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7章 〈 15時10分 カメラ・テスト 〉

 しばらくして準備が出来たという連絡が入り、ラグたちはスタジオに戻った。
 レンが簡単なリハーサルに入るために打ち合わせをしている間、スタジオの一角でトモヤと一緒に見学をしていたラグを指差しながら、クロサキが歩み寄ってきた。
「このあとに撮るシーンがさ、イブキの店にレンが登場するシーンなんだけどね。君、リハーサルまでイブキの代役をお願いできないかな。もちろん、それまでにはプロの俳優が来ることになっているから、冗談でも本番に出ろなんて言わないから」
「え?」
 ラグは唐突な話に、目を何度も瞬かせた。
「ごめんなさい。僕はお芝居なんてやったことないし、できないです」
 びっくりしながらも、帽子をとって頭を下げる。
「いやいや」
 クロサキはそのラグの肩を両手でポンポンと軽く叩く。
「ちょこっとだけだから。カメラワークや、ライティングのテストもある。台本どおり流れを進めていくためにもどうしても誰かが必要なんだよ。でも、見てわかるように本来ならいるはずのスタッフの大半が局に行ってしまっていて、人手が足りないんだ。猫の手も借りたいっていうマジな状態でさ。いつもなら、AD使ってテストをしたりするんだけど、余力のあるスタッフがまったく足りないんだよ。素人さんに手伝ったもらうのに、芝居しろなんていわないから、レンさんの芝居がしやすいように協力してくれないかな、ね、ね」
「だめですよ。経験もないし、こんな汚い格好だし」
「格好なんて気にしなくて大丈夫。もしどうしてもってことになったらホスト用の衣装もちゃんとあるから。君、身長もあるからいいよ。あ、もちろんバイト料は弾むから」
「そういうことじゃなくて、あ、トモヤがやれば?」
 ラグはあわてて、トモヤにふる。
「俺が相手役じゃ、お調子づいてバカホストになるか、ふてくされて目つきの悪いホストになる。レンが芝居出来ない」
「僕だって……」
 必死に断ろうとしているラグにクロサキはさらに詰め寄る。
「お願いだ。レンさん、君といるとかなり機嫌よさそうだし、本番までに俳優はちゃんと間に合わせるから」
「ちゃんと……って、まだ、手配ついていないんですか?」
 クロサキの言葉が詰まる。
「…………」
 ラグは困った顔をして両手を目の前で合わせて拝み続けるクロサキを見る。
 トモヤはそんな二人を見ながらクロサキもいい目をしていると感心していた。
 いつものレンなら短気の虫を発揮してとっくに現場を放棄している。
 それが、ラグがいるというそれだけで、すべての状況を楽しんでいて、穏やかなのだ。
 ディレクターのクロサキも、そのラグの存在を見抜いてレンの視界の中にラグを置いておこうと考えたのだろう。
 多くの人間を使っているだけのことはある、とトモヤは思う。
「本当に、台本のセリフをただ教科書みたいに読んでくれるだけでいいから。あとで好きなタレントや俳優のサインもらってあげるし、なんなら会わせて写真も撮ってあげるよ。希望なら素人参加のクイズ番組とか出させてあげるから。ね、お願い」
 目の前で両手を合わせて頭を下げ続ける、自分よりひと回りは年上だろう大人から懇願されて、ラグは困惑する。
「はぁ……」
 ラグは参ったというようにトモヤを見てから、クロサキに言った。
「一本電話をしてからでいいですか?」
「もちろん。いいよ。予定でも入っていたのかな? なんなら、僕が電話に出てその人に謝るから」
 ラグは大丈夫という身振りをすると、スタジオの外の通路に出る。
 そして携帯電話を取り出すとある番号に電話した。
 ひよっとすると忙しくて電話には出てくれないかも、と懸念をしたのだが、意外にも眠そうなユウの顔が映ってラグはクスリと笑う。
「ラグかぁ? 今どこだ?」
 モニターには黒い髪に黒い瞳のユウ・マサオカの顔。
 ご先祖様からの系図も存在する純日本人の家系の流れに位置するマサオカ家の次男、現在二十一歳、大学生。武道家の両親は家で武道全般を師事している。
 多分、特別任務中かと思ったのに、私服でくつろいでいる様子だった。
 トゥーム星では『神』と呼ばれているユウも、普段はどちらかというと昼寝が趣味な怠け者の若者だ。
 それでも何かあったときは一番頼りになる存在であることは、何度も窮地を一緒に乗り越えてきたラグ達はよくわかっている。
 ユウの方は、とにかく厄介ごとに巻き込まれないようラグ達が集まるときは極力近寄らないようにしているらしい。
『お前らがそろうと、とんでもないことになるから嫌なんだよ』
 嘆くユウに、アミーがしらっとした顔でいった言葉を思い出す。
『集まったから事件が起きたんじゃなくて、必要だから無意識に結集した、と思うけど』
『どっちにしろ、大変になることには違いないだろう』
『まぁね』
 ニヤリと笑ったアミーの顔に、うなだれるユウ、といういつもの構図が思い出される。

 ラグは内心、今日は何事もないようにと祈る思いながら、それを表情には出さずにこっと笑った。
「日本だよ。今日空港についたばかり。それより、リーダー、自宅待機なの? 忙しいかと思ったのに」
 画面の後ろの背景が、どう見てもユウの自宅の道場だった。
「忙しくはないな、稽古三昧だけど」
 ラグは、ふうんと小首を傾げると視線をどこか遠くにさまよわせた。
(また、忘れられちゃったのかな?)
