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第十五章《 導 き 》

 それは、百年以上昔のことだった。
 カカル村は『見捨てられた村』という名のとおり、昔から大地が荒れ果て、土壌が悪くとても農地には適さない地にある村だった。
 当時の領主が、他の村への見せしめとして、不平不満を訴えるもの、気に入らないものなどを、その土地に追放したのだ。
 何もない荒れ果てた広野に人々は身を寄せ合い、一つの村を築き、無駄だとはわかっても懸命に畑を耕した。
 リムルの森には食用となる山草も多くあったが、凶暴な野生動物が多く出没し、山へ足を踏み入れるのは常に命懸けだった。
 また、水を得ることの出来る一番近い川はその山向こうの谷川だった。
 日の出とともに村を出ても、足場が悪いために時間がかかり、日暮れまでに村に戻るのは常の戦いだった。
 村人たちは日々の暮らしを石に噛りつくような思いで過ごしていた。
 そんな村に、ある時一人のアンナが訪れた。
 男だったのか、女だったのか今ではもう性別さえ定かではないが、長旅の疲れと飢えと喉の乾きで倒れるように村にたどり着いたアンナを、ある一家があたたかくもてなした。
 自分たちのわずかな水を分け、食料を分け与えて、アンナが回復するまで世話を見続けたのだ。
 やがて元気になったアンナは、その家族に感謝の思いを込めて二つの〈先読み〉を残して旅立った。
 決して他言はしてはいけないと固く忠告して。
 そして数カ月後、これまでに出会ったことがない、破壊的な嵐が一帯を襲った時、家の主人はひとつ目の〈先読み〉を思い出した。

『汝が家々を嵐が襲う
 なにも見えなくなるほどの
 大なる嵐 激しい嵐 すざまじき嵐
 その風が行き過ぎし日暮れ
 静かなる夕暮れ
 茜差す燃ゆるがごとき陽の中より
 幸いなる一群現れ出る。
 その群れは大なる森を目指し訪れる
 汝らはそれをとらえ
 力を蓄えるだろう』 

 その家族は、村人たちには理由を告げずに、協力を仰ぎリムルの森でさまざまな武器を手に待機した。
 そしてアンナの言葉どおり、現れたのは野生のトゥ馬の一群だった。
 あらかじめ罠を仕掛け、準備を整えていた彼らはトゥの群れを捕まえることに成功したのだった。
 砂漠地帯でも生命力の強いトゥを手に入れることが出来れば、ある者は家畜とし、またある者は町で売却し、ひと財産を得ることができたのだ。
 主人は、村の英雄と称えられた。
 だが、調子に乗った主人は、アンナが決して人に話してはいけないと約束させたもうひとつの〈先読み〉をつい話してしまう。

『しばらく先の時間
 銀盤の輝きに守られし旅人現れり
 かの者に汚れなき小さな宝を施すとき
 かの者 そこに眠りし宝を指し示し
 汝らに 子々孫々にわたる
 絶えることなき宝を与えるだろう』

 村人たちは、この〈先読み〉に目の色を変えた。
 村に宝が眠っている。
 一刻も早く手に入れ、自分の物にしてしまおうと、仕事を放り出し宝探しに血眼になり始めたのだ。
 噂は村だけではなく、近隣の国にまで流れた。
 当然、ひと山儲けようという人々が次から次へと押し寄せる。
 最初は、「旅人が宝を見つける」との〈先読み〉があったことから、村人は期待を胸に快く彼等を向いいれた。
 だが、ならず者の男たちは宝探しをする一方で、村人たちの人の良さにつけ込み、生活品、財産を巻き上げ、暴力のをふるい、宝が見つからない代わりにと奴隷商人に売りつけるために女子供をつれ去っていったのだ。
 予想もしていなかった惨劇に村人たちは茫然とした。
 そして、怒りはこのような事態を招き入れたアンナを助けた家族と男主人に向けられた。
 村人たちはと一家ををなぶり殺しにし、死体をリムルの森に捨て去った。
 それ以降、彼らカカル村の住人たちは、よそ者を拒み続けるようになったというのだ。
 
「だからその村に行っても、旅人は宝を狙って来た盗っ人と思われて追い返されるだけだ。あいつらは口もきかんよ」
「おお、村を高い塀で囲っていて、夜は門を閉ざしちまう」
 テナイの里の人々からもそう言われ、イズナはカカル村の一帯は、山賊も多く非常に危険であることから、これ以上アルクメーネを連れて行くことはできないと説得を繰り返した。
 だが、いつにも増してアルクメーネは、頑なにリムルの森に行くと言い張った。
 アルクメーネ自身にも確固たる理由があるわけではない。
 危険を犯して行くべき意味も説明できない。
 ただ、そのリムルの森が夢で見た森と、父の姿に関係があるように思えてしかたがなかったのだ。
 胸をざわめかすあの夢との関係を確かめずにはいられなかった。そして、行かなかったことをあとあとまで後悔したくはなかった。
 ついには、イズナが行かなければ自分一人でも行く、ここで別れましょう、と言い出され、イズナも折れるしかなかった。

