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第十七章《 国境を越える時 》

 〈星守りの旅〉の影守役であるセルジーニは、以前エリルが買い物のために出たテューラの町で、エリルを見かけていた。
 エリルは偶然、ハリアにいた時幼い自分を殺そうとした男ガーゼフを見かけ、後を追ったのだ。
 その屋敷で危うく見つかりそうになり、隠れるために逃げ込んだ部屋でノストール王国のテセウスとアウシュダール、二人の王子たちと会っている。
 セルジーニはその時から、リリーと名乗った青年に関心を寄せていた。
 そのリリーが〈星守りの旅〉のアンナの一人、エディスと出会ったルナを探していると知ったのは、この町にたどり着いて〈先読み〉をした夜のことだった。
 ジーンを名乗るノストール王国の第四王子だったはずのルナ。
 ルナとエディス。
 テセウスと、いつの間にかノストール王国の第四王子として存在するアウシュダール。
 シルク・トトゥ神の転身人といわれるアウシュダール。
 ノストールとリンセンテートス。
 ノストールとナイアデス皇国のフェリエス。
 そして、リリーを名乗る妙なアンナの青年と、ルナ。
 様々なという図式が絡み合い、相関関係がひどく気になって頭から離れなかったのだ。
―― 一度、リリーを名乗るアンナと直接会ってみたい。
 そう思い興味をもち続けていたセルジーニはエリルがドドイの町に近づいたのを知って、自ら会うことを決めたのだ。
 そのためにエディス、マティス、オージーとルナ、ランレイが数日前まで泊まっていたこの宿に移り、仲間のアンナが訪ねて来たら部屋へ通すように宿の主人に言づけていたのだ。

「さっそくで悪いけど、手の平をあわせてくれ」
 セルジーニから手を差し出されて、エリルはごくりと喉をならした。
 それはアンナの一族が、その人物の〈先読み〉をより具体的に行う時の正式な形だった。
「いや……わたしは」
 知っているだけにエリルは躊躇して思わず手を背中に隠そうとしたが、セルジーニはエリルの右手を半ば強引に引き出すと、自分の左手の手のひらにあわせた。
「ちょっと、待って……」
 エリルはあせって止めさせようとしたのだが、セルジーニはそのエリルの水色の瞳を直視したまま、自分の脳裏を走馬灯のように流れ始めた映像に意識を集中させていく。
 セルジーニにとっては時間をかけて話すより、自分の知りたいことを知るもっとも効率のよい方法だった。
 相手が隠したいことさえも、みることが出来るのだ。 
「真の名は……エリル……」 
 セルジーニはエリルの正体を探ろうとした。
 だが、それは、セルジーニが予期していなかった驚くべきエリルの過去と未来に関わるものだった。
 驚きを交えながら見つめていたセルジーニは厳粛な口調で告げた。
「あなた様は長い旅をしてこられました。しかし、国に戻られる時期に入っております」
 その口調がさきほどの乱雑なものから、自然に王族と接するときの厳粛な口調に改まる。
 エリルの顔から困惑の表情が消え、静かな大人びた表情が浮かぶ。

「汝が求め続けし女神の涙
 想いかたどられし誓約の化身
 捨て去りし祖国へ連れ戻されりし時
 真実の姿は闇の妖しの力に支配され
 慈しみの魂は闇に沈みぬ
 崩れし時間を留めるため
 すべてを覆いし白き聖域に封じ込め
 葬られし女神の涙
 ひとたび祖国の大地に降り立つ時
 女神は裏切りの誓約を思い出し
 国を引き裂く刃を大地に与えん
 天変地夭ことごとく招き寄せ
 大いなる災いの元凶となれり
 だが、誓約を再び求めし者
 女神の心なぐさめし慈しみの王
 涙の化身求めて帰還なれば
 封じられし女神の心
 ほんのひととき邪心より光を放つ」