「で、どうした?」
「リーダー、僕さぁ、今事情があってテレビのドラマを撮影するスタジオにいるんだけど、俳優さんが今いなくてね。リハーサルだけ代わりをしてほしいって言われているんだけど、それって大丈夫かな?」
「おめでとう。リハーサル限定で、ドラマデビュー? 楽しそうだな」
 だめ、といわれなければOKだということをラグはわかっている。
 そして、それはラグのいる場所にユウが来てくれることを意味している。
「来てくれるの?」
 ホッとしたように安堵の息を吐くと、
「行ってやるよ。その代わり……」
 ユウは疲れ果てた声で続けた。
「こいつに、ちゃんと挨拶だけしておいてくれ」 
 ユウと入れ替わるように、金髪碧眼美少女の怒った顔がモニターにアップになった。
 ルアシ・サーマン、十七歳。小学生時代から高校生の現在に至るまで、ずっと一緒にる幼馴染の一人だ。
(うわ……一緒だったんだ)
「ラグぅ、なんで、帰ったらすぐに連絡しないのよぉぉぉ!」
 ルアシの叫び声がモニターから響き渡った。
「ルアシ……ただいま……」
 笑顔を作るが、自分の笑顔が引きつっているのがわかる。
 『帰ってきたらすぐに連絡をしてね』と出発前に何度も言われていたのを、すっかり忘れていたのだ。
「それになんで、テレビ局のスタジオなんかに行っちゃってるのよぉ。アイドルの子にサインなんかもらったりしていないでしょうね」
「いや、それはないけど、それがね」
 ラグはとりあえず空港からの流れを簡単に説明する。
「ふぅん。まだイブキ役は決まっていないの」
 ルアシは人差し指を唇に当てて考え込む。
 ルアシはモデルの仕事をしているので、本番に穴が開くことの一大事は十分わかっているのだ。
「いいわ。これからあたしもそこに行くから」
「え?」
「えええっ……?」
 ラグの声とユウの声が重なる。
「エリカって子と仲良くしちゃダメよ。私語は禁止。いいわね。話していいのは、お芝居のセリフだけ。ついでに、わかってると思うけど本番は、絶対に出ちゃだめ。絶対よ」
 ルアシはやや余裕のない早口で指示をだすと、勝手に通話を終わらせてしまった。
 何も映らなくなった画面を見て、ラグは困った顔をしながら微笑んだ。
 ルアシは、二枚目、美少年、美男子追っかけマニアなのに、ラグが自分以外の女の子と話をしていると大騒ぎをする。
 自分が自由でありたい分、ラグの自由はラグのものだと理解はしているらしいのだが、ラグのそばに女の子の影が見えると結果的にルアシは飛んでくる。
『世界中の自分好みの男を独占したいだけなんじゃねーの』と、年下のシーダがズバリ指摘して、『何が悪いのよ!』と、ルアシの平手打ちをくらっていたのを思い出す。
「まぁ、ちゃんと報告はしたし、手も打ったから」
 ラグの中で、先ほどまでのためらいが消える。マスコミがからむ場面では、何が起こるかわからないから万が一を考えてのことだった。
 こういうときに、あとあとユウの力が役立つのだ。
(でも、あれって特殊能力なのかな?)