 そして、翌日早朝からカカル村へと向かうことになったのだ。
 馬でほぼ半日を要して、一行はカカル村にたどり着いた。
 そこは噂に違わず荒涼とした大地にポツリと存在する奇妙な村があった。
 その村の背景となっている山々の麓にある森がリムルの森だった。
 カルル村の居住区は、話で聞いた様に木の柵がぐるりと延々と村全体を囲んでいた。
 一カ所だけある出入り口となる頑丈な門扉があった。今は開け放たれているが、日が暮れるとこの扉が村を守るのだろう。
 周辺の畑では、村人たちが黙々と農作業をしているのが見える。
「お前たちは見えない様に隠れていろ」
 イズナは部下達を村から遠ざけ、待機させた。
 ただでさえよそ者を嫌う村人たちのもとに、集団で押しかけるわけにはいかないと判断したからだ。
 村には、アルクメーネとイズナの二人で訪れた。
 だが、噂で聞いた通り、旅人姿のアルクメーネたちが村人に声をかけても、ジロリと一瞥しただけで、まったく応じる気配はない。
 二人は村で話を聞くことをあきらめて、そのまま畑伝いにリムルの森に向かい馬を進めることにした。
 イズナとしては、森を見渡すところを見せて引き返す予定だったのだ。
 ところが、アルクメーネは併走するイズナを追い越すようにリムルの森へと近づいていく。
「待って下さい。近づきすぎるのは危険だ。部下たちとも距離が開いてしまった。アルクメーネ!」
 イズナの声が聞こえないのか、アルクメーネの背中が遠ざかる。
「くそっ」
 イズナは馬のわき腹を蹴ると、速度を上げてアルクメーネの馬に追いつき、追い越し、そして立ちふさがった。
「お待ち下さいと、申し上げている」
 森を背に、イズナはアルクメーネに怒りにも満ちた表情で振り返る。
「森はお見せしました。ここから先は危険です。どうしても進むと言うのならば私が納得できる説明をお願いしたい」
 イズナのこれまで見せたことのない真剣な表情に、アルクメーネも言葉を詰まらせる。
 ところが、森の入り口にさしかかったところで、予測しない事件が起こった。
 突然巨大な一頭の犬が森の中から飛び出し、襲いかかって来たのだ。
 イズナは、咄嗟にアルクメーネの前に飛び出し、飛びかかってくる巨大犬を鞘ごと剣で殴りつけた。
 だが、野犬が森の中から次から次へと現れ、一行に飛びかかろうと取り囲み低く唸り、吼え始めたのだ。
 馬たちの足が乱れ、混乱し始める。
 さすがのイズナたちも、面倒な相手に舌打ちをした時。
「カイチ!」
 アルクメーネの鋭い声が守護者の名を呼んだ。
 同時に、イズナたちの目の前に突然馬ほどの大きな背丈をもつ一角獣の毛の長い白い山羊が現れた。
 それまで狂ったように吠えたてていた野犬たちは、声を失い凍りついたようになり、やがてその場にへたりこんだ。
『去るがいい』
 アルクメーネの守護妖獣カイチは静かに告げる。
『汝らのいるべき場所へ帰るがいい』
 妖獣の言葉に、犬たちは尻尾をだらりと下げ、ふらふらとした足取りで、森の中へと去って行ってしまった。
 その様子を犬達と同様凍りついたように見ていたイズナは、守護妖獣の突然の出現に心臓が跳ね上がりそうになった。
 ナイアデス皇帝一家の守護妖獣を間近で見たこともある。
 だが、それでも守護妖獣そのものの存在を見ることは畏怖を禁じえない。
 しかも、初めて見るアルクメーネのカイチは、想像を超えてあまりの迫力と神々しさに胸を打たれ、動くことも目を離すこともできない。
(神の加護を受けた王の一族……)
 それは、どれほど親しくなり、友人となっても、彼等が遥か遠い存在であること思い知らされる瞬間だった。
「カイチ、森の中を進みます。道を開いてください」
『御意』
「イズナ」
 名を呼ばれて、ぎこちなく振り返ったイズナに、アルクメーネが静かな表情で視線を向けた。
「先に進みます。カイチがいれば危険は回避できます」
「あ、ああ」
 声がかすれた。咽がカラカラに渇いていた。
 これまで、身分を隠し、旅人であることにこだわってきたアルクメーネが、ここに来て初めて王族の証しでもある守護妖獣を全面に出したのだ。
(何があるというんだ?)
 こうまでして、この森にこだわる理由をイズナは知りたくなった。
 守護妖獣カイチが、一歩踏み出すごとに、波紋を描くように昼でも薄暗いリムルの森に、光量が増していく。
 遠くで吠えていた獣の声はいつしか止み、風と葉のざわめく音だけが波音のように流れ、森全体が静寂が荘厳で清浄な空気に変化をしていく。
(凄い……)
 イズナは、フェリエスの守護妖獣の亡き守護妖精ミュラを思い出す。
 何度か見る機会はあったが、そのほとんどは戦いの中での出現であり、ナイアデス皇国勝利をもたらす勝利の女神の如き象徴であった。
 イズナはカイチのすぐ後を歩きながら、神々しさと重厚さに圧倒され、後ろにいるアルクメーネに話しかけることさえできなかった。
 守護妖獣から放たれる光は、ミュラの放っていた戦場での高揚感とはまったく異なる厳粛な気持ちをもたらせる。
 守護妖獣の後ろを歩き、その主を背後に森を進み続ける。
 神秘的で現実味のない夢の中にいるような時間だった。
 その守護妖獣の足が静かに歩みを止めた。
『…………』
「どうしました?」
 動かないカイチにアルクメーネが声をかけたとき、一行の前に四、五人の子供達が現れた。
 大きく手を広げて、イズナたちが前へ進もうとするのを阻み立ちふさがったのだ。

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