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第十二章《 嵐の終息 》

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 「城の姿がなんにも見えなくなるほどのひどい砂嵐がずっと続いてね」
 ミゼア砂漠を越えてきたという旅の一行に、宿のおかみが笑顔をふりまきながら飲み物を運んで来た。
「あんたたちは運がいいねぇ。ここ数日は、ようやく嵐が止んで平穏が戻ったお祝いに、城下へ行けば商人たちが大判振る舞いをしてくれているらしいよ。これで活気が戻ってくれたら言うことないんだけど」
 頑丈そうな丸い木製のテーブルを囲んで、乾いた喉に水分を流し込んでいる旅人の一人に、おかみが、そっと耳打ちをした。
「ねぇ、ビアン神のお怒りがとかれたのは、やっぱり月の神の息子を王子様のいる、ノストールっていう国の一行が来てくれたおかげなのかねぇ」
 突然問いかけられた薄紫色の長衣を身にまとったアンナは、驚きながらも静かにほほ笑みを浮かべた。
「シルク・トトゥ神の転身人は、いくつもの竜巻を同時に起こすお力をお持ちですから」
「シルク・トトゥ神……って、いうの? へぇー」
 妙な感心の表情を浮かべて、おかみは四人から離れていった。
「あんなこといって、大丈夫なの?」
 ネイが小声で、エリルに言う。
「いまこの国の関心は自国ビアン神のことだけのようです。知らない他の国の神の名を出されると、逆に関心が薄れるようです。さっきも同じ質問を受けましたが、皆、ビアン神のことにしか関心がないようですよ」
「自分達の国を助けてくれたのが他国の神じゃおもしろくないもんなのか?」
「さぁ。聞いたこともない神の名でしょうからね」
 占術士アンナの女性と、若い女、そして少年二人の旅の一行は目を引きやすい。
 特に、アンナがいるというだけで、人々は畏敬の念をもちひと目見よう、〈先読み〉をしてもらいたいと集まってくることも少なくない。
 だが、幸いなことに彼らが足を運んだ宿には、他の旅人の姿はなかった。
 リンセンテートスを襲った砂嵐の影響で、訪れる者がほとんどいなくなったのだと、おかみはこぼした。
「ジーン……?」
 ネイがこの数日間黙ったままのルナに、声をかける。
 ヤクンカ族と別れた日から、ルナの様子がおかしいことに気がついたのだ。
 砂漠を歩いていても、目がうつろになり、すぐに座り込んでしまったり、今までのルナからは考えられない行動だった。
 病気かとも思ったが、それも違うらしく、遠い目をしては唇を噛む姿が、痛々しくネイの目に映った。
「今日は、早く休もうね」
 声をかけると、力無くうなずく。
「ねぇ、占者ならなんとかできないの?」
 ネイが不満そうに、エリルをにらむ。
「わたしは治癒術を学ぶまでの、修行は積んでいないので……」
 エリルも出来ることなら元気づけてあげたいのと思うのだが、なにしろルナとは数えるほどしか言葉を交わしていないので、なにをどうすれば喜んでくれるのか、まったく見当がつかないのだ。
 エーツ山脈から助け出したランレイと名付けた少年も、何も語らない。
 ただ、片時もルナのそばから離れようとしない。
 ネイが明るい性格なのがエリルにとっての唯一の救いだったが、エリルは自分が男であることを話す機会を失ったままだった。
『一人旅は危険に満ちあふれている。だが、アンナを襲う者は稀だ。特に女のアンナを襲った者は、天と地の呪いを受け体中から血を吹き出しながら死に至ることは、幼子でも知っている』
 リア・アンナの一族と別れるにあたり、長のジーシュはまだ若いエリルの身を案じて、女性用のアンナの装束を与えてくれたのだ。
「とりあえず今日はここで休んで、明日その城下に行こうよ。ノストール軍がリンセンテートスの城に入ったのは確実みたいだし、まさか今日来て明日帰るなんてことはないだろうからさ」
「そうですね」
 ネイの言葉にうなずきながら、エリルはルナにちらりと視線を走らせた。
 砂漠を越えるまでの案内役としてついてきたが、捜し求める指輪と出会うためにも、この先もルナと一緒に旅を続ける必要があると思えた。
 そのために一緒にいる為の理由を考えなくては……と、心の中で腕を組んだ。

 人々が寝静まった夜、ルナは一人宿を抜け出して、町外れにある大きな木の下にやって来た。
 高く高く厚い雲に覆われた夜空に向かって伸びる木を、ルナは上っていった。
 そして、一番上の体を支えられる枝に腰掛けると、リンセンテートス城があるという方角をみる。
 暗闇の中では、城の姿さえあるのかないのかわからなかったが、ルナは兄の面影を求めて、テセウスがいま眠りについているだろうリンセンテートス城を見られるかもしれないと思って、木にのぼったのだ。
 城が見えないとわかっても、ルナはその場から離れられなかった。
 砂漠での突然のテセウスとの再会。
 けれど、テセウスはルナを覚えていなかった。
 その衝撃は時間が経てばたつほど、ルナの心に重くのしかかり、体から力を失わせていった。
 父カルザキア王との約束である王位継承の《アルディナの指輪》も、テセウスに渡した。
 兄と会い、指輪を渡す。
 ルナは、自分のすべきことをしてしまったことで、無気力になっていた。
 テセウスと会えば、絶対に自分を思い出してくれる。ノストールの母の元に帰ることが出来る。という望みが、粉々に打ち砕かれてしまったのだ。
 しかも、ルナを城から追い出し、ラウ王家の四番目の王子となったアウシュダールが、ノストールを救い、今またこのリンセンテートスの危機さえも救ってしまった。
 それも、アル神の息子シルク・トトゥ神として―。
「ルナ……いないほうが、いいのかな……」
 ぽつりと、言葉が出た。
『時が来るまで……』
 テセウスの守護妖獣ザークスの声が浮かんだが、今のルナには慰めにもならなかった。
「今すぐじゃなきゃ……いやだ……」
 そうつぶやくと、ポロリと大粒の涙がルナの緑色の瞳からこぼれ落ちる。 
 その時、ガサガサと葉音がして、ランレイが木の葉の陰から顔を出した。
「ランレイ……」
 ルナがあわてて涙をふくと、ランレイは首にぶら下げたものをはずして手のひらにのせ、ルナに差し出し、渡そうとする様子を見せた。
 その手にはイルダーグの牙が乗っていた。
「いいよ、それはランレイのだから……もってていいよ」
 ルナはそう言いながら、イルダーグのことを思い出した。
 ルナの耳に父の声が響いた。
――ディアードを探せ。
 雷に打たれたようにルナは、イルダーグの牙を見つめた。
「ディアード……」
 ルナの瞳がランレイを見る。
「父上との約束がまだあった……」
 少年は、何も言わないままにゆっくりとイルダーグの牙を自分の首に戻した。
 ルナは自分の体に再び力が戻ってくるのを感じた。
「これはね、父上とルナだけの約束なんだ。ルナが会いに行かなかったら父上に叱られる」
 ルナは少し嬉しそうに微笑むとランレイに語りかけた。
 父カルザキア王との約束――今のルナにとって、自分と父とを結ぶ唯一の絆だった。
「ディアードに会って、父上の言葉を伝える……」
 ルナはランレイと共に空を見上げた。
 雲の向こう側にあるはずの星々と美しい銀盤の月に誓うように。

 第十二章《嵐の終息》(終)

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