 セルジーニは〈先読み〉を終えると、そのままエリルに語りかけた。 
「あなた様は急ぎ国に戻られるべきです。今戻らなければ、間に合わないかもしれない……。一刻の猶予も許されません。星の導きに従い、守護者を得られれば微かな光の道が浮かび上がり、時を得るかもしれません。いま帰らなければ、帰る場所が失われるのが見えます」
 そう語るアンナの青年を、エリルは愕然とした表情で見つめていた。
「国が……危機に直面していると?」
 これまで出会ったどのアンナとも明らかに違うセルジーニというアンナの言葉に、エリルは深く息を吐き出し冷静になろうと努める。
「はい」
 セルジーニの迷いの無い言葉に、いよいよハリアに引き返さなければいけないのだと思った時、エリルはネイとの約束を思い出した。
「わたしはその〈先読み〉に従い、国に帰らなくてはいけないだろう。しかし、わたしはジーンという子を追ってここまで来た。わたしがこのまま国に帰ったとして……あの子はどうなる? 無事に尋ね人を探し出し、友の待つブレアの町に帰ってこれるだろうか?」
「では、〈先読み〉の続きを……」
 エリルの問いに答えようと、セルジーニは意識をジーンに集中しようとした。
(ジーン……。エディスが名づけ子と呼んでいた子供……、ノストールのルナ王子……。そして、ジーン)
 瞬間、セルジーニの五体全身に洪水のような七色の光の波が渦となって襲いかかった。
 手の平を介して、エリルの誕生から出会う人々、風景、記憶、出来事、歴史、現在、そして未来が湧き上がるように現れ消えて行く。
 それらすべてが順序を乱し、凝縮し、または膨張し、一気に押し寄せて渦となり多様な光の色が交わり凝縮していく。
 闇と光がそれらを包み込もうとし、また照らし出そうと拮抗する。
 その狭間に、ルナとエディスの二人の姿が浮かび上がる。
 セルジーニの意識は、二人に向けようとして白色に染まった。
 その目を射る光の洪水は決して触れてはいけない領域へとセルジーニを巻き込み、巨大な力で呑み込んでいった。
「待ってくれ……こんな……」
「大丈夫かい?」
 あわててエリルが手を離す。
「う……」 
 エリルの手が離れた途端、それは唐突に途切れた。
「待ってくれ……」
 セルジーニはくずれるように背中から寝台に仰向けに倒れると、胸を大きく上下させ、両手で顔を押さえ込んだ。
 涙があふれ出ていた。
 突然襲った経験したことのない異常な恐怖に神経が高ぶる。
 汗が全身から噴出し、鼓動が全身に響き渡る。
 それをおさめようと、何度も深く呼吸を繰り返し、乱れた呼吸を整えようとするのだが、今度は全身の震えが襲い掛かってきた。
「なにが……見えた?」
 エリルは不安に満ちた表情で、セルジーニを覗き込む。
「それが……」
 セルジーニは、苦汁の色を浮かべて広げた両の手を見つめる。
 自分の手がこんなにも小刻みに震えているのを見たことが無かった。手で押さえても止めることさえ出来ない。
「あなた様に関する、あらゆるものが見えました」
 もっと、冷静になりたかったが、その時間が惜しかった。
「けれど、突然光と闇が飛び込んでかき乱し、幾重にも重なり合ったものを生みだし、そして……」
 セルジーニは、ありえないという様に顔をゆがませた。
「すべてを消しさってしまいました。確かに見えたのです。でも、なにも残っていない。白紙に戻ってしまった……。くそっ!」
 セルジーニは、上半身を起こすと、手の震えを止めようとするかのように片手で拳をつくって壁を殴りつけた。
 たった今確かに見たのだ。
 だが、忘れてしまったと答えるしかない自分が悔しく、そして、未知の経験に全身の震えが止まらない自分が腹立たしかった。
 触れてはいけない領域に踏み込んでしまったような、恐怖。
 大いなる畏怖の心。
 しかもそれは、セルジーニを拒むのではなく呑み込んでいった。 
 脳裏に突如として『聖域』という言葉が浮かび上がる。
(『聖域』?)
 その言葉に戸惑い、ゾクリとしたものが背筋を駆け抜けていく。
(ユナセプラ……)
 ふいにその言葉が浮かぶ。
(ユナセプラ?)
「ジーンの身になにか起きるのですか?」
「え?」
 そう問われて、セルジーニは、エリルからジーンのことを問いかけられていたのだと思い出す。 
「いいえ……それが、なにも」
 セルジーニは、なにも答えられない自分にうろたえ、首を何度も横に振る。
 実は以前にも、ジーンのことを〈先読み〉したことがセルジーニはあった。
 ジーンが、本当にノストール王国のルナ王子なのか、カルザキア王の実子なのかを確認したかったのだ。
 だが、その時はマティスが〈先読み〉した内容と同様、「死」を暗示する漆黒の闇しか見えなかった。
 過去も、未来も、正体さえなにも映し出さない深い闇。
 漆黒の闇だけだった。
「うーん」
 尋常ではない様子のセルジーニを前にエリルは、腕を組んで真剣に考え込む。
 セルジーニは頭を下げた。
「不甲斐ない姿をお見せして申し訳ありません。私にも初めての出来事で……」
 混乱がセルジーニの心を支配していた。
「ああ、それじゃあ」
 エリルは、思い出したようにセルジーニに笑いかけた。
「ありがとう。お礼を言わなければいけませんでしたね。わたしはこのまま引き返し、早く国に戻る準備にかかります。それで、もうひとつ頼みたいことがある。重傷の怪我人にとても効く特効薬と、術を施した護符を分けてもらえないだろうか。もちろん代金は払う」
 セルジーニの異常な様子や高揚、緊張感が伝わっていないわけがないのに、エリルはまるで意に介さないように自分のすべきことに意識を向けていた。
 そのあまりに明るい透明な笑顔に、セルジーニの中に奇妙な感覚が横切り、緊張感が和らぐ。
「もちろん助力は惜しみません。出来る限りのことをいたします」
 エリルはセルジーニの顔に血の気が戻って来る様子を見ながら、改まった口調で告げた。
「自ら名を申し出るのを忘れるところでした。わたしの名はエリル・ルドフィン・ハリア。帰るべき国は、《エボルの指輪》を失ったハリアの大地。アンナの一族セルジーニの〈先読み〉従い国に帰ることにする。手助けを頼む」
 無邪気にさえ見える微笑を向けられて、セルジーニは自然にその前に立ち居住まいを正すと、深くその前に頭を垂れた。

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