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第十章《 神 の 怒 り 》

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 エーツ山脈を越え、リンセンテートスへと向かうノストール軍。
 その姿を、エーツ山脈の山の一角から見下ろす人影があった。
 占者をあらわす薄紫色の女性用の長衣を身にまとい、厚手のマントとフードを羽織ったその人物は、碧く澄んだ瞳でしばらく前からその行軍を見送っていた。
――数日前の……あの山の異変はただごとではなかった。
 手にしたナーラガージュの杖を握り締め、占者の装束に身を包んだその容姿は、まだ若く華奢な風貌をあたえる。
「もしかすると……」
 頭を覆っていたフードが外されると、色白の可憐な美しい面立ちがあられた。
 エリル・ラント・ソーレ――
 いまエーツ山脈に静かにたたずむ人物こそ、三年前から行方不明となっているハリア国の王子の成長した姿だった。 
 エリルは、ノストールの軍の姿が完全に視界から消え去ると、それを待っていたかのように、ノストール軍の進んで来た方向を戻る道を探して歩き始めた。
 エリルはすでに十五歳を迎え、王位継承の年齢に達していた。
 国へ帰れば、王の座が彼の手にゆだねられることは間違いないはずだった。
 けれど、いまエリルは国からはあまりにも遠い場所にいた。
 実母ミディール妃は自らが招いた反逆行為により自決し、父ヘルモーズ王は病身の身として王位から退けられている。
――指輪を得る資格をもつ者は、民の安らぎを求める王。その誓約破られし時、国は滅びます。
 王宮の地下牢で出会った魔道士ディルーラの言葉が、エリルを『エボルの指輪』を探す旅に駆り立てた。
 エリルの曾祖父が、国から葬り去ったといわれる王家伝承の指輪。
 国を守り、王家を守るエボル神より与えられし誓いの指輪。
 だが、――行方がわからなくなった――その指輪の石には、ハリア国が戦さを起こし、民に圧政を強いはじめたころから亀裂が入り始めていると、ディルーラは告げた。
――国を救うために。『エボルの指輪』の亀裂をくい止め、エボル神に許しを乞うても、国が破滅から救われるかは……わかりません。
 魔道士はその言葉を残して生命の火を消した。
 それでもエリルは旅立った。
 『エボルの指輪』があると示された、ハリア国よりもはるか南の山を目指して。
 この三年間、さまざまな占者や魔道士に出会い、道を求め、不思議な指輪や宝石の隠された方角の山に登っては、捜し続けて来た。
 旅はけっしてエリルに優しいものではなかった。
 国を出てからは、善人を装った親子に、もっていた全財産をだまし取られたこともあった。道を歩いていただけで、突然襲われ命からがら逃げ出したこともあった。
 山の中で足を滑らせて谷底へ落ち、あやうく命を落としそうになったことも、そこでさまざまな人々と出会い、助けられ、ともに過ごした日々もあった。
 そして、エリルは、ラーサイル大陸最南端にあると人づてに聞いていた巨大山脈にたどり着いたのだった。
「今度こそ、ここが、終点になってほしいけれど……」
 そう願いながらエーツ山脈に足を踏み入れたエリルは、ある日奇妙な光景に出会った。
 山中に入って三日目の午後のことだった。
 山の中に続く一本の道だけを基たよりに、指輪の気配を求めて歩き続けていた時だった。
 突然天候が変化した。
 頂上付近に雪雲が現れたと思ったのもつかの間、一帯は猛吹雪に襲われた。
 それまでは、雪化粧ははるか彼方の頂上付近に見えているだけだったので、エリルは、まさか豪雪に見舞われるとは思ってもいなかったのだ。
 エリルは突然の吹雪にあわてて近くにあった小さな洞穴に逃げ込み、難を逃れた。。
 その夜のことだった。
 寒さに震えながら、吹雪がおさまるのをまっていると、急にナーラガージュの杖が振動をはじめたのだ。
 それはエリルの身に危険が近いことを知らせるものだった。
 外に出て見ると雪はやんでいたが、空が妙に明るかった。
 かといって晴れているわけではなく、上空には白い雲が覆っている。
 雲全体が発光しているようにもみえる。ぼんやりとした明るさがエーツ山脈のうえに広がっていた。
 しばらくその様子を見ていると、雲は徐々に、まぶしく感じられるほどの異様な光の輝きとなった。
 エリルは、その光の正体を見極めようと、目を凝らしたまま立ち尽くしていた。
