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第十一章《 邂  逅 》

 テセウスはエーツ山脈を越えた日の夜から、奇妙な夢にうなされ続けていた。
『テセウス殿下、子供達の姿がどこにもありません!』
『探せ! あの子たちを置いたままこの山を進むことは出来ない! なんとしても捜し出すんだ!』
 前さえ見えない吹雪の中でテセウスは声をからして叫んでいた。
『アウシュダール! アウシュダールはどこだ!』
 兵士たちが、慌ただしく馬首を引き返して行く。馬のいななき、蹄鉄の音。騒然とした状態に包まれる中で、テセウスはアル神に強く強く祈り続けていた。
――我が民とともにある神よ! 子ども達を守りたまえ! この身に代えても守りたまえ!
 ノストールの軍に前後を挟まれ、守られるように歩き続けていた多くの少年兵たち。
 その隊列が、アウシュダールの姿が、吹雪とともに、忽然と姿を消してしまたのだ。
――アル神よ! 子ども達を守ってください! どうか!!
 荒れ狂う雪に阻まれ、視界はきかない。戻るも行くも危険であった。
――引き返す! このまま一歩も前に進むことなど出来るか! 
 馬から降りて、歩きだそうとするテセウスを、引き留める腕が左右から伸びてくる。
――おやめください! 一歩間違えば殿下のお命にかかわります!
――子ども達の命は? 離せ! 行かせてくれ!
 顔をたたきつける雪の痛みに耐えながら、テセウスは叫んだ! 
「……行かせてくれ!」 
 自分の叫び声に目を覚ますと、シンとした空気がそこにあった。
 夢の中の喧噪がかすかに耳に残る。
 見上げているのは薄暗い天幕の布。
 テセウスは、ぼうぜんと目の前の光景を見つめた。よけいなものなどない殺風景で静かな天幕の中を。
「まただ……」
 テセウスは両手で顔を覆った。
 全身からは滝のように、吹き出した汗が流れ落ちている。
 どのような夢を見ていたのかはまったく思い出せない。
 だが、忌まわしいほどの罪悪感、嫌悪感が全身にまとわりついて離れなかった。
『テセウス様……』
 簡易寝台の横で、テセウスの守護妖獣がじっとテセウスを見つめていた。
「ザークス……」
 ふだんは主人であるテセウスの前にさえ実体を現さない守護妖獣が、この旅の中ではしばしばその姿を見せた。
 一見すると、犬や狐にも似ている。だが黄金色の体毛と、その背にある羽と長い尾は明らかにふつうの獣ではないことを示していた。
 丸いクルクルとした瞳と、小動物のような愛らしい表情をテセウスは気に入っていたが、両親や他の兄弟たちの守護妖獣と異なって、ザークスは主人に対してもほとんど姿を見せない。
 常にそばにいるはずなのだが、テセウス自身ザークスの姿を長い時間見ていたという記憶がないのだ。
 だから、幼いころは自分には守護妖獣がいないのではないかと思いかけたこともあった。が、そういうときザークスは必ずテセウスの前に姿を見せて主人を安心させた。
 また、ザークスは主人であるテセウスの名を呼ぶ以外の言葉を発することが稀にしかなかった。
『姿を見せないというのは、その必要がないということだろう。守護妖獣は、お前自身よりもお前のことをよく知ってるものだ。すべては意味のあることだ。ささいなことも見逃さないようにな』
 父カルザキア王は、悩んでいるテセウスにそう語ったことがあった。
 そのザークスが、このところ頻繁に姿をみせるようになった。もちろん、テセウスが一人だけの時に限られていたが、それは間違いなく意味のあることのように思えた。
『テセウス様……』
 様々な色に変化するザークスの瞳が、警告を示す赤に輝く。
 この数年間、ザークスの見せる瞳はずっと赤色のままだった。
 穏やかな青や緑色の瞳を見たのはいつのことだったか、テセウスは思い出せない。
 普通の獣のように無邪気に戯れる姿を見たことがあった気さえする。
 その時、ザークスの瞳は黒く、そして茶のかかった美しく穏やかな色に輝いていたはずだ。
(そんなこともあった……でも、いつだっただろう……思い出せない……)
 ザークスが何を警告し続けているのか、テセウスはその意味するものが、わからない。
 言葉を話せないわけではないのに、語ろうとしない。
 エーツ山脈を越えてリンセンテートスへ行く命を受け旅立つ朝も、ザークスは枕元でじっとテセウスを見つめていた。
「教えては……くれないのか?」
 テセウスは問いかける。
『…………』
 だが、いつものように守護妖獣は何も答えぬまま主人の瞳を見つめ続けるだけだった。

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