続けている。フューリーを助け出さない限り、私はこの苦しみから解き放たれることはないんだ」
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