 トゥーム星から戻って、奇妙な能力がユウに備わったのだ。能力というには奇妙で、本人すら自由にはコントロールの出来ない力。
 その力のおかげで、ラグ達はすごく助けられている。
 平凡な日常を過ごせているのも、その力をユウが発揮してくれるからにほかならない。
『でも、俺は悲しすぎだろう……』
 とは、本人の弁だが。

「リーダーが来てくれるなら、楽しんじゃお」
 ぽっと遊び心に火がついたような笑顔が満面にあふれる。
 ラグはスタジオに戻ると、クロサキにペコリと頭を下げた。
「クロサキさん、OKです。そのかわり後から来る僕の友人の通行許可をお願いしますね」
 ラグのさっきまでは見せなかった子供っぽい笑顔を、クロサキとトモヤは少し驚いたように見ていた。
 先に撮っていたレンのラスト場面のカメラテスト、リハーサル、本番が撮り終わると、次のシーンの簡単なカメラテストが始まる。
 だが、イブキ役の俳優がまだ姿を現さない。
 ラグはリハーサルまでには俳優が来ると思っていたので、カメラテストが順調に終わって、リハーサルに入るからと衣裳を渡されて戸惑った。
「衣裳着るなんて、だめですよ。俳優の人が到着したら気分を悪くするでしょうし、リハーサルまでっていう約束だし」
 ラグは、リハーサルに入るまでのカメラテスト用のピンチヒッターだと思っていたのだ。
 ホスト役用の上質な仕立てのスーツを見せられて、逃げ出したい気分に駆られる。
 クロサキの横で、衣裳を手にした係の人間が説明をする。
 スタイリストではなく、衣裳部の担当者らしい女性だった。
「本番同様にライトを当てて色の反射具合とか見るのよ。はい、時間もないんだからこの服着てね。あと、悪いけど、着替える前にシャワールームあるから使って。そうだな、その長い前髪を少し分けて目が見えるような感じにしようか。ヘアメイクを呼んでおくから。メガネはね、アイキャッチャーっていって瞳が輝くように目に光を当てるやつなんだけど、それを当てたいらしいから、メガネないままでいくから。着替えたら悪いけど外そうね。ちょっとだけ辛抱、辛抱」
 その女性は、引き気味のラグの様子などまったく気にしていないように、衣裳を押し付けて、バシバシと遠慮なくラグの背中を叩いても早く行けとうながす。
「は、はい」
 逆らいきれずに、渡された衣裳を抱えて、ラグは返事をする。
「クロサキさんよぉ」
 その様子を眺めていた機嫌のいいレンが近づいてきて、ラグの肩を抱きながらウインクする。
「こいつが本番に出るのは当然無理だろうから、カメラテストとリハーサル中の録画データを残して俺にくれよ。記念の記念ってやつ。俺と、こいつの二人分な」
「もちろんいいですよ」
 クロサキは任せてくださいといわんばかりに親指を立て、早速サブ室のスタッフに連絡をする。
 だが、代役の俳優がまだなのか、顔面が緊張のために時折ピクピクと軽い痙攣を起こしている。
「それにしても、ラグ君、素人さんなんだよね? 勘がいいから助かるよ」
 ドラマの準主役で新聞記者役のケインが、さわやかな笑顔でラグに微笑みかけた。
「つっかえ、つっかえのADよりよっぽど役に立つ。やっぱり現役高校生だから活字にも強いのかな」
 すると、ケインの隣に立つ現在現役アイドルナンバーワンと評されるエリカも、かわいいアイドル・スマイルを作ってレンとラグに話しかける。
「レンさんはもちろん素敵ですし、ラグ君もお芝居がはじめてなんて思えないわ。エリカ、撮影が中止になりかかってしまってどうなるのか不安だったの。本当にありがとう。でも、本番がちゃんとできるのか心配で……。代役の人がこなかったら……」
 エリカが心配そうにうつむくと、ラグが優しく微笑みかける。
「きっとね、なんとかなっちゃうよ。スタッフさんたちが必死で動いてくれているから」
 癒し系タレントとしてコマーシャルなど引っ張りだこの十七歳のエリカは、ヨレヨレのGジャン姿のラグを紹介されたときは驚いた顔をしていたが、年が近いことと、ラグの穏やかな空気に徐々に打ち解けていった。
「心配するな、今日は運がよかったと思える一日になる。あとで俺のこの言葉を思い出せるように、しっかり脳みそに記憶しておけ」
 レンの預言者めいたセリフに、壁際で立ったまま話を聞いていたトモヤが、おかしそうに笑った。
