第3章 〜呪い〜 | ||
しばらくして、ブレネイ市街の職人通りに、従者を連れて現れたシャルゼルトの姿があった。 人を使って内密に調べさせ、王妃ココの恋人だったといわれた男の存在と、娘が働いている場所をようやく探し当てたのだ。 報告書を読む限り、期待出来るようなことは何ひとつなかった。 衣服の仕立てや機織、刺繍をして生業をして生計を立てているという娘の身上調査報告書に、興味をわかせるような記述はない。 年齢が二十四歳。容貌は年齢より老けて見える。幼い日から、母と共に世話になっていた仕立屋の主人に認められ、女としては極めて珍しく独立職人として生計を立てる。一人暮らし。 本来ならその報告書に目を通して調査は終わりにすべきところだったのだが、先日のあの友人の言葉と苦笑が目に焼きついて離れなかったのだ。 「お前でも知らないことがあるんだよ」 そう鼻先で笑われた気がして心底、悔しかった。 もし自尊心が邪魔をしてあの話を無視してしまえば、次に会うとき友人はその娘を隣においてシャルゼルトに得意気に紹介するかもしれない。 女性を落とすのも、ココ王妃に関しても、自分が一番でなくてはならなかった。 両方ともシャルゼルトにとっては譲れない。 徹底的に調べて、自分の女として友人に引き合わせよう。 そして驚かせてやる。そう決めたのだ。 もうひとつ、ある思いが自分を突き動かしているのをシャルゼルトは自覚している。 王妃の肖像画を見て恋に堕ちた幼い頃から、シャルゼルトはどんな形でもいいから、亡きココ王妃と自分を結びつける「何か」が欲しかった。 王妃の身につけていた物を手に入れようと調べたが、すべてはオルト王の直接管理下に置かれていて見ることさえ叶わないのだ。 ひょっとして王妃の恋人の娘ならば、王妃の装飾品や身に着けていた何かを贈られているかもしれない。 誰も知らない「空白の時間」や「会話」を知っているかもしれない。 自分が直接会い口説けば、娘は隠していた秘密さえ打ち明けるだろう。 そう思ったからこそ、自ら出向いたのだ。 ところが、最初の日は別の意味で誤算が生じた。 シャルゼルトが馬車から降り立った途端、あまりの美しい貴公子の突然の登場に、通行人や店にいた女性たちが吸い寄せられるように馬車に集まってきて大騒ぎになってしまったのだ。 ひと目につかないようにと旅人の衣裳を身にまとい、自分なりに変装はしてはいたつもりだったのだが、あとで考えてみれば、豪華な貴族の馬車が目立ちすぎたこと、その馬車の中から眉目秀麗な美しい貴族の自分が現れれば、庶民たちが驚き騒ぎ、悲鳴を上げて気絶する女性たちが続出してしまっても当然と言えば当然のことだったのだ。 目的の娘が父親のことを知られるのを恐れてひっそりとした暮らしている場合、自分を探している城の人間の存在を知って身を隠してしまう危険性があった。 (この美しさが邪魔になる日があるとは考えたこともなかった) この日シャルゼルトは、やむなく引き返すことにした。 日を変えて訪れた別の日、シャルゼルトは今度は前回よりも目立たないような平民の旅人の変装をして、馬車は少し離れた場所に停めさせることを忘れなかった。 従者と二人きり、帽子を目深にかぶり、顔があまり見えないようにうつむき加減で職人街通りに出る。 歩いているだけでその長身が目立ってしまうのは否めなかったが、それでも今回は前回と比較すると一瞬にして大騒ぎにならなかっただけましに思えた。 整った横顔、額から高い鼻、そして顎へと続く美しいラインに目をとめた女性は、ため息をついて彼が行き過ぎるのをうっとりと見つめ、中には引き寄せられるようにシャルゼルトの後ろについて歩き出すものもいた。 その女性たちに極上といわれる微笑をおくりたい衝動に駆られるものの、シャルゼルトは心を鬼にして振り返るのをやめ、従者が案内した店の前で立ち止まった。 そこは、市中の職人街でも一番大きい規模をもつ、織物や衣服を扱っている仕立屋だった。 「店の主人には話を通してあります。ナイアデス皇国からの旅人がココ王妃の恋人だった男の娘にたずねたいことがあって探していると。