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第十一章《 邂  逅 》

 どれほど長い時間が過ぎ去ったのか、倒れていたルナの緑色の瞳が開いた。
 最初にその目に映ったのは闇と、闇の彼方に川筋のように見える上空の細長い光。
 ぼんやり見ていると、それが青空だとわかる。
 暴走する馬。子供の悲鳴。先を歩くネイ。倒れていた子供がネイの手首を掴んだまま離さない。
――おまえたちなんて……本当は、あのまま馬ごと崖から落ちて死んじゃえば良かったんだ。
 父カルザキア王を殺した少年がいたのを思い出す。
 ルナの意識は一瞬にして覚醒した。
「ネイ?」
 ルナは、体を起すとネイの姿を探した。
 どこまでが現実で、どこまでが夢だったのか、いまのルナにははっきりしない。
 それでも、目覚めて真っ先に浮かんだのはネイのことだった。
 立ち上がろうとして、自分の手が何かをつかんでいるのに気がつく。
「……………」
 目が暗闇になれるのを待ち、手をたどり横を見るとそばで倒れている人物がネイだとわかる。
「ネイ……」
 自分がネイの手を離さないでいたことに安堵する。
 安心をすると同時に、ルナはネイに声をかけた。
「ネイ、大丈夫? ネイ……ネイ?」
 反応しない状態に、ルナの声は自然に大きくなる。
 ネイの体に手をかけた身体をゆする。
「ネイ! ネイ! 起きてよ、ネイ!」
 まさかという恐怖感と、握りしめた手の温かさに、そんなことはないという思いが交錯する。
「ネイ!」
「……ジーン?」
 やがてネイの唇から自分の名前が呼ばれると、ルナはほっとして力なくその場に尻もちを着き、崩れるように座り込んだ。
 安堵感が胸に広がる。
「あれは……夢だったのかな……」
 目を閉じたまま、両手で顔を覆うネイの言葉に、ルナは顔をこわばらせた。
「ジーン……あたしさ、目を開けるのがこわいよ……いまこの場所に、あの子たちの姿があるんじゃないかって思うと……あの夢が、現実に起きたことなんじゃないかって思うと……」
 ルナは、その言葉に胸を突かれた。
 闇が見せた少年たちの記憶を、ネイもまた共有したのだ。
「だ…大丈夫だよ。ここは崖の底みたいだけど、ケガもしてないし、それに誰も……」
 誰もいない……と、闇の中を見まわしたルナの視線が凍りつく。
「ジーン、どうしたんだい? なにかあったの……? ジーン?」
 ネイの手が、ルナの手を強く握り締めた。
「…………」
 ルナはぐっと息をのみこむと、震える声で告げた。
「暗くて見えないけど、でも目を……あけちゃ、だめだ……」
 その言葉に、ネイの声は震えた。
「ジーン……?」
「ネイは、ここにいて……」
 ルナはゆっくりと、ネイの手をほどくと、痛いほど唇をかみしめながら、一歩、また一歩と乾いた地の底を歩きはじめた。
 その視線の先には、いくつもの闇の塊が見える。
 ルナはまだそれを確認する前から、震え出す体をどうすることもできなかった。
――クククク……。
 あの声が耳元で笑う。
 だが、ルナはそれを無視するように、その闇の塊を凝視しながら、近づいていく。
 闇の中で、ルナの小さな靴音だけが響き渡る。
 その足に、何かがあたった。
「…………?」
 顔をこわばらせたまま、ゆっくりと視線を降ろしたルナの目に飛び込んで来たのは、全身を真っ黒に焦がしたまま目を開け息絶えている少年の骸だった。
 夢は、現実だったのだ。
 その少年の足元にも、その横にも、その先にも、焼け焦げた少年兵たちの無残な姿が続いていた。
「…………」
 ルナの脳裏に、崖下へ落ちて行く少年たちを笑いながら見つめるアウシュダールの顔が蘇る。
 激しい怒りが込み上げてくる。
「ひどい……」
 ルナと同い年の、故郷の子ども達だった。
 王家を信じて、アウシュダールを信じて、家族と別れてエーツ山脈の険しい山々を越えていた少年たちだったのだ。
「あいつ……」
 ルナの緑色の瞳が怒りに満ちていく。
――ククク……ソウダ……モット怒ルガイイ……。
 ヴァルツは、じっとその時を待っていた。
 ルナがアウシュダールへの復讐に、我を忘れ、怒りに満たされるのを。
 ルナの中の潜んでいる闇の深さをヴァルツはイルダーグと闘った一瞬にかいま見ていた。
 ルナの心の闇を引きずり出したいと待ち受けていたのだ。
 だが、次の瞬間ルナが取った行動は、ヴァルツの予想もしていないものだった。
 ルナは、少年の体にひざまづくと、開いたままの少年の瞳に手を当てて、まぶたをそっと綴じたのだ。
 一人終わると、その横の少年、またとなりの少年と、何かを探すように形の残る少年たちの中をさまよい歩き始める。
 折り重なりあっている死体を、抱き降ろしては地面に横たえ、まるで一つ一つの遺体を確認するような行動。
――…………。
 影は、ヴァルツは沈黙した。
 少年たちの死骸の山を前にした時のサトニのように、恐怖に打ち震え泣き叫ぶことのを望んだのだ。
 怒りに我を忘れ、闇に心を染める時を待っていたのだ。
 だが、ルナはヴァルツの計画を裏切るように、死した少年たちの骸に向きあい続ける。
――ナニヲ…シテイル……?
 ルナの耳元で、低く脅迫するような声が響く。
「…………」
 しかし、ルナはその声を無視したまま、手や体が汚れるのも構わず、焼け焦げ、顔の判別さえつかない少年たちをそっと横たえ続けた。
 アウシュダールの最後に放った落雷のような光りを受けて、多くの子ども達は全身が炭化してしまっていた。
 なかには焼けていない死体も存在したが、それさえも体の一部が欠けてしまった者、首や腕が崖から落ちたときの衝撃で折れ曲がったものなど、直視出来ない地獄絵図がそこに繰り広げられていた。
「…で……いて……」
 ルナは、大粒の涙をボロボロとこぼしながら少年であった者たちを横たえて行く。
 恐ろしさや気持ち悪さといった感情は、いまのルナの中に存在しなかった。
 時に自分よりも大きな体の死体が、体中の水分をすべて奪われ異常に軽くなっていることに驚きながらも、炭化し崩れていく体に悲鳴を上げそうになるのをこらえながらも、ルナは骸を横たえ続けた。
「誰か……生きていて……」 
 少年たちの無残な死体の山を目にした瞬間、アウシュダールに対する怒りが込み上げた。
 だが、それ以上にルナの心を占めたのは、「生きていてほしい」というその願いだけだった。
 そう思ったときは、体が動いていた。
「生きていて……」
――無駄ダ……生キテイル者ナド、一人モイナイ。
 声はすべてを見通しているような、尊大な口調でルナにささやきかける。
 だがルナは、何度も何度も子どもたちを抱きかかえては、地面に横たえ続けた。
 鼻をつく肉が焦げて炭化した異臭も、自分の体に付着する死臭や肉片や血や汚れも、今のルナには意識の外だった。
「生きててよ……生きてるなら……いま……助けてあげるから……」
 涙と汗で、顔を濡らしながら、しゃくり上げながら、ルナは遺体たちに声をかけていく。
 その時、
「いやああぁぁぁぁっ!!」
 突然響き渡ったネイの悲鳴が、ルナを凍りつかせた。

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