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第十三章 《 警 鐘  》


                      (イラスト・ゆきの)


 湖畔に暁が訪れる。
 深い闇と、白い光の気配があたりを包み、一種独特な荘厳な世界をかもしだす。
 その湖の岸辺に、長い黒髪の少女がたたずんでいた。
 朝の震えるほどに突き刺さる寒さも感じていないように、紫色の澄んだ瞳は闇から光へ転じる光景に見いっていた。
「エディス」
 少女は突然、名を呼ばれて、驚いたように後ろを振り返った。
「サーザキア様」
 エディスはアンナ一族の長であるサーザキアの姿に驚いたように瞳を丸くした。
 そして、あわててひざを折り深々と礼をする。
「いよいよ……じゃな」
 杖をつきながら、歩み寄ってくる年老いた長の姿に、エディスは少しはにかみながら返事をした。
「はい」
「……」
 サーザキアはその笑みを不思議そうに見つめている。
「怖くはないのか?」
「どうしてですか?」
 問われた少女は、小首をかしげて、その問いの意味を考えるように長を見つめながら、澄んだ瞳で何度も瞬きをした。
「辛くはないのか?」
 再びそう問われて、エディスははじめて長の言わんとしていることに気がつき、視線をゆっくりと草で覆われている地面におとした。
「お気にとめて下さっていたのですか?」
「もちろんじゃ」
 エディスは長の言葉に紫色の瞳をゆっくりと上げ、自分と同じ色の瞳と視線を合わせた。
 長と二人で話をすることは数えるほどだった。
 アンナの中でも、一族を治める長の存在は特別の存在であり、畏敬の念をもって接せられた。
 周囲には、常に複数の人々が従い、気軽には話かけられない雰囲気があった。
 エディスは長の問いかけに、明るく応えた。
「怖くはありません。辛くもありません。ただ……」
 風がエディスの長い黒髪をそっと揺らす。
「ただ?」
「私のことで周りの人達に心配をかけてしまうのが、申し訳ないと思っています」
「ふむ……」
 サーザキアは孫娘のようなエディスを見下ろして、考え込むように目を閉じた。 
 風に揺れる、木々のざわめきが二人を包む。
 空を舞う鳥の声にエディスが顔を上げると、朝のまばゆい陽が闇を払い青い空を照らしはじめてはじめていた。
「私は、夜と朝が一緒にいる風景がとても好きです」
 エディスが朝日を見ながら無邪気に長に話しかける。
 その言葉にサーザキアは、白く長い髭をゆっくりとなでつけ、眩しそうに空をを仰いでいる少女の横顔を無言で見つめる。
「本当に、とても美しい光景ですもの」
 感動に頬を紅潮させ瞳を輝かせる少女の輝く笑顔を、複雑な瞳で見つめていた。
 エディス・ラ・ユル・アンナ。
 アンナの一族の少女は十三歳の誕生月を迎えていた。

「サーザキア様」
 森の中にいくつか点在するアンナたちの天幕。その中でも、ひときわ大きな天幕では、いま七人のアンナの家長たちが長サーザキアを中心に円陣を組み座っていた。
 その中で長に次いで高位にあるイリューシアが厳粛な口調で告げた。
「〈星守(ほしも)りの旅〉への旅立ちの時が近づいております。このたび十三の誕生月を迎えた者は、オージー、マティス、そしてエディスの三名でございます」
「先の二人は特に問題はないでしょうね。あるのは……エディスですね」
 静かで軟らかな年配の女性の声が響く。
「わが一族では極めて稀なことではあるがな……」
 古老の懸念を含ませた声が応じる。
「アンナとしての資質は皆無といえよう」
 その言葉にため息混じりに同意する空気が流れる。
「長」
 別の声がサーザキアに問いかける。
「十三の儀式を終えると、三人は〈星守りの旅〉へ出なくてはなりません。ですが、まだエディスには厳しいものと思われます。もう二年待ってはいかがでしょうか」
 アンナの一族の者は、十三歳を迎えると一族から離れ、二年近い間〈星守りの旅〉に出なくてはならなかった。
 それは占術士として最も芽を伸ばす時機に、さまざまな諸国を巡り、各王家の指輪が安定しているか確かめ、また求められれば王家に限らず、占術を行い能力を高めていく旅であった。
 時には、占術や祈祷の効力が得られなかった場合や、治癒の術が効かなかったことが原因で、相手から恨みや怒りをかい、命を失った者もあった。
 そうした厳しい旅を終え、一族に戻ったアンナの若者たちは、能力と供に精神面でも大きく成長するのだ。
