第1章 〜初恋〜 | ||
ラーサイル大陸にあるゴラ国が守護神として祀るのは、火の神サラバンティ神。 今は、ウルト王が長い治世を行なっている時代だった。 そのゴラ国の貴族に、誰もが認める美しいひとりの若者がいた。 名をシャルゼルト・ボルガー。名門貴族ボルガー伯爵家の七番目の息子で、年は十七歳になったばかりの青年。 彫刻のように整った美しい顔立ち、切れ長の切なげな碧い瞳と、肩まで真っ直ぐに伸びた艶のある黄金色の髪。低音の魅力的な声。どんな激しい踊りだろうと女性を軽々と抱き上げてしまえる腕力と、見上げるほどの長身。 性格的には若干問題がないともいえなかったが、美貌、財力、肉体ともに理想的な男性の条件をすべて兼ね備えた若者は、社交界に登場するや否や多くの女性たちの心を虜にした。 毎週いたるところで行なわれる舞踏会では、彼が招待客のリストに入っているのか、誰のエスコートをして登場するかが注目を集めた。 舞踏会では、シャルゼルトの腕の中で踊るために貴婦人たちの静かなる争いが水面下で起きると同時に、夢見心地の時間を過ごすことが出来た女性は、次は二人だけのさらなる濃密な逢瀬の時間を約束できると噂されるほどだった。 シャルゼルトが、舞踏会で女性の手をとるたびに、彼の恋人だと言う女性が増えて行く。 夫や子供のいる女性さえも、自分がシャルゼルトの真の想い人だと公言してはばからない。 本来ならば、名誉を汚された夫や恋人たちから決闘を挑まれても拒めないところだったが、シャルゼルトに限ってはそうした決闘沙汰は皆無に等しかった。 理由は、彼の身分と才能と、未来にあった。 シャルゼルトは、将来ゴラ国守護神教会の「占術司団」と「神学所」を統べる枢機卿となることをほぼ約束されている人物の一人だったからだ。 ボルガー家は過去に何人も枢機卿を出している名門の上、シャルゼルトは、あらゆる占術、神学に関しては右に出るものがいないといわれるほど精通している秀才だった。 宮廷魔道士のいないゴラ国では、昔、アンナの一族に近い力を持つ魔道士を集めて宮廷魔道士を所有しようと「魔道・占術司団」を結成した。 本来、王位継承に関しての儀式は、ラーサイル大陸の国々は、アンナの一族を招き寄せ、〈祝福〉の儀を受ける。 だが、決して特定の国の所有となることはない。それでも、アンナの一族のような力のある占術士や魔道士を招き、自国の神に祈りを捧げ、神の言葉〈先読み〉の出来る宮廷魔道士を得ることはどの国にとっても悲願中の悲願だったのだ。 しかし、ゴラ国の長い時間と資金を費やしたものの失敗に終った。 現在は守護神への祈祷、占術や神学の研究を行なう組織「ゴラ占術司団」として名を残し、宮廷魔道士の代わりとして、枢機卿や司教をおいた。 彼らは日々守護神に祈りを捧げ、王と国がサラバンティ神との契約を外れることのないよう研究をし、王に助言を与えた。 やがてその知識に代々の王は傾倒し、また彼ら自身も、王家は神々と強く結ばれている存在であることを民に示すうちに、神に限りなく近い存在として絶大な権力を誇る組織となっていった。 「神学所」は、貴族の子息らが神々に関して学ぶ学問所であり。その中でも優秀な者は、将来の「ゴラ占術司団」の一員となる資格を得ることが出来た。例え下級貴族の子息だったとしも扉は大きく開かれており、人材発掘の登竜門でもあった。 ボルガー家に生まれたシャルゼルトは、恋愛においては経験豊富かつ軽薄な遊び人ではあったが、幼い頃からサラバンティ神や世界の神々の物語を子守唄のように聞きながら育った環境と本人の抜きん出た才能により、「神学所」では、教師たち以上の知識を持つ生徒として知られていた。 時には、占術司団を招き、特別講義を行なう天才としても有名だったのだ。 将来「占術司団」の司祭や枢機卿となる相手に決闘を申し込むような貴族はいなかった。 しかも、聖職の地位に立つことになれば、シャルゼルトは、今のように自由奔放に女性たちと恋の浮名を流すようなことは出来なくなり、女性とは、一定の距離をおいて接することになる。 シャルゼルトにとって、皮肉にも最速の出世は短い春の終わりを意味することでもあった。 将来の自分の出世や立場を考えれば、シャルゼルトが羽根のように女性を渡り歩き、たとえその相手が自分の妻や愛人、娘であろうとも、見て見ぬふりをする暗黙の了承が貴族社会の中に出来上がっていたのだ。 そのシャルゼルト・ボルガーにも、忘れられない初恋の女性がいた。 王妃ココ。 シャルゼルトが生まれる前に若くしてこの世を去ったオルト王の正妃。 王宮の大階段の踊り場に飾られている大きな肖像画の王妃ココは、美しく、儚げで少し寂しげな表情が印象的に描かれていて、物心ついたときからシャルゼルトはその肖像画に心を奪われ、恋をした。 王宮に行く度、ココ王妃の肖像画の前までくると動けなくなった。誰に何を言われてもあきることなく何時間も見つめていた。 人前に姿を現すことのなかったベールに包まれた謎多き王妃を少しでも知りたくて、天童と呼ばれた幼い頃から、王妃ココに関する資料はすべてに目を通す為に「神学所」に通う年齢になる前から、図書室の常連になっていたほどだった。 |
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