 レンもトモヤも、これからなにが展開されていくのか、まったく予想すら出来ていない。
 でも、確信があるのだ。
 ラグがいるのだから結果的には、「うまく落ち着いてしまう」という未来を。
 レンの不思議な言葉にうなずいたエリカは、それでも役者の先輩として気遣うようにラグの顔を見上げた。
「あ、ラグくん、メガネをとったら台本が読めなくて大変よね。私、小声でセリフを言おうか?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫。五回くらい読んでいたらなんとなく覚えちゃって」
 ラグは頭をかきながらニコニコ笑う。
「じゃあ、着替えが済んだら再開します。本当に簡単なリハーサルですから、休憩は少し長めにとりましょう」
 クロサキの合図で、準備のためにそれぞれが控え室に戻って行く。
 クロサキはことのほかテストシーンがスムーズに進んで喜んでいたが、その一方で代役の俳優の手配が決まっていなことで頭はいっぱいだった。
 代役とはいえ、ナンバーワンホストというだけの説得力をもつ俳優が必要なのだ。
 いくら役者として実力もあり、時間もあいている俳優が近くにいたとしても、一流ホストに見えない人間を使うわけにはいかない。
 トミーの所属しているキャスケット事務所には再三交渉をしているのだが、相手は渋っている。
 もともと容疑者役なのだから美味しくないということもあるのだろうが、ドラマの視聴率が回を追うに従って落ちて来ているというのも理由のひとつなのは推測できた。そこを粘って今回出演の了承をとったのに、歌番組のケチが、フェニックス・テレビ全体に影響を及ぼしている。
 エリカもCMやバラエティでは人気なのだが、女優としては一般視聴者の食指をかきたてる存在までにはいっていない。だが、次の映画主役も決定しており、このドラマを失敗させるわけには行かない事情があるのだ。
 そのため、毎回人気タレントやアイドルをゲストとして起用して視聴者離れを食い止めてきたが、ちょうど折り返しに回となる今回でゲスト俳優ドタキャン、ドラマ延期、視聴率ガタ落ちなどトラブルが重なれば、エリカだけではなく、クロサキ自身の立場にも影響は必死だった。
「さっき、シンクロのメンバーがいるのを見ましたよ」
 ADがそれとはなく代役にどうかと小声で聞いてくる。
「らしいな。シンクロのアオイあたりなら代役として悪くはないんだが、キャスケット事務所の例の大御所ともめて犬猿の仲だ。B.B事務所はそろそろシンクロを解散に追い込むんじゃないかって噂も流れてる。そんな歩くトラブルメーカー・グループを俺が使ってやりたくても、使えるかよ」
 クロサキはうなった。
「おまけにトミーの出演はテレビ誌で既に紹介ずみなんだ。演劇界で人気の若手役者トミーと、カリスマカメラマンのレン、二人の初のドラマデビュー、ホストとして男の火花を散らす真剣勝負が結構業界でも話題になってんだよ。新進気鋭の若手と、カリスマカメラマンのどっちが女性のハートを、こう、鷲掴みにするか、ってな。その二人に翻弄されるエリカが……」
 思わず熱をいれて語っていた時、
「クロサキさん、局から電話です」
 サブ・ディレクターが厳しい顔で駆け寄ってきて小声でささやく。
「例の件、説得にほぼ成功して差し替えの写真がOKだった場合に限り、ケイリー・デイジーの歌の取り直しに承諾が出たそうです」
「本当か?」
 クロサキの頭に、これでトミーの件も解決出来る、と安堵感が生まれようとした時、サブ・ディレクターは違うというように首を横にふり、クロサキに電話の子機を差し出した。
「ただし、その時はケイリー・デイジーの歌撮りの撮影はここの桜道スタジオで行うっていってます。セットの準備もろもろ手配しておいてくれって」
 クロサキの顔色が変わる。
「なに言ってるんだ? こっちはドラマやってんだぞ」
 思わず電話機を奪うように受け取ると、大声で怒鳴っていた。
「歌姫様の一件で、昨日から大迷惑なんだ。撮影は遅れるし、優秀な人間はそっちに持ってかれる、おまけに俳優には逃げられる。迷惑もいいところだ。人手がほしいのは俺の方だ。その上、なんで確定してもいない歌撮りの面倒まで見なきゃいけないんだ」
 電話に出た相手は、冷徹に告げた。