「二年待てば芽が出るか。否か。引き止めるのは思いやりか。後に本人が苦しむのを長引かせる所業か。里により早く入れるのが良策か。否か。われらはアンナだ。道を知る立場にあるものが、一族の娘の行く末が見定められないと言うのか?」
 サーザキアの感情の見えない、だが厳しい問いかけが家長たちに投げかけられる。
 アンナであっても占術や祈祷、治癒等の資質がみられない者は、一族から離れアンナの名を捨てなければならなかった。
 アンナを離れ、普通の人々と生活をするもの、旅人として流浪するものなど、その後の生き方は様々であった。もちろん、仲間や家族と離れる道を余儀なくされた者が一人で生きて行くということは、想像もできないほど苛酷なものとなる。
 そうした元アンナたちが集まり、共に暮らす集落がわずかだが存在した。サーザキアのいう里とは、そのことを言っていた。
 アンナとしての資質がない、そう家長らが認めることは、本人の意思にかかわらず一族から放出されることを意味した。
 サーザキアの問いに、長い沈黙が訪れる。
「アンナの家長として、エディスにはアンナとしての資質がないと断言する……と、とらえてよいのだな」
 家長たちは、静まり返ったまま口を閉ざした。
 サーザキアはイリューシアに問いかける。
「イリューシア、そなたもやがてアンナを率いていく立場になる日がくるやもしれん。どう見る?」
 イリューシアはサーザキアの感情の見えない瞳が自分に注がれると、真っすぐに顔をあげて明瞭な口調で答えた。
「わたくしの〈先読み〉……つまり、エディスに関する〈先読み〉はすでに終えております。その結果、彼女にはアンナとしての道は見えませんでした」
「つまり……?」
 サーザキアは先を促す。
「彼女はあまりにも平凡すぎます。アンナとしては不適格。ユルの流れを汲む者とは到底思えないほどです。非情ですが、この旅が彼女自身にアンナを離れる覚悟を自ら決めさせるよい機会となるのではないでしょうか……」
 イリューシアの言葉に、それまで黙って何かに耐えていたような青年が、我慢しきれなくなったように、大声で笑い出した。
「なにがおかしいのです? セルジーニ」
 鋭い声でイリューシアに名を呼ばれた青年は、そう問われてさらにおかしさが込み上げたように笑い続ける。
「セルジーニ! やめんか」
 別の家長から、笑いを止めさせようと声が飛ぶ。
「失礼ですが……」
 セルジーニははぁはぁと息をしながら、自分の口元を拳で押さえる。
「失礼ですが、イリューシア殿は〈星守りの旅〉に出てはいられない」
「当たり前です」
 すました表情に怒りを秘めた細長い目が、セルジーニを一瞥する。
「私はまだ七歳ですもの」
 その言葉に、再びセルジーニは吹き出した。
「よさんか、セルジーニ。イリューシア殿に失礼だぞ」
 困ったようないくつもの声がセルジーニを制止する。
「失礼、失礼」
 セルジーニは何度も大きく深呼吸を繰り返すと、ようやく改まった表情で、イリューシアにではなく、サーザキアに向き合った。
「アンナとしての資質は占術や祈祷の能力に限られたものでしょうか? エディスはおとなしい子だ。自分からは口にしないが、ラウ王家の四人の王子たち全員が、特別な友人として認め接していられるのは彼女に対してだけだ」
 まるでその話を耳にしたのは初めてというような驚きの表情が何人かの家長の上に現れる。
「王家と個人的な絆をつくり、さらに友人として好意をもたれているアンナはそう多くはいない。残念ですが、イリューシア殿にもそうした絆はない」
 サーザキアの次に最高位をもつイリューシアにとって、一番触れられたくない部分をセルジーニは気の毒そうに、さらりと言ってのける。
「まだとても、お若いですからね」
 冷ややかな表情で自分を睨んでいる視線を感じながら、セルジーニは笑みを浮かべる。
「と、いうことで、この〈星守りの旅〉の影守り役、私に任じてはいただけないでしょうか?」
 ざわりとした空気が流れた。
「なにを言い出すかと思えば……」
 イリューシアは細い瞳を大きくあけて、呆れたようにセルジーニを見つめた。
 影守りとは、〈星守りの旅〉にでる若者達を常に影から見守り、旅の様子を家長たちに伝え、指示を仰ぐ者のことであった。
 影守り役が力不足であれば〈星守りの旅〉の若者達を導くことも、災いから守ることもできない。
「セルジーニ、言わなくともわかっておるだろう。影守り役は長が直々に選定される。それに家長が一族を離れるわけにはいかないのは、自分自身がよく知っておるはずだ」