娘は、本日のこの時刻には仕立てた服を届けに来ているはずとのことです」 「わかった」 二人は中に入ると、従者は店の人間に声をかけていた。 大きな窓で光彩をとっている場所以外は薄暗い店内をシャルゼルトは興味深そうに見渡していた。 接客用の場所には大きな鏡や、見本の生地が山のように積んであり、奥の通路を挟んで建っている隣の建物には、幼い子供から白髪混じりの女たち大勢のお針子たちが働いているのが見える。 機織りを規則正しく動かす者、壁から垂れ下がらせた大きな布に刺繍を施す者、糸を巻き取る者、皆懸命に働いていた。 時々おしゃべりをするお針子がいると、見張り役の男が大声を上げて叱りつける。 そんな様子を見ているうちに、小太りの中年の男がいかにも商人らしい愛想笑いをして近寄ってきた。 一瞬、シャルゼルトの顔を見て見惚れたような表情をしたが、すぐに客向けの愛想笑いに切り替わる。 「ナイアデス皇国からの旅のお客様ですな。私が店主でございます。こちらの従者の方からお話はうかがっております。ちょうど、あそこで親父、いや、この店の大店主と話しをしていますのが、お捜しの女です」 小太りの男は小声でそう言うと、隣の建物奥の大部屋から直接外に出られる扉の前で、かなり年配ではあるものの大柄な強面の老人と話している中年の女を目でしめした。 「名はアンネリーゼといいます。幼い頃からこの店の出入りを許されている下請けのお針子です。呼んでまいりましょうか?」 「いや。名前は同じだが、探している人間とは別人のようだ」 シャルゼルトは、店主に教えられた女を見た瞬間、首を横に振った。 報告書には二十四歳と書いてあった。確かに、老けているとはあったが、お世辞にも示された女は二十四歳には見えない。 深い緑青色の髪の背中まで伸びた長い髪は結わえることもせずボサボサ状態で、前髪も目が見えないほど長い前髪で覆われてしまっている。 肌が透けるような白い肌だというはわかるが、髪に隠れていない部分から覗く口元や首に刻まれたシワ、張りのない肌、体つきからは、若めに見たとしても四十歳代程度。 二十四歳と言われても、信じられる要素が何ひとつ感じられなかった。 しかも女は雇われ人のはずなのに、大店主に対してひどく不機嫌に冷たい空気をまといながら対等に話しをしている。 声の届く距離ではないので話の内容まではわからないが、あきらかに何かを頼んでいる主人と、断っている女、という構図だ。 「やはり、人違いだ。私が探しているのは二十四歳のアンネリーゼという女性だ。彼女ではありえない。それともあの女の娘のことか?」 「いえいえ、本人ですよ。とは言いましても、たいがいの方はお客様と同様の反応をされてお引取りになりますがね」 「他にも、アンネリーゼという女性を訪ねて来た人間がいるのか?」 思いがけない店主の言葉に、シャルゼルトの競争心に火がつく。 「もう随分前のことです。では、私はこれで・・・」 「待ってくれ」 引き揚げようとする店主を見て、シャルゼルトはその肩に手をかけると、金貨を一枚握らさせた。 「来たことがあるのは、どんな人間だった?」 「具体的なお名前はお答えしかねますが、アンネリーゼの…」 店主は咳払いをひとつしながら金貨をポケットにそっと納める。 「アンネリーゼの父親のことを調べて、この店を訪ねてくる大抵の方々は貴族です。ですが、あの姿を見るとお客様と同じような反応をしてみな帰っていかれます。ここ最近見えられた方はいませんがね。あの娘の存在が自然に忘れられていっているのだと思っておりました」 店主は意味ありげに笑う。 「では、本当にあそこにいる女が、本人なのか?」 シャルゼルトは信じられないというようにぼう然とした表情を浮べた。 「呪い……と、この街でアンネリーゼを知る者たちはそう信じていますがね」 「呪い?」 主人は声を低くする。 「お客様もお美しい顔をしておいでだが、アンネリーゼの父親、ジェルファ様は幻の雪の結晶ような、本当に美しいお方だったんですよ」 「ジェルファと言う名前なのか?」 初めて耳にするココ王妃の恋人の名に、シャルゼルトは興奮を禁じえなかった。 