『クロサキ君。私だ』
 声の主を知って、クロサキは固まる。
 直属の上司だと思っていたのだが、出たのは専務取締役の声だった。
『わが局はもとより、国家レベルの問題だ。局として最優先事項なのはわかるな? ライアン王子はケイリーの今後の日程をその写真次第で決定するといっている。そして、仮に写真使用を許可する際は、その撮影した者がいる桜道スタジオで収録させると言い出した。こっちでも収録できるよう準備に取り掛からせたところだが、万が一に備えてそっちでも先行準備をしてくれ』
「なんでこっちなんですか。その写真を撮ったカメラマンをそちらに出向かせればすむ話じゃ」
『そうも説得したよ。だが向こうのことわざに、へんなことわざがあるらしくて、こういうときは解決の源に向うことが状況を改善するとかで、条件をのめないなら帰国するとまでだ言われた。やっと解決策が提示されたのに、へたに粘って事態がこじれたらどうする。今回はこちら側の落ち度を認めて出来る条件はすべて呑むことにした。だから、カメラマンも含めて、スタジオにいる人間は一人残らず待機させていてくれ。帰らせるなよ。写真が届くまでもう少しかかるらしい。都内は国際会議で道路規制もあるから、許可が下りてすぐ向ったとしてもそっちにつくまでには時間もかかる。とにかく準備は進めさせてくれ。収録はそっちで行なう見込みが農耕だ。セットは大至急届けさせる。人間もだ』
「やりますよ。でも、ドラマはどうするんですか。昨日だってそちらの影響で撮影半日ぶっ飛んで、主役の二人や役者さんたちもスケジュール調整して、うちのスタッフも寝ないでがんばってくれているんです。キャスケット事務所は早々にこの一件を耳にしたようで、イブキ役のトニーを引き上げさせてしまっています。ゲストのレンのスケジュールも今日分しか抑えていない。イブキ役分は明日の夜までに録り終わらなければ来週放送できません。局の都合もあるでしょうが、こっちはこれ以上スケジュールを変更できないし、スポンサーもいるんです。都合を押し付けるだけじゃなく、現場がやりやすいように協力してください」
 温厚なクロサキの怒りを含んだ言葉に、スタッフ達が息を止めて見守っている。
『ドラマは最悪、一週飛ばして、一話短縮にすることも検討しよう。。わかるな、私やお前の進退問題なんぞというちっぽけなレベルの話じゃない。関係者サイドへはこちらで対応するし、埋め合わせとやらは、今回の件が無事乗り越えられたあかつきに考慮するとしよう。とにかく頼んだ。こっちからはプロデューサーも含めて重役クラスもすでに桜道スタジオ向うように指示してある。今、そっちで頼りにできるのは君だけだ。頼んだぞ』
 一方的に電話は切れた。
「ふざけんなよ」
 クロサキは受話器を置くと右の拳をデスクにたたきつけた。
「クロサキさん」
 現場のスタッフが集まってくる。
「俺たちなら大丈夫です。出来ることは何でもやりますから」
 サブ・ディレクターが声を発すると周りの人間もうなずいて声をかけてくる。
「一日寝ないのも、二日寝ないのも一緒っす」
「リハーサル早くやって、時間を作りましょう。どうせ歌録りに入ればこっちは大丈夫です。それからしっかり本番録ればいいじゃないですか」
「僕、各出演者のマネージャーを説得してきます」
 それぞれが自発的に申し出て動き始めた。
「みんな……」
 クロサキは大きくうなずいた。スタッフのこんな力強い、逞しさを感じさせる表情は初めてだった。
「みんな、ありがとう。頼むな。サブ・ディレクターと一緒に、歌撮りの第三スタジオに行ってライティングとカメラと音響の準備をしてくれ。セットは向こうから届くだろうから、搬入の準備。ADは控え室の用意。撮影用の家具一式使って豪華に仕立ててくれ。それから……」
 クロサキは指示を次々と飛ばしながら、泣きたい気持ちになってきた。
「休憩時間を五分縮めて十五分後にリハーサルを始める。リハーサルやって、歌撮りのヘルプをギリギリまでやる。俺は俳優手配をしてくれている担当者と一緒にあたってみる」
「自分も一緒にやります」
 若いスタッフの元気な返事に、現場は緊張感とそして、活力に包まれていった。


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