「そうですとも、特に今はノストールに大きな星が流れ落ちた印が出ているのです。いつノストールから使いの者がくるかもしれないのですよ。家長のあなたがいま旅に出るなどもってのほか」
 セルジーニの思いつきを考え直させようと、次々と説得の声が飛ぶ。
「それはどうでしょうかね」
 セルジーニは、ニヤリと笑いながら片目を閉じてみせた。
「ノストールの地には、掟に逆らい王家に残った離反者がいるじゃないですか。国にアンナがいる以上、わざわざ我々を呼ぶ必要はすでになくなったのでは?」
 彼は自嘲めいた口調で、ゆっくりと一同を見渡した。
「しかも、危険極まりない神の転身人が出現されている。ノストール以外にもわれわれを必要としている諸国は多くあるではありませんか。ノストールを優先する理由は何故ですか? その理由をわれわれ家長に話してはいただけないのは何故なのですか?」
 あまりにも率直な問いに、その場の空気が水が打ったような静けさになる。
 アンナの一族の家長たちですら、考えてみたこともないような、あるいは考えることを避けている疑問を投げかけたのだ。
「『王の星落ち。濃い霧が国を包みし時。われらが一族と王家の絆、霧の中に消えゆく』。そう占術では結果が出ているではないですか。占術でわかっているのですから、迎えをまっているまでもなくノストールへ向かうべきです。しかし、噂ではリンセンテートスを砂嵐から救い役目も果たしたというのに、ノストールの二人の王子たちが国に帰ったという話は聞かない」
「だからこそ、待つのじゃ」
 サーザキアの重々しい声が、セルジーニの言葉を断ち切る。
「星は流れた。しかし、王についての知らせはどこからも聞こえてはおらん。存命であるからこそ、王子たちは王の名代としてリンセンテートスに留まっているいう可能性もありうる」
 サーザキアの言葉に、その場の空気が重たいものにかわる。
 長がその言葉を本気で言っているとはだれも受け止めていなかったからだ。
――ノストールの方向で星が堕ちた。
 アンナの一族の人々は、その夜、奇妙な空気が彼らの中に満ちて行くのに気づいた。
 原因のわからない不安と緊張。ただならぬ気配と予感
 占術はすぐにとり行われた。
――王の星堕つ。
 それが最初に出た印だった。
 特に、カルザキア王と幼い日から出会いを重ね、ノストールの大神官の座を与えられたサーザキアは、その流れる星を目にした瞬間、星を見上げ立ったまま意識を失ってしまったのだ。
「ですから、この旅はいい機会なのです。アンナは戦さの中には身をおかない。けれど、〈星守りの旅〉はすべての掟から解放される。最初の旅の地が、いまをときめくかの地であっても問題はないわけです。三人は自分たちの目的を果たせばいい。ノストールの王子の身に何が起き、諸国で真に起こっていることがなんなのか、わたしが見極めてまいります。旅の二年の間、逐次ご報告は欠かしません。わたしの家族たちのことはロイスにまかせます。もともと、二年前までは彼が家長だったのですから問題はないでしょう?」
 セルジーニの提案は、家長たちを黙らせた。
「おまえは……いろいろな疑問があるようじゃな……それもわからぬではない……」
 サーザキアの鋭い眼光が、おだやかな光に変化していく。
「王家につながりのあるエディスに関心を寄せるかと思えば、ラウ王家との関係を疑う……〈星守りの旅〉で能力は一族のだれよりも抜きん出たが、自ら求める答えは出なかったか」
 すべてを見通しているかのような長の言葉に、セルジーニは一瞬ぎょっとした表情をみせた。
「帰って……来てくれるのだろうな」
 サーザキアの意味ありげな言葉に、セルジーニは悪戯っ子のような瞳でうなずいた。
「ご安心ください、敬愛する長よ。わたしはユク・アンナの血を愛しております。同様に、わが一族を大切に思っております。将来のアンナを担っていく者を育成する試練の旅、〈星守りの旅〉に出る子らを見放すことなど考えてもおりません。約束致します、ともに帰ってまいりますことを」
 その言葉に、サーザキアはイリューシアを見て、うなずいた。
 イリューシアは何事もなかったような冷静な顔で、一同に告げた。
「セルジーニ・リド・ユク・アンナ。長の命により〈星守りの旅〉の影守り役に任じます」 

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