 闇であるはずの夜空が輝いた。
 光は上空から一筋の矢を放った。
 その光の矢は、エーツ山脈の中で最も高い山といわれるエーツ・エマザー山めがけその山裾へと突き刺さった。
 次の瞬間、夜空へ届かんばかりの閃光が、まがしくもまばゆい輝きを放ったのだ。
「指輪の……光……なのか……?」
 エリルは、振るえ続けるナーラガージュの杖を再び、堅く握り締めた。
――やがて……求めし祖先の形見に……出会うだろう……だが……闇は道を失い……道を照らす光は消えた……。闇に包まれし空は……やがて、そなたにひとつの道を示すだろう。
 この半年以上前、ともに旅をして来た占術士リア・アンナ一族の長ジーシュから告げられた〈先読み〉の言葉だった。
 エリルは一年前に、山中の崖から落ちて倒れているところを、アンナの一族に助けられ一命を取り留めた。
 だが、自分の出自を含め、目的も、地下牢で死んだアンナ一族のディルーラの話も、エリルは一切話すことをしなかった。
 ディルーラのことがわかれば、自らの出生が知られるのは必然だったからだ。
 エリルはしばらくの間、彼らと生活を共にし、占術の一端をも学んだ。
――この杖があなたを導くでしょう。高貴なお方よ。
 ジーシュは別れ際にそっと頭を下げると、この杖をエリルの手に握らせた。
――われらが一族の者を見取っていただき、ありがとうございます。われわれの感謝の心をおくみ取りいただき、このナーラガージュの杖をおもちください。この杖は持つ者に危険を知らせる術が施されております。あなたの旅にきっと役立てるはず。杖が震えたならば、一刻もはやくその場からお立ち去り下さい。決して近づいてはなりません。
 ジーシュはそう言い渡した。
 エリルはすべてを見通していたアンナの長・ジーシュの能力に驚きと畏怖を覚え、全身が震えたのを覚えている。
「危険を知らせる杖……」
 そのナーラガージュの杖がエリルの手の中で、全身に響き渡るほどの激しさで警告を発し続けていた。
 長の言葉が、杖が、ここから立ち去れとエリルに訴えかけていた。
  しかし、エリルはその奇妙な光を見た瞬間、鼓動の高鳴りを覚えた。心が吸い寄せられた。今までの旅では、決して出会うことさえなかった出来事に心が惹きつけられたのだ。
 気がつくとエリルは、闇の中、降り積もった雪の上を歩いていた。
 呼び寄せられるように剣難な山の中をひたすら、光を放つその場所をめざして歩いているのだ。
 やがてその眩しいほどの光が消え、夜が明けて、陽が上るころ、エリルはある行軍を目にした。
 それは、昨夜の光が放たれていた方角から進んで来た。
 距離にするならばエリルのいる場所からやっと見分けられるほど離れており、人数までは見てとることができない。
 しかしエリルは、旅の中で、ノストールの第四王子アウシュダールの噂を聞いていたので、それがノストールの援軍であることに、すぐに気づいた。
 ビアン神の怒りをとくために、またダーナンの侵略から友好国リンセンテートスを守るために、アル神の息子であり、シルク・トトゥ神の生まれ変わりであるアウシュダール王子が、リンセンテートス王の要請にこたえて出陣したと。
 ノストールの軍列を見たその日、エリルは一時歩みを止めて、ノストール軍と出会わず、なおかつその全貌を見られる場所を捜しもとめた。
――噂の王子は今年八歳になったという。
 南方の小国、ハリア国からは遠い国であり、視野にも入れられていなかったノストールの軍だったが、エリルは興味を抱いて様子を探ろうと決めていた。
――もし、ビアン神の怒りを静め、リンセンテートスを砂塵の嵐から解放するほどの力をもつ、真にシルク・トトゥ神の転身人ならば、わがエボル神のお怒りをとく力を持っているかもしれない。もしくはその方法をご存じかもしれない……。
 ならば、その王子の顔を見ておこう。
 エリルはノストール軍を待った。半日、一日、翌日と。だが、不思議なことに気づいたときにはノストール軍はエリルの待つ場所とはまったく別の道をたどりリンセンテートスへの道を下っていた。
 それに気がついてエリルは急いでその後を追ったものの、軍列の影はすでに遠く、アウシュダールを間近で見ることは叶わなかった。
――ならば……まずは、あの光の場所まで行ってみよう。
 エリルは再び山の奥深くへと歩きだした。
 止むことのない、ナーラガージュの杖の震えを感じながらも。

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