神学所にある資料にはどこにも見当たらなかった名前。 「ええ、アンネリーゼの父親の名前です。今でも本当にあの方が存在したのか、夢の中での出来事だったのか、確信がもてないほどですよ。美の神が人間に生まれ変わられたんじゃないかと誰もが心から信じておりました。それほどまでに神々しく、高貴で、言葉では言い表せないほどの美しさを備えたお方でした。」 「それで、呪いというのは?」 「けれど、あの方の愛情は妻と娘だけに注がれておりました。アンネリーゼはなついていませんでしたがね。それでも、女たちの嫉妬はただならないものがあったようです。あの方の手前は、みな妻子に対して直接なにかをするような真似はせず、表面は出来る限り平静を装って接していたらしいですが、どうも呪いの術を魔道の者にかけさせた者がいるという噂がまことしやかに流れたこともありました。その呪いに関係があるのかないのか、ジェルファ様が町に来て二年後にアンネリーゼの母親が病死しました」 「…………」 そうした呪いの術をかけることが出来る魔道の者がゴラに訪れた記録はない。 もしも、そうした力を持つ者がいたなら、国はもろ手をあげて迎い入れたはずだからだ 「あの時は、妻の座を巡って目の色を変える女の本性を見たというか、怖かったのを覚えていますよ」 「後添えはいたのか?」 「翌年、あとを追うようにジェルファ様も亡くなられました。呪いがジェルファ様にも及んでしまったのではないかと恐れおののいた女たちは一人や二人ではなかったとか。その反動で、アンネリーゼに対しては、はれ物にさわるような状態が続いて今に至っております。あのように老いていく風貌も呪いが持続されていると思って、誰も陰口さえ言いません。あの子に罪はないですからね。それにまかり間違えば今度は少しでも嫉妬心を起した自分自身が呪われるかも知れないと信じている者も少なくはないんですよ」 「店主は信じているのか?」 主人は、シャルゼルトの問いにわが意を得たりと言うような表情を浮べたる 「別の何かに呪われている、とは思っていますがね」 「別の何か?」 「アンネリーゼの母親はもともと目が悪く、病弱だったようですし、市中に来た時はジェルファ様はいらっしゃらなかった。呪われて病気になったとは考えられません。ですが、ジェルファ様の衰弱されていったご様子と、アンネリーゼの年老いていく姿はどこか重なるところがあるんです。しかも、あの方が亡くなってからは、夢の中の出来事だったみたいに、皆忘れてしまったのか、現実に帰ったというか、とにかく、誰も何もあの方のことを口にしなくなった。アンネリーゼに関しても同様。奇妙な話です」 「呪い……か」 シャルゼルトは、ため息を吐きながらアンネリーゼと呼ばれた中年女と、大店主を見つめる。 依然として、女は首を縦に振る様子がなく、大店主が大きなため息を吐き出す。 「ああいうやり取りは特別なことではないんですよ」 「揉めているとしか見えないが?」 「いえいえ、商売人同士の交渉ですよ」 話によると、ある貴族からの依頼の品を仕立てるはずが、様々な事情で生地や生糸が届くのが遅くなった上、何人もの職人が流行り病で倒れ、人手が足りなくなってしまったというのだ。 「神業といえるほどの技量を持っていましてね。どんな職人が急いでも五日間はかかる仕事をひと晩で仕立てたこともあるんですよ。本来は親父も独立させたくはなかったようですが、アンネリーゼから、仕事はうちの店を通したものしか請けないから、と言われて止む無く独立を認めたんですよ。なにか言うに言われぬ事情があるのを察したといいますか」 「独立したい事情は聞いていないのか?」 「親父も呪われるのは、嫌なんですよ」 そう言われてはシャルゼルトも次に問うべき言葉を失う。 「今回は、今受けているほかの仕事を止めずに、職人三人は必要な仕事を期日を変えないで納めて欲しいと頼み込んでいるんです。困った時のアンネリーゼ頼みという奴です アンネリーゼは冷気さえ感じるような空気を全身から放って、主人を見つめてゆっくりと首を横に振り続ける。 果てしなく長く続くと思われた押し問答にシャルゼルトがこの後、どうしたものかと天井を見上げた時、突然それは終った。 「決着がつきましたよ」 店主が驚くべきこともないといった表情で、二人を目で示す。 あわてて見ると、大店主が、彼女の肩を両手で叩いて喜んでいるところだった。 アンネリーゼは口元を結んだまま、あきらめたように微かに首を横に振る。 あれほど断固拒否の様子だったのに、引き受けたらしいアンネリーゼに、シャルゼルトは不可解な表情を浮べる。 「いつものことです」 店主は肩をすくめて笑って見せる。 「では私はこれで失礼します」 シャルゼルトは、思わず、店主に二枚目の金貨を渡していた。 「どういうことだ?」 店主は少し意外そうな顔をして、手の中の金貨を見つめて、再びポケットにそれを納める。 「アンネリーゼの母親は、アンネリーゼを身ごもったままさまよっているところを、商用に出ていたうちの母親に助けられてこの街にきたそうです。その時から母と娘の二人が生きていくために、うちの両親に世話になっているし、店の下請けとして女職人として仕事の手ほどきを受け、目の悪い母親には機織を、アンネリーゼにはお針子ができるようにたたきこんだのは親父です。アンネリーゼは、出来ない仕事は出来ないときっぱり断る娘だが、店が本当に困っているとわかると、最後は引き受けてくれる。一度引き受けたら、飲まず食わず、連日徹夜して、死にかけても期日までには絶対にやりとげる。受けざるを得ないと気がついたら、言い争いをしている無駄な時間はないからと、切り替える。母親譲りの頑固者だって親父は言ってますよ」 「女職人か……」 シャルゼルトは、今まで出会ったことのない女性の存在に、作戦を練り直す必要を感じながら、店主に礼を言いつつ、もう三枚目の金貨を男の手の平に渡して別れの言葉をかけた。 すると、今度は主人が帰ろうとするシャルゼルトを引きとめた。 ずいぶん気を良くしたのか、こっそりと耳打ちをする。 「アンネリーゼは、ジェルファ様が生きている頃まで肌身離さず身につけていらした、コインのペンダントを身につけています。私は、あのペンダントこそ秘密があるように感じています」 「どうしてだ? 父親の形見を身につけていてもおかしくないだろう」 「アンネリーゼはジェルファ様がいらっしゃるまで、自分には父親がいないと信じておりました。突然父親が現れて、なつくこともないままにジェルファ様は亡くなられました。その父親の形見を身につけていることは奇妙に感じるのです。特に、アンネリーゼの気性を考えると、手元には置いておいても身に着けるなんて考えにくい。これは、ずっと奇妙に思っていたことなんです。一度アンネリーゼに聞きましたら」 「聞いたのか?」 「好きで身に着けているわけじゃない、と。そっけない返事でしたが」 「そうなのか」 「では、これで」 今度こそ店主は男は、店の奥へと去って行った。 一人残されたシャルゼルトは、アンネリーゼに視線を戻す。 ちょうど彼女は店から立ち去ろうと裏口から通りに向って歩き出すところだった。 シャルゼルトが思わず声をかけようかと目で追った時、まるでその視線を感じたかのように彼女が振り返った。 碧く海のように美しい双眸が、シャルゼルトの至近距離にあった。 まるで目の前に彼女の顔が、瞳が、触れるほどの近くにある感覚。 引きこまれるような、涼やかで悲しげで意志の強い瞳がそこにあった。 シャルゼルトの時間が止まる。 ――! それは一瞬の出来事だった。 わかっている、それは錯覚に過ぎないことを。 シャルゼルト自身、充分理解していた。 二人の間にはかなりの距離があり、店の中は薄暗く、彼女の瞳は長い前髪で隠れている。 とても目の色を確認できる近さではない。 アンネリーゼはシャルゼルトを一瞬見たものの、視線を外し、店の裏口から出て行った。 シャルゼルトはあわてて店の正面玄関を出て裏口に回ったが、もう彼女の姿はどこにもなかった。 |
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